門跡寺院 亀甲山と号する真言宗山階派の大本山
お堂の横に 愛宕灯籠 や 道標があるようだ
寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0388 西念寺 真宗大谷派
五七五
カリカリと氷かむ癖九十歳 /佐々木
ことわざ
猫の手も借りたい
門跡寺院 亀甲山と号する真言宗山階派の大本山
お堂の横に 愛宕灯籠 や 道標があるようだ
寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0388 西念寺 真宗大谷派
五七五
カリカリと氷かむ癖九十歳 /佐々木
ことわざ
猫の手も借りたい
大石太夫閉居址
昭和十三年戊寅歳五月
神遊山金地院巌谷寺前住八十三居西川堅明識
近畿三十六不動尊第二十四番霊場
尼寺三十六所十二番 大石旧跡
曹洞宗 岩屋寺
右奥深き山科の棲家岩屋
当寺実物義士木像拝観
明治四十一年十二月一日泉妙場
道標 前回の記事 ➡ 道標山0125 本尊大聖不動明王岩屋寺
五七五
ほととぎす京一望の五輪塔 /室岡
ことわざ
薩摩守
本尊大聖不動明王岩屋寺
右 上 大石旧地義士四十七人
施主 銭屋八良兵衛
天保十四年癸卯九月(1843年)
道標 前回の記事 ➡ 道標山0124 義士大石良雄寓居跡 左大石やしき
五七五
夫婦仲茶柱ひとつ和む朝 /武藤
ことわざ
馬鹿と鋏は使いよう
白字で 岩屋寺 と ➡
左 大石やしき
裏面には たくさん書かれていますが・・・・
左の道標 の裏側
道標 前回の記事 ➡ 道標山0123 大石神社 折上神社
五七五
晴れた午後抜歯宣告夏の雲 /上嶋
ことわざ
子の心親知らず
府社 大石神社
昭和10年10月 建立 大阪府 淀北義士會
山科神社
祭神 日本武尊 稚武王
寛平9年(897)宇多天皇の勅命により創建。式内社 江戸時代より山科一之宮と称される。本殿(三間社流造・檜皮葺)は室町時代後期の建立。元禄14年赤穂浪士の大石内蔵助良雄が山科に隠棲してした時、当社にて大願成就を祈願したといわれている。
岩屋寺
赤穂浪士・大石良雄の山科隠棲地であり、境内には、大石良雄の遺髪塚、および宅址の碑が建っている。
本堂の御本尊 不動明王 は大石良雄の念持仏と伝わる。浅野内匠頭長矩公の位牌を始め、四十七士の位牌と木像並に大石良雄の遺品等公開。
本堂横には討入り前の内蔵助お手植えの紅梅が今も清い薫りを放ち、当時を偲んでいる。
大石神社
祭神 大石内蔵助良雄公
元禄14年(1701)江戸城松の大廊下にて始まる「忠臣蔵」。大石良雄は赤穂藩断絶後、この地に隠棲し仇討の善後策を練ったといわれている。
昭和10年(1935)浪曲師吉田奈良丸・京都府知事らにより全国の崇敬者により創建される。12月14日「義士祭」
極楽寺
本山を知恩院とする。浄土宗寺院である。
本尊は阿弥陀如来。
大石内蔵助が西野山に隠棲していた時、浅野内匠頭の位牌を納め、香華料として田畑を寄進したとされる。
福王寺
本山を知恩院とする。浄土宗寺院である。
御本尊の地蔵菩薩は、平安時代前期の公卿小野篁の作であり、大石内蔵助が隠棲していた時の大願成就佛である。
神社 前回の記事 ➡ 神社左0110 北白川大山祇神社
五七五
夏まつり流れる曲はみな若い /竹垣
ことわざ
子供の喧嘩に親が出る
2016 12 14
岩屋寺 境内 女流講談師 一龍齋 貞寿 「忠臣蔵」
ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0066 吉例 初観音 通し矢 三十三間堂
五七五
居酒屋のテーブル拭いてしまう癖 /星井
ことわざ
三つ子の魂百まで
右 大石旧跡岩屋寺
東寺のいなり
折上神社参詣道 大正二年八月
右 大石旧跡岩屋寺
明治四十一年十二月
これ
大石神社 東
より
昭和十七年 京都中島源之
道標 前回の記事 ➡ 道標東0122 中尾陵
五七五
味わいは目から始まる京料理 /磯田
ことわざ
故きを温ねて新しきを知る