アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院北0639 東坊 浄土真宗本願寺派

2019年10月18日 17時29分22秒 | 寺院

 

 

東坊

当寺は蓮蔵院ともいい、親鸞上人の直弟子蓮願坊信光により、寛喜3年(1231)に創建された名刹である。蓮願坊は聖人から59歳時の御自作の御木像を授与せられ近江国長浜に道場を建立し日夜布教した。その後、東坊はなし本願寺御堂衆として、山科石山・鷺森・貝塚・天満の諸地を経て、天正19年(1591)に現在の西本願寺境内地に移った。

慶長16年に当寺の本尊阿弥陀如来像を西本願寺へ寄付したが、これが現在の西本願寺(これがね現在の西本願寺阿弥陀堂の御本尊である。西本願寺からは代わりの阿弥陀如来像が下付された これが現在までの当寺の御本尊であり、聖人御自作の御木像と共に安置されている) 西本願寺の報恩講法要では1月10日は当寺住職が御頭人導師として出仕することが恒例となっている。

当寺では明治以降衰退したが昭和17年(1942)当地に再興され現在に至っている。

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院北0638 浄福寺 西山浄土宗

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運動記録 10月17日  10月10回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計 1000往復

 


神社北0189 石井神社  御土居の跡に建つ

2019年10月18日 15時36分11秒 | 神社

 

 

 

 

 

 

石でできた ベンチ

 

 

 

 

 

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社長岡0188 神足(こうたり)神社 長岡京市

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京の通り003 北山通 その3・最終  から 千本北大路まで 東から西へたどる

2019年10月18日 06時40分33秒 | まち歩き

昭和24年卒業記念  現在82歳 

 昭和23年卒業  戦争が終わって わずか3年だ 現在84歳

 紫竹 西北町  待鳳(たいほう)小学校

 

祠 不動明王像 と 石仏 がありました

 

 

 

 

小学校 

 

常徳寺  牛若丸の母 常盤御前が牛若丸の安産祈願に訪れた

 

 

 

 

紫竹 東栗栖町

 

次の信号 大宮通との交差点

 

 

交通 道路案内標識

 

 

子ども用の運動靴 ケニアに届けるそうだ

 

ここらあたり 京都駅が眼下に見える

 

西向寺 裏門

 

 

 紫野 東蓮台野町

 

西向寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千本通に入る 佛教大学

 

府立盲学校幼少中学部

 

 

 

佛教大学

 

 

正覚寺

 

 

 

紫野 花ノ坊町

 

千本北大路 交差点

 

京の通り ⇒ 京の通り・北山通 その1 白川通から北山大橋まで 東から西へ

       京の通り002 北山通 その2  北山大橋から 大徳寺通  まで 東から西へたどる

運動記録 10月17日  10月10回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計 1000往復

 


京の通り002 北山通 その2  北山大橋から 大徳寺通  まで 東から西へたどる

2019年10月17日 23時06分06秒 | まち歩き

 

北山大橋

 

 

橋から北を見る

 

橋から南を見る

 

 

橋の下 南側の川沿い

 

加茂街道 橋より北方

 

衣棚通 北

 

石井神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北区 小山元町

 

北山通 西を見る

 

何でも買いますの店

 

浄土真宗 顕真学苑

 親鸞聖人ご御像

 

 

新町通 元町小学校

 

ポスター 北山モザイク

 

北山通に面した 元町小学校 門

 

道路標識  堀川北山

 

 紫竹下芝本町

 

東坊 北山通より南に少し下がる

 

 

 

 

彫刻 「寒」 北消防署  山崎正義

 

 

 

 

 

北山大宮

 

角の家 たばこの看板が残っている

 

 

電柱に貼られた 広告

 

大徳寺通 上がる

 

貴船神社 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポスター 時代まつり 今年は10月26日  毎年22日だが 即位の礼と重なるため 26日になる

 次回 続きは 北山通 3回目・最終

前回の 北山通 ⇒ 京の通り・北山通 その1 白川通から北山大橋まで 東から西へ

 今回の出発点

 


右書き看板左130 月游  和菓子

2019年10月17日 10時57分40秒 | 右書き看板

 

 

和菓子店 游月(ゆうづき)

 右書き看板 前回の記事 ⇒ 右書き看板下129  〇丸屋茶道具舗

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神社長岡0188 神足(こうたり)神社 長岡京市

2019年10月16日 22時07分40秒 | 神社

 

 

 

 

 

 

神足神社

旧神足村の産土神。式内社で、「延喜式」にのる乙訓19座の1つで「神足神社」とみえる。

また、文徳天皇の斉衡元年(854)に国の官社にあげられている。祭神は「舎人親王(天武天皇の子)」であるといわれている。

当社には「桓武天皇の夢」として次のような伝説がのこっている。<田村(神足村の旧名)>の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでおられた夢を見られたという。

天皇は目覚められ、田村にこの神を祭る社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させた。>以後、この社は「神足神社」と、田村は「神足村」と呼ばれるようになったといわれる。

付近の小畑川の近くには弥生時代から古墳時代におよぶ集落遺跡があって、この地の開発の古さがしのばれる。今は本殿と摂社埜神社があるにすぎない。

境内にある凝灰岩と社務所の沓脱石は、ともに付近の恵解山古墳から発掘した石室の天井石とつたわる。

 

 

 明治32年

 

 

 元禄17年(1704年)

 

 

 

 

 神社 前回の記事 ⇒ 神社左0187 山住神社 岩倉

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京の通り・北山通 その1 白川通から北山大橋まで 東から西へ  

2019年10月15日 21時10分59秒 | まち歩き

 

北山通の東の端 白川通北山  ここから 千本北大路まで続いています

修学院離宮・赤山禅院・曼殊院の案内があります

 

修学院 鹿ノ下町 (かのしたちょう)

 

西を見る

 

修学院離宮 赤山禅院 曼殊院 の位置案内

 

鷺森神社 の案内

 

和菓子店 游月(ゆうづき)

 

叡山電鉄 修学院駅 踏切

 

 

 

東大路の始まり 北の端

 

道標

 

明治24年9月 建立

 

 

道路標識

 

 

 

双鳩堂

 

 

 

 

 

大文字 送り火 妙法の 法の文字  妙は 草書  法は 楷書 

 

松ヶ崎橋

 

高野川 北を見る

 

高野川 南をみる

 

以前 ホテルが建っていたが

 

玄関

 

この辺り 民家の前に 石仏があるといわれ かなり 歩いて探したが 見つからなかった

 

令和元年10月6日撮影

 

 

グランドの境界  北山通りから 南に少し外れたところ

 

 

縞模様のある岩石

 

まだ収穫されていない 稲

 

大学のグランド

 

塀に食い込んだ街路樹

 

北山通に戻ってきた もちろん 西を見ています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 出発地は下の地図

運動記録 10月14日  10月9回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計 900往復


神社左0187 山住神社 岩倉

2019年10月14日 14時16分26秒 | 神社

 

 

 

 

山住神社には社殿がなくそびえ立つ山を神南備山(かむなびさん)と仰ぐ巨石を、神々の降臨する場「磐座(いわくら)」と崇めた古代信仰の遺跡である。前方の木柵を囲らした、立石の後の高く廣い巨石が神々の座「磐座」である。

「三代実録」陽成天皇元慶4年(880)の頃に(山城国正六位石座神授従五位下)と記され、千有余年を経る古社である。

天禄弐年(971)この地に鎮座の石座明神は、大雲寺鎮守の神として上蔵町(今の石座神社)に遷座以降この古社は、山住の神と号し、石座神社の御旅所となる。

10月23日の石座神社例祭には、早朝神輿の渡御があり、祭典が行われる。

神社 前回の記事 ⇒ 神社左0186 一言神社

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運動記録 10月13日  10月8回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計 800往復


道標左0251 岩倉観世音  天保6年(1835) 建立

2019年10月11日 05時53分12秒 | 道標

 

上の方に絵が描かれている

岩倉観世音

くわんおんミ

くわんおんミ

 

 天保  乙未 初冬建立

道標 前回の記事 ⇒ 道標左0250 岩倉陵 実相院宮墓 参道

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運動記録 10月10日 7回目 階段昇降14段3mを100往復  月合計700往復

 

 


愛宕灯籠左074 岩倉の風景と愛宕灯籠 

2019年10月10日 05時51分49秒 | まち歩き

 

平成30年10月8日 撮影  左上 アサギマダラ が飛んでいました

 

 

 

愛宕神社 遥拝所   遥拝所とは珍しい

明治 かな

 

関連記事 ➡  愛宕燈籠 一覧

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墓所左009 藤原藤房 遺髪塔 

2019年10月09日 07時20分23秒 | 墓所

 

 

中納言 藤原藤房は南北朝時代 後醍醐天皇に仕えた建武中興の功臣であるが、建武元年(1334)10月、恩賞・雑訴決断所などの要職につく。しかし新政を批判、諫言したが容れられず宮中を出て、岩倉の不二房(大雲寺)に遁世した。出家した。その後諸国修行の旅に出る。

この地は大雲寺の掛所不二房の旧址とつたわり、藤房の遺髪塔(宝篋印塔)がつくられた。宝篋印塔の上部(相輪)は失われているが、塔は南北朝時代の典型的な石造宝篋印塔で。

傍らに、寛政2年(1790)に建てた藤房顕彰碑があるとのこと。

関連記事 ⇒  石碑左0207 萬里小路 藤原公遺髪塔 

墓所 前回の記事 ⇒ 墓所左008  源 義経 供養塔

 

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石仏左035 岩倉三尊石仏 大きい 鎌倉時代

2019年10月08日 06時28分57秒 | 石仏

 

大きい 迫力あります

 

高さ1.9m 厚さ53cmの巨大な花崗岩の表面に定印の姿のおだやかな阿弥陀座像を厚肉彫にあらわし、右側面に11面観音立像、左側面に地蔵立像を浮き彫りになっている。岩倉に現存する石仏中でもっともすぐれている。11面観音は大雲寺の古くからの本尊である。鎌倉時代。


こちらは 右側面

 

 

ほとんど 読めない

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏右034 石仏 台座があります ちょっと珍しい

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運動記録 10月1日 開始 1回目 階段昇降14段3mを100往復

      10月3日      2回目   階段昇降14段3mを100往復 月合計200往復

               10月4日      3回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計300往復

                     6日     4回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計400往復

                    7日     5回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計500往復