カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

豆乳としあわせ

2007-09-19 | 
 僕のつれあいは豆乳が大好きである。しかし調整していないものに限る。甘いのが苦手というわけでもなさそうだが、豆乳は無調整のものに限るようだ。
 実は一緒になる前には、豆乳というのは甘い味付けのものだと思っていた。子供の頃の記憶では、豆乳はビニールに入ったものを噛み切ってから飲むものだった。甘ったるいが、豆腐よりはましだ。子供にとってはそういう認識だった。今は大人になったので、しっかりした豆腐の方がましになった。もうあの世界に戻ることなど出来ない。
 豆腐は食うものだから、特に未完成の豆乳を飲む必要もないように思える。しかしながら、そういう考えは一方的な偏見であったことが判明した。僕も付き合って豆乳を飲んでいるうちに、たかが大豆の搾り汁なのに、実に多彩な世界が広がっていることが分かった。そういえばこの汁ににがりを入れただけの豆腐の世界も、まるで宇宙のように広い。原料が多彩な世界だからこそ、加工後も多彩になるのであろう。そういう単純ながら幅のある世界が、また僕らをひきつけてやまない魅力なのかもしれない。
 つれあいは豆乳を飲んだ後に、必ずといっていいほどうっとりとして「おいしい」と感嘆の声を上げる。まあ、確かに旨いのだが、そういう意見を聞くとさらにおいしいと感じるのは確かだ。ソムリエという役割は、やはりワインに必要なように。だから豆乳を飲んでみたい人は、つれあいと一緒に飲むといいと思う。目の前の白い液体が、この上なく美しくいとおしく見えるだろう。そしてコクのある大豆の味の広がりを堪能することになる。まさしく大地の恵み。生きているとはなんとすばらしいことだろう。
 それほど魅力的なものだったのなら、付き合う前に知っておくべきだったと思う。豆乳を利用して、誘惑すればよかったのだ。今は自分で買ってきて、いつも冷蔵庫に備蓄してある。過ぎ去った日々はかえらないのである。残念だが、今のしあわせも大切だ。これからも変わらぬ小さな喜びが確実に目の前に存在する。それは風呂上りの冷えたビールのように、ささやかで確実な人間の喜びなのである。
 豆乳は飲んで旨いだけでなく、なんとなく欲望を抑制するような気がする。少なくともかなり精神的に安定感を与えてくれる。のどの渇きを癒すというだけでなく、ささやかだがしっかりとした満足感が広がるのである。
 僕は朝から豆乳と野菜ジュースを一杯づつ飲むことにしている。さらにヨーグルトだったりスープだったりはするが、ベースとなるのはこの二杯。これは実感としてかなりの満足感である。出張などでホテルの朝定食などを食べるのだが、それはそれで旨いには違いないが、御飯と味噌汁よりも、豆乳と野菜ジュースだったらどんなに良かったかと、あとでかなり後悔する。摂取カロリーが低いから、昼や夜に十分に食事が取れる。そういう安心感も手伝って、本当に頼もしい存在だと思うのである。
 味には好みもあるので何を薦めるというのはあまり意味がないかもしれないが、広島の「やまみ」の豆乳は特に旨いと思う。調整豆乳も作っているので、好みに合わせて選ぶと良い。北海道の豆を使った、特に濃い種類もある。実は今朝初めて飲んだのだが、これまでのものも十分濃いと思っていた認識が、まだまだ甘いものだと思い知らされた。これだから豆乳は止められないのである。
 朝は豆乳で夜は男前豆腐に枝豆。それこそ完結した完全人間の姿ではなかろうか。僕はそういうわけで、確実な満足を知っている。だから勝手に人類の幸福を祈ろうと思う。みなさんどうぞおしあわせに。
コメント
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