この付近 西野山古墓
西野山古墓は,大正8(1919)年に偶然発見され,副葬品が埋葬時の状態でみつかった。金銀平脱双鳳文鏡や金装大刀などが含まれていたことから,被葬者は高位の人物で,この地が中臣氏の根拠地である点からその一族と推定されている
昭和60年1月 京都ライオンズクラブ 建立
石碑 前回の記事 ➡ 石碑東0128 親鸞聖人御茶荼毘所碑 真宗 延仁寺前
五七五
こんにちは 思い出せずに さようなら
ことわざ
短気は損気
この付近 西野山古墓
西野山古墓は,大正8(1919)年に偶然発見され,副葬品が埋葬時の状態でみつかった。金銀平脱双鳳文鏡や金装大刀などが含まれていたことから,被葬者は高位の人物で,この地が中臣氏の根拠地である点からその一族と推定されている
昭和60年1月 京都ライオンズクラブ 建立
石碑 前回の記事 ➡ 石碑東0128 親鸞聖人御茶荼毘所碑 真宗 延仁寺前
五七五
こんにちは 思い出せずに さようなら
ことわざ
短気は損気
京都市東山区今熊野南日吉町145 新熊野山 正法寺
昭和47年6月
寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0386 慰偁寺 浄土宗
五七五
人生の味を濃くする趣味の数 /太田
ことわざ
理屈と膏薬はどこへでもつく
仁明天皇女御 贈皇太后澤子 中尾陵
陵は南面 画像は西を見ています
道標東0122 中尾陵
中尾陵
鳥戸野陵
泉山御陵 剣神社ヲ経テ 参道
昭和四年十一月建之 大阪皇陵巡拝会
関連記事 ⇒ まとめ042 陵墓
陵墓前回の記事 ➡ 陵墓府022 筒井浄妙墓
道標前回の記事 ➡ 道標右0121 すく 京みち たんばみち
五七五
本音ならそのまま言うてほしかった /栗田
ことわざ
朱に交われば赤くなる
境内無料開放 伝統の通し矢 楊枝のお加持
関連記事 ➡ 三十三間堂 通し矢 1分間に9本の早さで 330年前に樹立の最高記録です
ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0065 文化財保護 金剛峯寺 木造八大童子立像
五七五
目の前に押すなと書いてあるボタン /居谷
ことわざ
刎頸の交わり
樹囲 4.8メートル
高さ 30メートル
大樹 前回の記事 ➡ まち歩き上0521 京都御苑 大樹
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0584 御経坂峠 と 車止めの石柱
五七五
野に咲いて由緒正しき雑種なり /木本
ことわざ
闇夜に鉄砲
手前の面 右 とがの尾 まきの尾 たんば道
左の面 たかお道
すく 京 みち
道標 前回の記事 ➡ 道標左0120 千種塚跡 是ヨリ
五七五
もの言わぬ妻ほど怖いものはない /鈴木
ことわざ
腹が減っては戦ができぬ
清滝権現社
弘法大師が高雄入山に際し、密法の守護神として、唐長安の青竜寺よりその鎮守神青竜権現(善女竜王)を勧請したのが起こりと伝わる。小さな社殿にすぎないが、神護寺が所蔵する寛喜2年(1230)の「神護寺絵図」には「桧社」とあり、また室町時代の「神護寺伽藍図」には、楼門と並んで社殿・鳥居を構え、「清滝権現」と記名され、往時の規模の大きさが偲ばれる。この清滝権現はのちに醍醐寺にも祀られたが、醍醐寺のものはよく知られているか、ここのは殆ど知られていない。社前の老杉は京都名木の1つである。
左 清滝大権現常夜燈
右 元文5年(1740)5月
祠 前回の記事 ➡ 祠伏027 七面宮
五七五
おこしやす三十六峰蝉時雨 /古田
ことわざ
豚を盗んで骨を施す
古くは慰樵庵と称し、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗知恩院派の寺で、蓮華山と号する。天正年間(1573~92)、筑後国(福岡県)善導寺の慰樵上人によって創建され、同上人感得の善導・法然両祖師像を有することで知られる。このうち絹本緒色「法然上人像」(室町)は、俗に「足長の御影」といわれ、法然上人が建久4年(1193)愛宕山月輪寺参詣の途次、中島村にて老婆を教化し、自筆の影像を写して与えたものという。画像は普通坐像であるのに、これは「足長」をはいた立像であるのが珍しい。
関連記事 ➡ 月輪寺 山腹に建つお寺 天台宗
寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0385 真休寺 天台宗真盛派 大雄山
五七五
目を伏せて男の嘘を聞いている /宮前
ことわざ
猫も杓子も
御経坂峠
旧道 高雄に通ずる道には 車止めの石柱がありました
この車止めの向こうは
三日坂 と呼ばれています
まち歩き 前回の記事 ➡まち歩き右0583 こんなに丸い石が こんな所にある
五七五
まつり笛 古都悠久の灯にゆれる /樋口
ことわざ
文は人なり
まるで 人工物のような 丸い石 なぜ こんな所にあるのでしょう
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き滋0582 坂本ケーブル 日本最長
五七五
薄紙の剥れて京の梅雨明ける /藤井
ことわざ
前車の轍を踏む