カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

熊はどこに?   熊は、いない

2024-12-31 | 映画

熊は、いない/ジャファル・パナヒ監督

 イラン政府の圧力があり、国内で自由に撮影ができない監督は、リモートで映画製作の指示を出している。そういう場面はドキュメンタリであるようで、実際の話だが、しかしこれは劇作にもなっていて、その状態で監督は、村のある事件に巻き込まれていくようになる。
 監督は映画を撮るので、滞在しているまちでも、風景などを写真などに収めているようだ。そういう場面を村人はみていて、あるカップルを写真に撮っているのではないか、と言われる。この村には文明開化側の人から見ると奇妙な風習が残っていて、生まれながらに決められた男女の関係を示す、いわゆるいいなずけのような儀式を経た女性とは、将来結婚できるというようなものが残っているらしい。そういう訳で、ちょっと問題のある男には、そのようにして妻を得たい考えがあるのだが、しかし肝心の女性はそれを嫌っているばかりか、村の別の青年と結婚を誓いあっている様子なのだ。困ったことだが、しかしそれは村の風習を壊す可能性のある事でもあって、監督はそんなことには巻き込まれる筋合いはないのだが、いわゆる証人にもなれる立場であるということなのかもしれない。映画の撮影もリモートで忙しいのに、村人の誰彼となくいろんな人がやって来て、写真に撮ったものを見せろとせがまれるのであった。
 奇妙な質感のある映画で、ドキュメンタリとも絡んでいるので、非常に乾いた演出の中、二重三重のトリックがあるようだ。基本的には監督の置かれている村の状況が主なのだが、村人の圧力のある中で、監督はそれなりに抵抗し、苦しむことになる。そういう中にあって、映画は撮り続けられていて、そういうスタッフをまとめる立場にもいる。そうして劇中の人物にも、自分の生活があるのだ。
 西側の目から見て監督の行動は、いわゆる勇気のあるものなのかもしれないが、実際の話、この程度のことで、どうして迫害される立場にいるのか、なんだかよく分からないところがある。そうなのだが、後で情報を見ると、この映画を撮ったせいで、監督は実際に逮捕されて拘束されてしまったのだという。いったいこの映画の何が悪いのかというと、やはりイランの文化を批判しているとか、体制に反発しているということになっているのかもしれない。不条理でも村の風習を守るべきだと、政府は考えているということなのか。そこまでは分かりかねるが、映画を撮るなと言っているのに、やっぱり撮ったりしていることを、とがめているのかもしれない。確かに村人は恐ろしい訳で、そういう恐ろしい村を内包しているイランという国は、信用のできない恐ろしい国だという告発、という側面があるのだろうか。そうであっても西側の僕らはこの映画を受け取って観ることができる訳で、そういうところがなんだか僕を混乱させるのかもしれない。
 ということで、やはり変な映画なのだが、結末も衝撃的で、ちゃんと映画の作りになっている。そういうところは、やはり上手い映画監督ともいえるのかもしれなくて、捕まってしまったのは、そういう意味で残念だと、僕は考えるのである。
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24年を振り返る読書2

2024-12-31 | なんでもランキング

 いわゆる小説でないというざっくばらんなくくりで。

僕はなぜ一生外国語を学ぶのか/ロバート・ファウザー著(CUON)
 体験的な勉強本なのだが、これが身に染みるものがある。日々頑張るというのは、尊いことなのである。

ケンブリッジの卵/下村裕著(慶応義塾大学出版会)
 ケンブリッジ体験記でもあるが、なかなかに凄いことなのだ。僕はこれを読んでから、ゆで卵はつい回してしまうようになってしまった。
 
私の文学漂流/吉村昭著
 著者の半自伝的物語。小説家として生きるというのは、つまりこういう事らしい。


 井上本はどれも面白いが、なるほど日本人というのは、節操もなく集団主義でもない訳だ、と気づかされる。目から鱗である。
日本の醜さについて/井上章一著(幻冬舎新書)
 ということが、建物や町並みから分かるのである。ほんとに。

「集団主義」という錯覚/高野陽太郎著(新曜社)
 そうして先の本で紹介されていたのがこれ。日本は集団主義ではないのである。和をもって貴しとなすってのはつまり、そういうのが苦手だったのだろう。これを読んだらほんとに日本人の行動がバラバラに見えるから面白いのである。


進化のからくり/千葉聡著(講談社ブルーバックス)
 ダーウィンの進化論に魅せられて研究している人々のお話。しかしながらいろんな論戦があって、みんな大変なんである。

歌うカタツムリ/千葉聡著(岩波書店)
 生物進化を考えるにあたって、スター的な存在の生き物がいる。それがカタツムリなのである。それにカタツムリ自体がなんと、人間の文明批評にもなってしまうのだ、すごい。



おろそかにされた死因究明 検証:特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件/出河雅彦著(同時代社)
 検察とか家族とか、現場を危険にさらす存在の恐ろしさが克明に記録されている。人を落とし込むのも人間だ。結構恐ろしいです。

当事者は嘘をつく/小松原織香著(筑摩書房)
 被害者の立場になってしまった人が、いかに複雑な感情に揺さぶられることになるのか、これを読んで改めて思い知らされた。だからこそ、原因究明も難しいのだ。


母という呪縛 娘という牢獄/齋藤彩著(講談社)
 これは下手なホラー小説を読むより数段恐ろしいかもしれない。母親って、毒親どころじゃない、悪魔である。

少年の名はジルベール/竹宮惠子著(小学館文庫)
 有名な自伝。僕は萩尾望都のファンだが、こういう物語だったのか、とかなり驚いてしまった。和解はむつかしいのだろうな。



ジェンダー格差/牧野百恵著(中公新書)
 様々なところで言われていることなのであるが、実証的に丁寧に理解できる。ヒステリックにやっても、物事は却って進まないのではなかろうか。




 以下の二冊は、人間の行動を促すヒント満載である。でもまあ、うまく行かないのもあるかもしれない。それでも考えて楽しめたらいいとも思う訳で……。
仕掛学/松村真宏著(東洋経済新報社)
 人を動かすデザインがある。面白さがある、って感じかも。

心のゾウを動かす方法/竹林正樹著(扶桑社)
 どういう促しが自分を動かすのか。なんてことも考えることになる。やり方だけではダメなこともあるけど、ダメじゃなくなるかもしれません。
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死体は故郷のまちへ   アルキアデス・エストラーダの三度目の埋葬

2024-12-30 | 映画

アルキアデス・エストラーダの三度目の埋葬/トミー・リー・ジョーンズ監督

 メキシコとの国境付近では、カウボーイたちが牛を飼っている小さな町がある。そこでメキシコからの移民の男が遺体となって発見される。それがアルキアデスだ。親友だった老人カウボーイは犯人を捜すが、どうも新しく来た国境警備隊の若い男が、誤って撃ち殺したものらしいことが分かる。しかし警察や警備隊たちは、どのみち不法移民だった男の殺人なんて興味が無い。アルキアデスは生前、自分がこの地で死んだら、メキシコの故郷のまちに埋葬して欲しいと語っていたことがあった。老人は犯人の若者を拉致し、遺体とともに国境を越えて、そのメキシコのまちを探しに旅に出るのだったが……。
 不思議な雰囲気のある展開で、なにか殺伐としている。楽しみなんてほとんど無いので、男女間は不倫であふれている。国境警備隊に新しく配属された男は新婚で、妻の方はこの町が面白く感じていない。国境のまちなので、不法移民がひっきりなしにアメリカにやって来る。警備隊は少しピリピリして、これらの任務にあたっている様子だが、まちには既に移民がカウボーイなどの職を得て、ふつうに働いてもいるのである。
 おそらくだが、そういう社会的な背景もあっての、多少は批評めいた解釈も可能な状況を描いてもいるようだ。そのうえ良心や倫理観から、意味もなく殺されてしまった男の意志は、尊重されなければならない。旅先でも不思議な状況はあって、盲目で孤独に暮らしている老人や、死んだ男の過去が、すでに葬り去れたメキシコの現状などもある。彼らがやっていることは、ある意味では茶番だが、しかしそういう風にして何もなかったことにしても良いのだろうか。いや、いいはずが無いじゃないか、ということなのだろう。
 死体をめぐっては、題名の通り何度も掘り起こさなければならない状況になるのが、いわゆるコメディにはなっているのだが、なんとなくそんなものを見せられて、困惑してしまう。殺してしまった犯人は、いわば罰ゲームのように、それらに翻弄される。必死で逃げようともするが、老人は狡猾なところもあって、とても逃げきれるものでは無い。自分のやっていることの意味などよく分からないが、最終的に殺されてしまうかもしれない恐怖におびえながら、従うよりほかに無いのである。それこそが、罪の償いの意味でもある訳だが……。
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24年振り返り。読書編1 小説

2024-12-30 | なんでもランキング


 小説から始めるけど、いつも断っている通り、あんまりというか、かなりタイムリーではない。小説は特に、読みだして止まらないようなら読むし、かなり放ってしまうものが多い。拾い読みには向かないし(読み返すのでなければ)、その時の気分がかなり影響している。

殺人者の健康法/アメリー・ノートン著(文藝春秋)
 かなり偏屈なノーベル賞作家にインタビューする形式の会話もの。ほぼ戯曲である。これが意外な展開を見せて……。

漂流/吉村昭著(新潮文庫)
 無人島に漂流したものが、苦闘の上に生還するお話。本当にすさまじい執念を感じる。

きらきらひかる/江國香織著(新潮文庫)
 ホモとアル中が結婚して、その夫婦生活を綴っている。なんだか今風に、時代の方がこの小説に追いついているのではないか。

台湾漫遊鉄道のふたり/楊双子著(中央公論社)
 グルメものかと思いきや。百合小説と言われるものだった。男の僕が読んでも面白いので、普遍性があるのではなかろうか。確か角田光代が紹介したので読んだが、そうでなければ読まないものだったので、二重に良かった。

街とその不確かな壁/村上春樹著(新潮社)
 買ってはいたが読んで無かったな、と手に取って、久しぶりに村上ワールドにどっぷりつかった感じ。なんとなく、懐かしさも感じた。

楢山節考/深沢七郎著(新潮文庫)
 これは向井万起男さんが日本文学の最高傑作として本書をあげていて、むむむ、と思って本棚を見たらあったので読んでみた。映画やドラマとは、確かに一味違うものだった。寓話だけど。

水死/大江健三郎著(講談社)
 大江作品は読みにくいので嫌いなのだが、最後なのでいいだろう。それに読みにくいけど、慣れはするのである。なるほどなあ、とも思えるし。

ゆがめられた昨日/エド・レイシイ著(ハヤカワミステリ文庫)
 黒人差別のある中、殺人容疑をかけられ逃げながら自分で事件を解決するよりない窮地に陥った男の話。あんがいに面白かったので。

運命/国木田独歩著(岩波文庫)
 古いのだが、必ずしも古くさくはないし、不思議さもあるし、感動もある。一言でいうと、文章が上手いとはこういうものだろう。

怖い話と短い話/結城昌治著(中公文庫)
 嫌な感じが残るものも多いが、ひねりが利いていて面白いのである。
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おとぎ話は現代の方が向く   アラビアンナイト 三千年の願い

2024-12-29 | 映画

アラビアンナイト 三千年の願い/ジョージ・ミラー監督

 考古学や神話の研究をしている女性が、イスタンブールで古いガラスの小瓶を買う。ホテルの部屋に入ってその瓶をこすると、中から魔人が出てきて、三つの願いをかなえてやるという。まさに神話の世界の話なのだが、魔人は3000年にも渡る歳月、魔法で閉じ込められる人生を送っており、その時代時代で、さまざまな体験をしてきたという物語を語るのだった。
 不思議な体験を映像の世界で体験するという、映画ならではのおとぎ話である。最初から何か不思議な魔力に満ちた者たちが、時折彼女の周りに現れてきており、なにかが起こる予感はしていた。しかし実際に魔人が現れて不思議な話を聞かせてくれると、何やら彼女は落ち着いて物事を考えられるようになり、ちょっと不思議な選択をすることになる。
 おとぎ話が現実になると、このように頭のいい専門家の女性はどうするのか。そういう意味では実験的なことかもしれない。物語られる物語にしても、人の運命の不思議は感じられるものの、本当の歴史というよりは、おとぎ話や民話といった趣である。むしろ魔人はそれに振り回されて、瓶の中などに閉じ込められることになってしまうのだ。出してくれたお礼に願い事を叶えてくれるというのだから、ふつうなら富であるとか、具体的な欲望につながるものを願いそうなものだが、やはり願いには裏があるという考えもあるのかもしれない。僕としても見ながらそれを考えていたのだが、永遠の命などは願えないらしいし、いくつも願いを増やすこともできない。厳選して三つというのは、十分なのか少なすぎることなのか、よく分からなくなっていくのだ。それほど実際の人間は欲張りだし、願い事のセンスというようなものがあるのかもしれない。
 ほとんどはCGであることはそうなのだろうが、このようなお話というのは、アニメでなければ、以前ならまったく上手く行かなかったことだろう。荒唐無稽でありながら、一定のリアリティのようなものが保たれた上でのファンタジーというのは、現代だからこそもたらされることになった映像美術だろう。昔話が中心だが、現実には極めて現代的なお話にもなっていくのである。三千年も前からガラスの瓶は無かっただろうとは思うけれど、それはそれで、楽しい現代のおとぎ話なのであった。
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24年を振り返る4は日本映画編

2024-12-29 | なんでもランキング

 邦画を分ける必要はないのかもしれないけど、やっぱり別物感があるのは確かだ。僕は日本人なので、邦画の細部は感覚的にわかる部分が深くなる。そういうのがいいのかもしれないし、逆に合わないものもあるのだが……。


愛なのに/城定秀夫監督
 一種のポルノには違いないが、なんとなく考えさせられた。この映画が一番ってわけではないが、一連としてよかった。
 
猫は逃げた/今泉力哉監督
 なんですかこの話は、という奇妙なコメディになっている。笑えると言えば笑える。
 
 これは、荒唐無稽なんだけど、ちょっと感心してしまった。面白いんではなかろうか。
怪物の木こり/三池崇史監督
 
さがす/片山慎三監督
 これもなんだか変なものを見ている感覚はあったのだが、変なりに面白いのである。

 タイムループ物は好きなのかもしれない。
リバー、流れないでよ/山口淳太監督
 なんとなくこの場所に行ってみたい(行ったことあるけど、食事したことないんです)。

夜を走る/佐向大監督
 どんどん変な具合になっていく感じが、ホラーと言えばそうである。


福田村事件/森達也監督
 なんとなく知っている話なのだが、日本人の恐ろしさを知るのもいいのでは。

 これはポルノだけど、やっぱり面白い話だと思う。
欲しがり奈々ちゃん~ひとくち、ちょうだい~/城定秀夫監督
 

ベイビーわるきゅーれ/阪元裕吾監督
 脱力系アクション映画。今一つ僕はノレないものがあるけど、ハマる人が多いのもよく分かります。 

市子/戸田彬弘監督
 まあ、共感できないけど、なるほどね~、とは思った。

罪の声/土井裕泰監督
 よく出来てるな、と感心したので。誰でも知ってる話でこういう芸当ができるとは、驚きである。

怪物/是枝裕和監督
 いわゆる羅生門映画。再生産で、作りが上手い。



 ワーストであるが、笑えると言えば、そんな見方もできるかもしれない。
リボルバー・リリー/行定勲監督
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たくさんの犬たちの名演   ドッグマン

2024-12-28 | 映画

ドッグマン/リュック・ベッソン監督

 久々に観るリュック・ベッソンの本人が監督した作品。それだけに、何かセンセーショナルな感じがする。
 負傷している女装の男性の車が止められる。荷台にはたくさんの犬が乗っている。逮捕後に彼の語るお話が、映像とともに再現される。この男の過去は悲惨なもので、父親から虐待を受け、その狂った親から犬小屋の中で飼われる生活を送る。その時の虐待で指の一部を失い、半身マヒになる。しかしながら犬と共に暮らしたために、極端に犬との共感が得られる能力が磨かれ、犬を自在に操れるようになる。そうして犬を使った犯罪を行うようになり、しかしその為に、人殺しヤクザに追われることになってしまうのだった。
 まあ、荒唐無稽なものだが、そういう漫画チックなものを映像化するのが、この監督の得意技である。日本の漫画家みたいな人なのだ。しかしながら欠点を最初に言っておくと、おそらく動物愛護の精神があるのか、人間は激しく虐待されるものの、犬自体が残虐に殺されるという感じはほとんど無い。銃を乱射する場面があっても、どういう訳か犬には当たらないらしい。こういう感じはなんとなくシラケるもので、犬自体は素晴らしいのは分かるが、物語としての映像的な犠牲は必要だろう。それに語られてはいないが、その後の引き取りが順調らしいことは示唆されているものの、そんな簡単な問題じゃないだろう。娯楽的には、バッサリとそういう問題は消えてしまうのである。
 そういう訳で、切れ味はあんまりよくは無いのだが、そのドックマンとしての悲惨な半生を語りたい物語なので、それはそれでいいのだろう。自分を表せる生き方をするためには、不自由がありながらも、ドッグマンになるしか方法が無かったのかもしれない。自分本位の犯罪を繰り返しながらも正当化し、曲がりなりにもそれで犬と共に暮らしを成り立たせていかざるを得ない。犬たちは実際には寿命の関係で入れ替わっているはずなんだけれど、それらの犬たちを受け入れながら(ある意味で保護しているということらしい)、それなりに自由に暮らすには、こういう方法しかなかったということなのだろう。
 いわゆるゲテモノ趣味的な、どうだ、っという見栄を切っているわけだが、まあ、そうかもね、という気分にしかなれないところが、今の監督の限界かもしれない。以前の振り切った勢いのようなものが、少し足りない感じかもしれない。もっとも、それが味なのだと言えばそうかもしれないので、たくさんの犬たちの演技を眺めて楽しむのも一興だろう。
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昨年の振り返り3 アクション偏

2024-12-28 | なんでもランキング

 娯楽アクションは、基本好きなのです。気楽に観ているけど、案外考えさせられもするんだよね。
 
炎のデス・ポリス/ジョー・カーナハン監督
 邦題はダサいが(原題はcopshop=警察署)、侮ってはならない。変な映画だけど、素晴らしいです。

SISUシス不死身の男/ヤルマリ・ヘランダー監督
 フィンランド映画。なんと!つるはしでナチスと戦うじいさんの話なのだ。

 シリーズもので、今頃知った僕が悪かった。なかなかに爽快なアクションだ。

イコライザー/アントワン・フークア監督
 はじまりはこれ。やはり原点的にこれが良かったからシリーズになったことがよく分かる。

イコライザー2/アントワン・フークア監督
 そうして次作のかっこつけ方も様になっている。ほんとにかっこよすぎです。

イコライザーthe final /アントワン・フープア監督
 ここまでくると漫画過ぎるけど、まあ、いいのです。ファイナルって残念だな。
 
 次も続き物だが、一作目は前に観た。三作目は正月に観ようと思っている。
犯罪都市THE ROUNDUP/イ・サンヨン監督
 

 これも続き物。アクションものは成功すると次作が出るのでいいですね。そうしてこれもかっこよすぎます。
コンフィデンシャル:共助/キム・ソンフン監督
 足を引っ張る側が韓国で、かっこいいのが北朝鮮、という図式がまたいいのかもしれない。

コンフィデンシャル:国際共助捜査/イ・ソクフン監督
 アメリカまで交えてかっこつけるのでいいのである。まあ、ちょっと俗っぽくなってしまっているけど、いいでしょう。
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帰ってきた記憶のないお父さん   父は憶えている

2024-12-27 | 映画

父は憶えている/タクアン・アリム・クバト監督

 舞台はキルギスらしい。23年前にロシヤに出稼ぎに行ったまま行方が分からなくなっていた父親は、言葉も記憶も失った状態で帰ってきた。息子も家族も大いに戸惑うものの、なんとか記憶が戻らないものか、見守りながら受け入れていく。しかしながら妻である女性は、夫が死んだとばかり思っていたこともあり、まちの有力者でもあるヤクザ者のところに、再婚して嫁いでいた。キルギスの村では、イスラムの教えにのっとって、そのような序列社会が出来上がっているようだ。戻ってきた男は、坦々と町にあるごみを集め、息子のトラックに載せていく。そういう仕事をやらなくてはならないとでも、思いこんでいるようだ。昔の友人や知り合いなども訪ねてきて、なんとか記憶が戻らないか話しかけたりするのだったが……。
 まあ、それだけの物語りと言えばそうだが、長い間不在だった男が戻ったことで、村に不協和音が響き渡るようになる、ということかもしれない。男の存在は、誰にも知れ渡る事件ではあるが、帰ってきた男は、無言のまま坦々とごみ集めなどの仕事をするばかりである。息子は混乱して嘆き悲しむが、父の記憶などとても戻りそうには見えない。嫁ぎ先の母のこころも乱れて、厳しい戒律のある村の中で、いったいどうしたらいいというのだろうか。
 おそらく、あちらの社会では、夫のいる女性はよそに行く訳にはいかない厳しいおきてのようなものがあるようだ。もちろん別の社会にもそれはあるだろうが、もっと違うレベルでの何かだ。さらに死んだと思われたからこそ、別の男のところに行ったのだが、そうなると、その男と離縁することは、またもや厳しい戒律の中で、問題が大きなことであるようだ。メンツのようなものもあるし、家的な問題もあろう。映画では、そういう葛藤を描く目的があるようなのだ。
 しかしながら僕らの社会では、そういうことは、本当に大きな問題ではない。まあ、こういう状態は困ったことであろうが、帰ってきたものは仕方がない。戦後死んだと思われた兵隊の未亡人は、何年かしたら再婚した。その後帰ってきたとしても、多くの妻は戻ってはこなかった。新しい家族ができていたからである。日本の場合はそうなるが、キルギスではどうなのだろう。そんなことも思うのだった。
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振り返り映画2

2024-12-27 | なんでもランキング

 いい作品を紹介する、ということから残念ながらもれたけれど、なんとなく引っかかるものがあるので、番外として紹介します。


声優夫婦の甘くない生活/エフゲニー・ルーマン監督
 旧ソ連から移住したユダヤ人、というのも多いらしい。なかなか大変である。

ノベンバー/ライナル・サルネット監督
 舞台がエストニアの寒村。いったいなんじゃこりゃ、と思いました。


逆転のトライアングル/リューベン・オストルンド監督
 これはひどい設定の人間残酷物語。笑えないけどコメディである。
 
ストーリー・オブ・マイ・ワイフ/イルディコー・エニェディ監督
 うーん、振り回されているわけだが、抗えないものなんだろうね。分かるから怖いというか。

インフル病のペトロフ家/キリル・セレブレニコフ監督
 奇妙な映画としか言いようが無くて、しかし妙な中毒性がある。面白いかどうかも、よく分からない。

幸せへのまわり道/マリエル・ヘラー監督
 なんとなく引っかかるものがあった。アメリカ人の良心というのは、こういうものがあるのである。

カード・カウンター/ポール・シュレイダー監督
 こういう映画を好きなんだと思う。必ずしも成功して無いんだけど、好きだから楽しめるのである。



 で、昨年観た最悪の映画だったのこれ。
aftersun/アフターサン/シャーロット・ウェルズ監督
 批評家の多くが大絶賛する作品なんだよね、これが。人の言うことは信用できません。
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個性的でいい先生は報われない   ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

2024-12-26 | 映画

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ/アレクサンダー・ペイン監督

 英国の名門男子校があって、そういう学校は全寮制が当たり前のようである。そこで、いわゆるクリスマス休暇であるが、事情があって帰省できない生徒が複数人居る。その世話役に癖のある歴史の教師と、厨房のおばちゃんが残ることになる。せっかくのクリスマス休暇に家族と過ごせないことは、この国ではともかく不幸なことらしい(日本もそうかもしれないが)。ただでさえ不幸なことであるのに加え、日頃から好きではない先生と長い時間共に過ごすことになるのは、最悪を超えて酷い罰ゲームのような日々なのだ。しかしながら先生はどんどん調子に乗って、生徒から見ると悪ふざけを重ねる毎日が続いていくのだったが……。
 改めて監督さんの名前を見て、ああ、そういえばこの監督さんって面白くない人だったな、と思い出した。皮肉が強すぎる作風で、オーバーアクトでは無いのだが、冷めた笑いというか、ちょっと鼻にかけたところが強くて、日本人の僕には、なんだかあんまり笑えないのである。ひとの見た目(先生の斜視であることを馬鹿にしているなど)異性にモテない寂しさ、見栄を張って嘘をつくなど、そういうのは特におかしなことには感じないのである。確かに思い当たるところはたくさんあったのだが、今作品は、主演の俳優の個性は活きていて、結末は気に食わないにしろ、いくぶんかは笑いは理解できた。僕も年を取ってしまったということなのかもしれない。
 いろいろと不幸だったり痛いところのある人生だとしても、それがおかしいという人生の悲哀は、つまるところ思い違いなところもあると思う。彼らにとっては、いわゆる日本の中二病と言われるような、ひねたものの考え方を、大人になってからもしている様子なのだ。もちろんそれで大人社会では浮いてしまう訳だが、それでもそのペースを変えることはできない。いわばそれは、信念でもあるのだ。廻りは諦めたり嫌悪したりしているが、ちょっとした理解者のような人は、結局うわべだけのことで、深い付き合いにはなり得ない。あるきっかけがあって、その悲哀の中に、その人のいい部分が見え隠れすることを見つけられることは、ある意味で、やはり同類でなければならないのだ。
 日本の集団生活とはだいぶ違う英国風なのだが、だから厳しい環境であると言っても、日本のそれと比べると、かなり自由だし、しかし一方で親の圧力は封建的だ(日本はむしろ逆だ)。結局金がものをいう世界のようだし、不公平である。本当はいい人というのは、日本では報われることだが、かの国では結局馬鹿にされても仕方がない。賢く生きるというのは、国によってかなり事情の違うことなのであった。
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観た映画を振り返る

2024-12-26 | なんでもランキング

 2024年に僕が観たという限定の恒例振り返り。

ペルシャン・レッスン 戦場の教室/ヴァデム・パールマン監督
 この映画の緊張感は、なかなか珍しいのではないか。ナチスものでこのような設定が埋もれていたことにも驚かされた。名作ではなかろうか。

以下の二作は、なんとなく似てもいる。観ていて本当に考えさせられるいい映画だ。
ありふれた教室/イルケル・チャタク監督
 若い正義感の強い女教師が、何も悪く無いはずなのに追い込まれていく。見せ方、構成が素晴らしい。

落下の解剖学/ジャスティーヌ・トリエ監督
 ゆわゆる、ミステリにはなるのだが、その考え方が実に心を揺さぶられる。恐ろしくもあるかもしれない。




パスト・ライブス/再会/セリーヌ・ソン監督
 そんなに意外性はないはずだが、ちょっと意外にも感じた。残酷なんだけれど、そういう思いというのは残るものなのだ。

告白、あるいは完璧な弁護/ユン・ジョンソク監督
 ちょっとした訳の分からなさに混乱させられるが、それがまた、不思議な驚きと感慨をもたらす。凄い映画なのかもしれない。

レッド・ロケット/ショーン・ベイカー監督
 はっきり言ってしまえばおバカ映画なのだけれど、こんなバカな男が何故だか憎めない。

幸せの答え合わせ/ウィリアム・ニコルソン監督
 これは息子としても困るだろうな。夫婦の溝の深さも考えさせられる。

パラレル・マザーズ/ペドロ・アルモドバル監督
 外国人の身勝手と自由さには驚かされるのだが、親子というのは、やっぱり不思議だ。

ロスト・キング 500年越しの運命/スティーブン・フリアーズ監督
 実話も基本的にはそうだったというのが、やはり驚かされるのである。

一秒先の彼女/チェン・ユーシュン監督
 一つくらいは楽しい映画を。まあこういうファンタジーが起こると面白いけどね。

死体が消えた夜/イ・チャンヒ監督
 これはリメイク作品なんだが、韓国の状況と合っているとしか言いようがない。よく出来ている。

 ベストテンにしようと思ったけど、一つ多かった。ま、はっきりした順位というのは無くてもいいことなので。
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イメージとしてのラーメン屋

2024-12-25 | 時事

 食べることと言えば、ラーメン談義になることはよくある。しかしこれは、分類して語らないことには、なかなかに難しい。一緒くたにできない問題がたくさんあるように思う。そんなに難しく考える必要などないのは分かっているのだが、そもそも単純な問題ではないのだ。
 ふつうは時系列に語る方法があるのだが、一旦それは無視する。僕は意識的にラーメンからは距離を置いていて、今は特に重要ではなくなってはいる。それで客観視できるまでになったとは思うのだが、だからと言って複雑な糸をほぐせるほどには無い訳だ。ただ単に思いつくことどもを、ラーメンとして語るよりない。
 僕が何となく考えるラーメンは、寅さんが駅前の時間つぶしの腹ごしらえに食べているようなものが、イメージ的にはスタンダードなのだ。しかし、実際に僕がそんなことをしていたのか、というのは、体験上少ない。京都の駅前には有名なラーメン屋があって、そこではそんなまねごとをしたことはあるが、しかし大変な繁盛店であり、落ち着かないものだった。黒いスープに味の方はあんがい飽きのこない風味があって意外な感じだが、若いまち京都という感じもして、なるほどと感心した。朝から別の店でもラーメンを食べていて、そこでは少し強烈さも感じたので、駅前のラーメンと言えば、なんとなく京都なのである。もうしばらく行く機会はなさそうだけれど。
 東京のラーメンは、東京のラーメンと言ってしまっていいほどには典型的ではなくなっている。それこそ寅さんの駅前ラーメンではないが、ふつうなら関東なので、醤油味のメンマとチャーシューという感じだったはずなのだが、あんがいそんな感じのものこそ、懐かしく少なくなってきている。東京に行ったのに、九州の豚骨というのは結構あるものだし、学生のための二郎系というのだって、慶応大学前だけでなく、今はほとんどの駅前にある。全国区のものがあるとはいえ、そういうところはものすごい行列で、昼時なら探さなくても目に付く。並んでいる人数でげんなりして、もちろん並ぶことまではしない。だからあんがい、東京ラーメンは知らないままなのかもしれない。
 長崎はラーメン文化では無いとされるが、僕の生きているスパンで考えると、それなりに前からラーメン屋くらいはある。もっとも、多くのラーメン屋では、ちゃんぽんも食べられるものだった。近年はそれこそラーメンだけの専門店の方が増えたが、チェーンだったり、いろいろ事情がありそうだ。地元のラーメン屋というのは当然あって、僕だって小学生のころからなじみがある。いわばそれがスタンダードなのかもしれないが、おいしいけれど長崎のラーメン屋としては、少し変わっている味でもある。その後いろいろなラーメン店ができて、生き残っているものもあるし、消えたところもある。ラーメンというのは、実際に工夫して作るようになると、原価がそれなりにするという事らしく、ぼちぼちやっていたのでは、経営が厳しくなってしまうという(逆に原価の低い店もないではないのだが、いちおう流行りを狙うラーメン店のことである)。いつもお客さんが来てくれるような店でなければ、簡単に淘汰されてしまうのだ。まあ飲食店というのは、なんであってもそういうものではあるのだろうが。
 なんとなく周辺のことを言っていたら、ラーメンの何の話をしようかというのを忘れてしまった。また、思い出したら考えてみます。
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生きづらい世の中にあって……   栗の森のものがたり

2024-12-25 | 映画

栗の森のものがたり/グレゴル・ボジッチ監督

 スロベニア映画なのだそうだ。いわゆる西側諸国の映画作りの文法とは違うつくりである。神話なのか、現実なのか。その現実も、果たして本当なのか、それすら明確ではない。それでも現実的な厳しさは伝わってくるし、しかしファンタジーもしっかり同時進行している。娯楽作かと言えば、ちょっと自信はないが、面白くないわけではない。ゲラゲラ笑うような作品ではないし、感心しすぎるような、芸術映画でもないのである。
 しかしながら、貧しいながらもまじめすぎる老人は、同じく年老いて死にかけている妻を病院に連れて行ったりしている。そうして不思議な家にいて、そこで戦争で帰ってこない夫を待つ女性の手助けもする。それが栗の森の中の出来事、という訳だ。あんまりスジがドラマチックに展開するわけではないので、いったい何のことかは観ていてもよく分からないのだが、厳しい現状と、嘘ばかりの世の中にあって、うまく立ち回れはしないが、何とかやっていくしかない人生がある、という事なのかもしれない。そうじゃないかもしれないが……。
 ともかく、奇妙なものを観てしまったという、感慨には浸れるだろう。冒頭の数あての遊びは、僕が中国に居た頃に、飲み屋で多くの人が遊んでいた賭け事である。スロベニアでもまったく同じ遊びがあるんだな、と驚いた。ひょっとすると日本でも昔の人はやっていたのかもしれないが、今ではすっかりすたれてしまったように感じる。要するに酒をたくさん飲むより娯楽が無いので、このような遊びをやるわけである。映画ではおそらく何かお金をかけていたのかもしれないが、いかさまに敗れてしまう。マジメにやれば強いのに、そういう正統派は、なかなか生きづらいのだ。仲間も少ない様だし。要するにそういう生き方をする人間は、いつの世もつらいことになる。まあ、それでも適当に生きることもできないわけで、なかなか難しい問題なのであった。
 日本人なら植木等みたいな、素晴らしい先輩がいる。まあ、あのように生きるなんてことができないから可笑しいのだけれど……。
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忠臣蔵は好きじゃないのに

2024-12-24 | 境界線

 僕はあまのじゃくだからかもしれないが、忠臣蔵が今一つ好きではない。忠臣蔵は、それこそ子供のころから数多く見ているドラマであるが、その子供ごころにも、どうにも納得のできないところが多かった。かたき討ちをする物語はたくさんあるけれど、特に忠臣蔵だけが、いけないような気がする。なんとなく倫理感や正義感に欠けている気がするのである。なんといっても、やり方がとても卑怯に思えるのが一番である。僕の家が特殊ということは無いだろうが、弱い者いじめはしてはいけないと繰り返し教えられてきた。忠臣蔵は、その真反対にある行為をやったうえに、それを讃えてもいるのである。日本人は何と卑怯な人種なのかと、目を覆いたくなる愚行ではあるまいか。
 松の廊下での出来事が発端のようだが、これは実際に謎が多いのだというのは後で聞いたことだ。浅野の証言は残っているようだが、吉良は一言も弁明をしなかったとされる。原因は今一つ分からないが、二人にトラブルはあって、浅野が切りつけたのは事実で、武士が公然の場で、武士同志の刀のやり取りをしたのだから切腹になったのである。吉良はおとがめなしと言っているが、屋敷は引っ越しさせられた上に、役職も解かれてしまった(自分でやめたことにさせられた)。いわゆるおとがめは、あったとみる方が普通だろう。
 さらに敵討ちだが、かたき討ちは基本的に身内がやるものであって、家来がやることではないらしい。それでも強引に仇をうつことにしたのは、ちょっとけったいである。大衆がその大義に盛り上がったのは確からしいが、そういう期待感にこたえることと、おとがめなしになる可能性を見誤った可能性が高い。それで実際に切腹させられたのだから、殺された吉良家の人々は、まったくの殺され損である。その後物語の着色が加えられ、大ヒットしたわけで、やはり大衆芸能として、さらに事実が混ざっていることで、皆が興味本位に面白がる題材だったのであろう。大衆からすると、日頃いけ好かない連中であるが、まあ、武士も大変だというのが分かるし、要するに任侠ヤクザものなので、面白がられたのであろう。
 大勢で弱いものを、寄ってたかって斬り殺した事実は、本当に後味の悪いものを残している。さらに切腹してヒーロー視されているのも、気持ちが悪いことだ。僕は子供のころに忠臣蔵を初めて見た時から、この話は胡散臭い、と感じた。しかし毎年繰り返し放送があるのである。いったいこれはどういうことなのだろう。
 しかしながら、僕は泉岳寺で四十七士にちゃんと線香をあげているし(あそこは本当に線香が絶えない場所なのだ)、両国でたまたま吉良邸跡地にいって手を合わせている。江戸城跡地の松の廊下あたりにも、散歩で行ったこともある。なんだかんだ言って、有名だから興味本位で観光してきたわけだ。確かにその場所にいってみて、実際にそんなことがあったのだな、という感慨に浸ることは、それなりに有益であったかもしれない。嫌な話だったのに、あまりに日本で有名なので、それなりに僕は影響を受けている可能性が有る。いわゆる日本で起こった事件において、これほどのものは、やはりそうそうない事なのであろう。
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