京都市上京区七番町323-1
真言宗善通寺派
歴代皇室の崇敬があつい
後陽成天皇は勅願所とされ
後西天皇は左近の桜を分栽されたので、「桜寺」と呼ばれた
豊臣秀吉は 武運長久を祈って千成瓢(せんなりひさご)を寄進し、
世に「ひさご寺」とか「ひょうたん寺」と呼ばれた
天下統一の後、自作の木像を当寺に納めて、寺領を寄進したと伝わっています
毎年2月の節分には扇子とともに「ひょうたんが」のお守りが授与される
本堂の薬師如来像は「蜂の薬師」といい
京都十二薬師霊場の第六番になっています
御開帳は50年に1度だけです
墓地には 「池田屋騒動」の原因になった古高俊太郎 や
江戸中期の御典医 中山玄亨の墓がある
洛陽33所観音巡礼 第29番 です
左近の橘 右近の桜
京都十二薬師霊場 第六番
検索 ➡ お寺・神社めぐり01 洛陽12薬師めぐり
平成27年4月18日 撮影
由緒ある門です
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川柳
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