アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院西0006  西芳寺(苔寺)  単立

2016年03月27日 07時22分12秒 | 寺院

 

激月橋  と 西芳寺  門の右手に庭園がある

 

 

西芳寺(苔寺)

山号を洪隠山といい、臨済宗に属する。平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。

奈良時代、聖武天皇の詔により行基が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場としたと伝えられている。兵乱での荒廃の後、暦応2年(1339)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依を受けた無窓国師(疎石)により再建され、禅の厳しい修行の道場となった。無窓国師自ら作庭した、枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池を中心とし池泉回遊式の下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満をはじめ、ここを訪れて座禅に励んだ人も多い。現在3万5千平方メートルに達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名庭とうたわれている。120種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれている。また、茶室湘南亭(重要文化財)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築したものでの明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲したこともある。

禅寺の苔をついばむ小鳥かな  虚子

京都市

 

影向石

庭内黄金池の南西隅、黒木の鳥居を前にした1個の石。この影向石を中心とした豪壮な石組、夢窓国師作庭当時の石組といわれ、付近の苔は特に美しいとのこと。

 

夜泊石

本堂の東の池中に2列に並ぶ15個の石。港に停泊する船の姿を表現したものといわれている。昔の渡廊の礎石ともいわれている。

 

座禅石

 

衆妙門  昭和になって造られた

 

本堂 と 書院  奥の塔は 三重納経堂

 

西芳寺川 に 馬酔木 がありました

関連記事 ⇒ 人物046 岩倉槇子

前回の寺院記事  ➡  寺院西0005  華厳寺(鈴虫寺)   臨済宗永源寺派  

次回の寺院記事  ➡  寺院右0007 正定院  浄土宗     

 


道標西0006  地蔵院

2016年03月26日 07時57分37秒 | 道標

地蔵院  左一丁 細川頼之 史蹟

 

横に案内がありました

地蔵院庭園

竹の寺

細川頼之公建立

一休禅師修養の寺

 

浄住寺 の案内

 

関連記事  ➡   浄住寺  黄檗宗   地蔵院  竹の寺  谷の地蔵  臨済禅宗  

前回道標記事 ➡  道標5  往来安全   麩屋町六角  

次回道標記事   道標右0007-123 嵯峨野の野に道標(みちしるべ) 3つ  

 


寺院西0005  華厳寺(鈴虫寺)   臨済宗永源寺派

2016年03月25日 06時41分08秒 | 寺院

 

 

 

華厳寺(鈴虫寺)

享保7年(1722)鳳潭上人が華厳宗の興隆を願い、最福寺谷ケ堂の故地をえらんで創建したといわれ、妙徳山と号する。元は華厳宗だったが、今は臨済宗永源寺派に属する。

鳳潭上人は叡山延暦寺の経典講習会に参加した時、講義が難解だったため残ったのは上人1人だった。上人は「扶桑続入総目録」を編纂した。当代屈指の学僧であった。元文3年(1738)2月、85歳で亡くなった。本堂には本尊大日如来坐像(平安時代)、宝冠釈迦如来像(鎌倉時代)、鳳潭上人像を安置されている。

「華厳寺」の額は黄檗隠元隆の筆、鳳潭上人の墓は庫裡の背後にある。

 真冬に鈴虫の鳴き声が聞ける。1年中聞けるようになるまで20年近くかかったそうだ。境内には妙音観音、万虫供養塚があり、作家の林真理子さんが直木賞を受賞した際「お参りしたおかげ」と話したことがきっかけで、山門わきのわらじばきの幸福地蔵が親しまれている。1度ここでお願い事をして帰ると、お地蔵さんがワラジを杖をつきながら1軒ずつ願い事を聞いて尋ねてきてくれると信じられています。庭園には1万坪の竹林があり、珍しい竹が育てられいる。

また、上人の御影を戸口に貼ると盗難除けなるといわれています。

 

 

 

 

 

関連記事  ➡   動物・石・森に因む所

  

前回寺院記事  ➡  寺院右0004 西光寺 (さいこうじ)  門が茅葺だ  浄土宗  

次回寺院記事  ➡  寺院西0006  西芳寺(苔寺)  単立    


石鳥居  越後神社  237基

2016年03月24日 06時18分01秒 | 石鳥居

石鳥居  大正13年11月の建立

 

 

 石鳥居 まとめ と 検索  1基 ~ 200基 

 石鳥居  まとめ と 検索  201基~400基

前回石鳥居記事  ➡  石鳥居  月光稲荷神社   236基

関連記事  ➡  越後神社


石鳥居  まとめ と 検索  201基~400基

2016年03月23日 22時14分58秒 | 石鳥居

 

石鳥居・山科石田・天穂日命神社  201基

石鳥居・山科椥辻・朝日神社  202基

石鳥居・山科・折上神社・北参道  203基

石鳥居・山科・折上神社・西参道  204基

石鳥居・山科・折上神社の寶大神  205基

石鳥居・山科・折上神社・第2  206基

石鳥居・山科・折上神社の五社稲荷  207基

石鳥居・山科・折上神社の花光、玉房社  208基

石鳥居・石鳥居・山科三之宮  209基 

石鳥居・山科・諸羽神社・第1  210基

石鳥居・山科・諸羽神社・本殿横  211基

上京区・報恩寺・稲荷社  212基

上京区・妙顕寺・慶中大菩薩  213基

 上京区・妙顕寺・  214基

上京区・光照院門前  215基

本法寺  鬼子母神堂・魔支利天堂  216基

石鳥居  乃木神社  217基

石鳥居  亀山稲荷神社  218基

石鳥居  幾世稲荷神社  219基

石鳥居  護法堂瓣才天  220基

石鳥居  護法堂瓣才天   221基

石鳥居  鳥居本八幡宮  嵯峨野  222基

石鳥居   妙音瓣財天  223基

石鳥居 住吉大伴神社・南鳥居  224基

石鳥居 住吉大伴神社・西鳥居   225基

石鳥居  梨木神社・第一鳥居   226基

石鳥居  梨木神社 第2鳥居  227基

石鳥居  松ヶ崎大黒天・第1鳥居  228基

石鳥居  松ヶ崎大黒天・第2鳥居  229基

石鳥居  白雲稲荷神社  230基

石鳥居  赤山禅院   231基

石鳥居  八大神社  232基

石鳥居  八大神社・第1鳥居  233基

石鳥居 天性寺・弁財天   234基

石鳥居  宇多源氏始祖追遠碑 1877年建立  235基

石鳥居  月光稲荷神社   236基

 


石鳥居 まとめ と 検索  1基 ~ 200基

2016年03月23日 22時13分53秒 | 石鳥居

石鳥居・蚕の社 参道  1基

石鳥居・三吉稲荷社  2基

石鳥居・大酒神社  3基

石鳥居・熊野神社  4基

石鳥居・梅宮大社  5基

石鳥居・梅宮大社  6基

石鳥居・梅宮大社・猿田彦・稲荷社  7基

石鳥居・梅津大神宮・南  8基

石鳥居・梅津大神宮・北  9基

石鳥居・西院 春日神社  10基

石鳥居・西院 春日神社・東第2  11基

石鳥居・西院 春日神社・西第1  12基

 石鳥居・名前が書かれていない  13基

石鳥居・太秦・春日神社  14基

車折神社表参道第3  15基

車折神社・表第4  16基

石鳥居・車折神社・表第5  17基

石鳥居・車折神社内・芸能神社  18基

西院・春日神社・西第2  19基

車折神社・北第1  20基

石鳥居・車折神社・地主神社  21基

石鳥居・車折神社・北第2  22基

須賀神社・交通神社第1  23基

須賀神社・交通神社・第2  24基

須賀神社・交通神社・白龍大明神・稲荷大明神  25基

蚕の社・三つ足鳥居  26基

石鳥居・御辰稲荷(おたついなり)神社  27基

石鳥居・角倉稲荷神社  28基

石鳥居・児(ちご)神社  29基

石鳥居・蚕の社・末社の鳥居  30基

石鳥居・大覚寺・大沢の池・天神社  31基

石鳥居・猿田彦神社・三条通天神川  32基

石鳥居・繁昌社  33基

石鳥居・菅大臣神社・西第1  34基

石鳥居・菅大臣神社・西第2  35基

石鳥居・菅大臣神社・北第1  36基

石鳥居・菅大臣神社・稲荷社  37基

石鳥居・菅大臣神社・南第1  38基

石鳥居・菅大臣神社・南第2  39基

石鳥居・菅大臣神社・本殿前  40基

石鳥居・紅梅殿  41基

石鳥居・神泉苑  42基

石鳥居・武信稲荷神社  43基・44基・45基

石鳥居・武信稲荷神社・表中第2  46基

 石鳥居・武信稲荷神社・表左  47基

石鳥居・武信稲荷神社  48基

石鳥居・武信稲荷神社  49基

石鳥居・文子天満宮 50基

石鳥居・文子天満宮・白瀧稲荷社  51基

石鳥居・白峯神宮・伴緒社  52基

石鳥居・護王神社・表  53基

石鳥居・護王神社・伊勢神宮遥拝所  54基

石鳥居・菅原院天満宮  55基

石鳥居・大将軍八神社  56基

今宮神社・右京区  57基

六請神社  58基

石鳥居・六請神社・力石大神  59基

石鳥居・長徳院  60基

石鳥居・晴明神社・第1  61基

石鳥居・晴明神社・第2  62基

石鳥居・浄福寺・弁財天  63基

石鳥居・最上位経王大菩薩  64基

福王子神社  65基

石鳥居・六剣大神  66基

石鳥居・桜宮神社  67基

石鳥居・名和長年 戦没地  68基

智恵光院・弁財天  69基

石鳥居・福寿院・弁財天  71基

華光寺  72基

石鳥居・祐正寺・妻取地蔵  73基

石鳥居・三森稲荷大神  75基

石鳥居・櫟谷七野神社・表  76基

石鳥居・櫟谷七野神社・西  77基

石鳥居・蛭子神社  78基

石鳥居・安楽寺天満宮  79基

石鳥居・安楽寺天満宮・一ノ保天満宮  80基

石鳥居・首途八幡宮・第1  81基

石鳥居・首途八幡宮・第2  82基

石鳥居・首途八幡宮・第3  83基

石鳥居・天道神社・天満宮  84基

石鳥居・壬生寺・一夜天神  85基

石鳥居・長尾天満宮・第1  86基

石鳥居・長尾天満宮・第2  87基

石鳥居・霊光殿天満宮  88基

石鳥居・雨宝院・本堂前  89基

石鳥居・雨宝院・弁財天、鎮宅方除神、瘡神社  90基

石鳥居・焼けずの寺・本隆寺内の番神堂前  91基

石鳥居・大宮姫命稲荷大神・西  92基

石鳥居・大宮姫命稲荷大神・北  93基

石鳥居・文子天満宮蕉  94基

石鳥居・梛神社・東  95基

石鳥居・梛神社・北  96基

石鳥居・北野天満宮・表第1  97基

石鳥居・市五郎大明神  98基・99基

石鳥居・建勲神社・稲荷社  100基

石鳥居・若宮神社・紫野  101基

石鳥居・若宮神社・紫野・第2  103基

石鳥居・水火天満宮・西  104基

石鳥居・上御霊神社・西第1  105基

石鳥居・上御霊神社・八幡宮  106基

石鳥居・上御霊神社・神明社  107基

石鳥居・上御霊神社・稲荷社  108基

石鳥居・玄武神社  109基

石鳥居・猿田彦神社・鞍馬口  110基

石鳥居・西園寺・稲荷社  111基 

石鳥居・薬祖神  112基

石鳥居・宗像神社内・京都観光神社  114基

石鳥居・宗像神社・西参道  115基

護浄院・天台宗・清荒神  116基 

石鳥居・白山神社  117基

石鳥居・清凉寺・嵯峨釈迦堂・愛宕権現社  118基

石鳥居・豊国神社  119基

石鳥居・豊国神社の稲荷社  120基

石鳥居・白雲神社・表第1  122基

石鳥居・白雲神社・表第2  123基

石鳥居・白雲神社・稲荷社  124基

石鳥居・御所八幡宮  125基

石鳥居・綱敷行衛天満宮・西  126基

石鳥居・綱敷行衛天満宮・南  127基

石鳥居・西院野々宮神社  128基

石鳥居・頂妙寺・妙雲院  129基

石鳥居・頂妙寺・妙見宮  130基

石鳥居・三福寺・稲荷社  131基

満足稲荷・南参道  132基

満足稲荷神社・旧社  133基

満足稲荷神社・西参道  134基

石鳥居・満願寺・文子天満宮  135基

石鳥居・満願寺・弁財天社  136基

石鳥居・岡崎神社・表参道  137基

石鳥居・岡崎神社・三宮社  138基・139基・140基

岡崎神社・雨社  141基

岡崎神社・西参道  142基

石鳥居・黒谷・金戒光明寺  143基

石鳥居・幸神社  144基

石鳥居・幸神社・石神さん  145基

石鳥居・松尾大社・南参道  146基

石鳥居・火尊天満宮  147基

石鳥居・長栄寺  148基

石鳥居・神明神社  149基

石鳥居・龍田稲荷神社・第1  150基

石鳥居・龍田稲荷神社・第2  151基

石鳥居・大原神社  152基

石鳥居・わら天神・第1  153基

石鳥居・わら天神・第2  154基

石鳥居・街中の祠・竹屋之町  155基

石鳥居・大将軍八神社・御旅所  156基

石鳥居・若宮神社・嵯峨  157基

石鳥居・八幡神社わら天神前・表参道  158基

石鳥居・八幡神社わら天神前・西参道  159基

石鳥居・五條天神社・東  161基

石鳥居・五條天神社・北参道  162基

石鳥居・高松神明神社  163基

石鳥居・道祖神社・堀川塩小路  164基

石鳥居・智恩寺・百万遍の鴨明神社  165基

石鳥居・八神社・銀閣寺の北・第1  166基

石鳥居・八神社・銀閣寺の北・第2  167基

石鳥居・八神社の雨社・銀閣寺の北  168基

石鳥居・八神社の樹下稲荷社・銀閣寺の北  169基

石鳥居・松明殿稲荷神社・七条大橋西詰  170基

石鳥居・養源院の白衣弁財天社  171基

石鳥居・養源院の弁財天社のなか  172基

石鳥居・養源院の毘沙門天社  173基

石鳥居・養源院の境内の三神  174基

石鳥居・若一神社・第1  175基

石鳥居・若一神社・松尾社  176基

石鳥居・松尾大社・西七条御旅所  177基

石鳥居・市姫神社(中央市場)  178基

石鳥居・島原住吉神社  179基

石鳥居・諏訪大社分社・島原付近  180基

石鳥居・五条住吉神社  181基

鳥居・稲荷福若大明神神社  182基

石鳥居・下京の若宮八幡宮  183基

石鳥居・宗仙寺・大弁財天  184基

石鳥居・西念寺  185基

石鳥居・市比賣神社  186基

石鳥居・市比賣神社・稲荷社  187基

石鳥居・萬年寺  188基

石鳥居・衣手神社  189基

石鳥居・衣手神社・南参道  190基

石鳥居・渋谷・山王神社・第1  191基

石鳥居・渋谷・山王神社・第2  192基

石鳥居・香雪院・東山聖天尊  193基

石鳥居・山口稲荷神社  194基

石鳥居・新日吉神宮  195基

石鳥居・新日吉神宮・愛宕社・秋葉社  196基

石鳥居・新日吉神宮・豊国神社  197基

石鳥居・五条若宮八幡宮  198基

石鳥居・五条若宮八幡宮・末社  199基

石鳥居・五条若宮八幡宮・天満宮  200基

 


石碑北0015  牧野省三 銅像と碑文

2016年03月23日 10時52分28秒 | 石碑

 

 

 

 

牧野省三像

生涯を映画の発展と前進に尽力し日本映画の父と仰がれたマキノ省三先生が大正10年に最初の撮影所を創設せられたのは実にこの等持院の地でありました

このたび先生の銅像を太秦より迎えましたのはひとえに日本映画史の一頁を飾るゆかりの此の地に永く先生の遺徳を顕彰したいとねんずるからであります

昭和45年7月25日

マキノ省三先生顕彰会

前回石碑記事 ➡ 石碑中0014  二条城撮影所 跡

関連記事  ➡石碑右0013  日本映画の父 牧野省三先生顕彰之碑   三吉稲荷社内  

次回石碑記事  ➡  石碑右0016  愛宕神社石碑  三条通りの南で見つけた  


石碑右0013  日本映画の父 牧野省三先生顕彰之碑   三吉稲荷社内

2016年03月23日 06時20分17秒 | 石碑

 

牧野省三顕彰之碑

20世紀のはじめ、京都に新しい産業 映画芸術として日本映画は興った 牧野省三先生は明治11年(1878)京都に生まれ 実家の劇場経営の経験を提げて明治40年(1907)この振興の事業を興した。爾後 昭和4年(1929)京都に没するまで 常にこの道の先覚者として企業と芸術の両面より日本映画創建に尽力された。

日本映画は先生の創意工夫によって 映画の先進諸国に遅れることなく表現上の技法を身に付けることができた

日本最初の監督は先生であった プロデューサー制度の確立や教育映画事業の創始者も亦先生であった。

俳優・監督その他映画を志す者多数この新天地に集い 日本映画発展の礎を築いた

先生逝いて70余年 キネマの天地京都から輩出された人材は数知れず現に映画界の各分野でその中枢として活躍している 日本映画は先生の進取の気質と情熱によって開拓され 今世紀百年に亘って日本の映像文化産業の中心として歩み続けてきた

ミレニアム2000年 改めて日本映画の父 牧野省三先生の偉業を讃え 映画のまち太秦のこの地に建立し 新世紀での日本映画の更なる発展を祈念するものである。

平成12年10月1日

牧野先生顕彰之碑 建立委員会

 

東映株式会社京都撮影所

東映太秦映画村

東映太秦映像株式会社

松竹京都映画株式会社

映像京都株式会社

株式会社高津商会

有限会社山崎かつら

国松建設株式会社

京福電気鉄道株式会社

京都バス株式会社

大映通り商店街振興組合

 

長門裕之

津川雅彦

南田洋子

岡田 茂

高岩 淡

佐原 信一

西岡 善信

畑  利明

神先 頌尚

俊藤 浩滋

高津 俊治

石田 宏治

藤田 まこと

吉永 小百合

小沢 茂弘

葛西 隆男

黒田 義之

里見 浩太郎

佐藤 雅夫

新藤 兼人

宍戸 大全

高橋 英樹

中島 貞夫

松方 弘樹

松平 健

森田 富士郎

山内 鉄也

由美 かおる

渡  哲也

矢田 精治

森  春生

中川 茂信

宮原 一男

草壁 好清

 

片岡 千恵蔵  の名がある

伴 淳三郎                           磯川  元春

 

上の写真に咲いている花は

ハナニラ (セイヨウ アマナ)

 

社を取り囲む 柵の柱に刻された名前は以下の通り

 

常盤 操子                            生島 巳三郎

入江 たか子                         市川  小文次

伊丹  禮三郎                   山本  嘉一

 

その他に

瀬川 路三郎 ・  瀬川  銀潮  ・  森田  肇

酒井  米子  ・  澤村  春子  ・  嶋谷  美三郎

〇田  純三郎  ・  廣瀬  恒美   ・  池永  浩久

の名がある

 

前回の石碑記事  ➡  石碑右0012 紀元2600年石碑  大酒神社

関連記事   ➡  二条城撮影所 跡

            等持院

            神社右0002 三吉稲荷社 (さんきちいなりしゃ)  

次回石碑記事  ➡   石碑中0014  二条城撮影所 跡

   

 

 


神社西0014 月読神社

2016年03月22日 07時02分35秒 | 神社

 

ご祭神 月読尊  

子授け・安産のご神徳 「月延の石」

縁結び・恋愛成就 「むすびの木」

学問の神 聖徳太子を祀る 「聖徳太子社」

海上交通安全・水難除 「御船社」

自己の罪、穢れを除く 「解穢の水」

関連記事 ➡ 石碑10  押見宿祢霊社遺跡    月読神社境内

 

京都市指定史跡

月読神社境内

月読神社は延喜式では名神大社の1つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。文献によれば、顕宗3年(487)阿閉臣事代が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒木巣田の地に社を創建したとされ、斎衡3年(856)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。

境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子社などから構成されています。月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。

平成5年4月1日 指定  京都市

 

拝殿

 

本殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関連記事  ➡   動物・石・森に因む所    石碑10  押見宿祢霊社遺跡  

前回の神社記事  ➡   神社左0013  須賀神社・交通神社  

次回神社記事  ➡  神社右0015  愛宕神社  


石碑11  若宮社御鎮座旧跡  山ノ内

2016年03月21日 07時17分44秒 | 石碑

 

 

若宮社御鎮座旧跡

当所は氏神山王神社境内末社 若宮社の御鎮座旧跡所である。

御祭神は湍津姫神 白山姫神を祀り美の神と信仰され縁結びの祖神と仰がれている往時比叡山天台宗延暦寺の寺領で普賢寺と號する良真座主の西ノ京禪房堂舎僧房があった 従って当地を「山内」山ノ内と云い 氏神として比叡山天台宗の守護神と仰ぐ坂本日吉山王大神を勧請した当社は明治11年氏神山王神社境内若宮社跡として今に伝えている

平成18年10月吉日  瀬戸畑町内会

 

この石碑は昭和11年12月の建立

 

前回の石碑記事 ➡  石碑10  押見宿祢霊社遺跡    月読神社境内  

次回の石碑記事 ➡  石碑右0012 紀元右001 紀元2600年石碑  大酒神社 


石碑10  押見宿祢霊社遺跡    月読神社境内

2016年03月20日 06時53分50秒 | 石碑

 

式内大社月読社累代祀官遠祖

押見宿祢霊社遺跡

日本書紀によれば、顕宗天皇の3年歌荒樔田に月読社が創祀せられ伊岐県主の祖押見宿祢が祀官となったといふ 宿祢の子孫は世々その職を伝へ伊岐を姓としたが 9世紀に入り水害のため神社を奉じてこの地に移るや松室氏を称した 一族栄え12世紀初めには二条帝の皇后の御生母育子を出すに至った 江戸時代17分家は男子は非蔵人女子は御局として宮中に仕へた者が多い維新後時世変易同族四散するに至ったがこの度血脈を伝ふる者相謀り 曽て押見宿祢を祀る霊社も存したこの地に碑を建て 祖宗縁故の由来を記すものである。

 昭和42年10月  松室同族會建立

 

 

 

前回の記事 ➡  石碑9  名勝 双ヶ丘  三の丘

 次回の石碑記事 ➡  石碑11  若宮社御鎮座旧跡  山ノ内  


ねむりさまし  

2016年03月19日 08時15分18秒 | まち歩き

 これは 学校歴史博物館の展示品です

写真撮影 可でした

 

祢(ね)むりさ満(ま)し

手島堵庵(1718~1786)作のいろはうた。

石門心学の教えを、子どもが口ずさみやすい歌にして、絵を添えた。絵も堵庵作と伝わる。心学道話の際、1つずつの歌を施印(暦のように柱や壁に貼れるようにした印刷物)として聴衆に配った。

元明倫小学校では、校舎新築時に歌わせ、校内に建てた宝錦舎で、この歌に基づいた道話が行われたという。(「明倫誌」より)

 

 

いぢがわるうは生れはつかぬ 直(すぐ)が元来(もとより)うまれつき

 現代語訳

意地が悪いのはうまれつきではないよ、誰でもみんな最初は素直に生まれてくるのだから

 

 

関連記事  ➡  石碑7  手島堵庵五楽舎址   富小路六角上る


道標中0005  往来安全   麩屋町六角

2016年03月18日 06時55分17秒 | 道標

天正三亥年正月建之

こんな意見もある

紀年法といい刻字といい天正3年に建立されたとするには疑問がある

一方には加藤繁生「信長の常夜灯 天正三年銘「往来安全灯籠」」(『史迹と美術』844号,2014年)は

傘部分は後補だが碑身は天正3年建立としている

 

前回の記事  ➡  道標4 「左 嵯峨野 阿弥陀寺」  

次回の道標記事  ➡  道標西0006  地蔵院