やっと田植えが終了した。心の底から嬉しい。今日は「さなぼり」が某所で開催される運びとなった。関係者の皆さん本当にお疲れ様でした。
さて、その田植えの仕上げをすっぽかして昼より夏越の会議に参加。その前に開催された臨時理事会には間に合わなかった。本当にごめんなさい。言い訳に過ぎないが、ああいう作業中に中座できるものではないのだ。もちろんもう少し早く終わる予定が、例の「レクリエーション」と揶揄されたスタッフの根性により、熱心に補植がなされたためであるのだが…。
会議に参加している皆さんも作業着姿の人が多かった。現場から駆けつけた感が強く、汗臭そうな連中が並んで物々しい。見た目の良さと清潔感は皆無だが、若者が肉体労働をしているという感じがとてもよかった。これは僕の偏見だが、「健全」とはこのことではないか。多くの若者はちゃんとがんばっているのである。
さて、職場に戻ると、提出資料の締め切り前に悪戦苦闘するスタッフの姿が。二十数年間、提出期限に間に合わなかったことは一度も無い。しかし今回は完全提出が不可能であるミスが発覚した。これも忙しすぎて単純に見過ごしてしまったミスである。ここに来て唖然とする思いだ。物理的に修正する時間を考えると完全にアウトだ。残念だが、指摘を覚悟で後で追加して送付することにする。ずるいがやるしかないので割り切るだけである。いろいろ話を聞いていると、他にも小さなミスを発見する。ちょっと任せすぎていたのかもしれないと反省する。ものすごく分かりきっていることばかりで、気持ちがたるんでいたのだと思う。どうして、という思いもあるが、ここで怒っても仕方が無い。やれることを坦々とやるのみだ。いや、やってもらうのを待つという感じだけれど…。ここは辛抱なのである。
さて、最近はどういうわけかニュースを見たりする。長時間見ると精神衛生上良くないが、ちらりと見るぐらいはまあ、いいだろう。
相変わらずミートホープ社叩きは続く。雨水で肉を解凍していたという。エコロジーともったいない精神を賛美したものではないようだ。一般の会社ならそう考えるほうが自然だと思うが、大変に不思議だ。
宮沢元首相が亡くなっているようだ。既に死んでいたと思っていた人も約一名身近にいた(特に誰かは秘す)ので笑ってしまったけれど、この好意的報道にも驚いた。死人に鞭打つというのもどうかとは思うが、見た目の優しさはあるけれど、この人は日本にとっては罪深い人間の代表なのではなかったか。この人の事なかれ主義や米国追従のせいで、どれだけの人間が被害をこうむったことだろう。失われたものはあまりにも大きい。そして取り返しはつかない。もう少し時間がたてば、恐らく極悪人になるはずの人だろう。というか、みんな目を覚ませよ、という気分だ。
今朝の新聞を読んでいると、「男のクセに」という表現はセクハラかどうかという話題があった。ほとんど意見は二分されているようだが、女性のほうがややセクハラでない、という意見が優勢のようだった。女の人は、男らしくない男に厳しいらしい。セクハラかどうかという意見を問う姿勢自体が僕は好きではないけれど、セクハラで苦しめられていると考える女性が、男性に反撃するよすがとして、この表現をアリにしたいという苦悩が垣間見られた。
男は女より弱いというのは誰が考えても事実だと思うが、そう考えていない人が本当にいるのだろうか。僕にはそういう感覚が不思議でならない。例えば同じく、「女のクセに」という表現であれば、間違いなくこれはセクハラ判断が優勢であろう。それぐらいこの問いは恣意的なのである。男を罵倒したい女が多いということはなんとなく分からないではないが、女に許されて男に許されない表現の方が社会的にははるかに多すぎるとは思う。
まあ、世の中それぐらい不公平でもいいけれど、自分の不幸に無自覚な女性は世の中に多いのだなあと感慨深かった。厳しい言い方かもしれないが、社会より個人に幸不幸の根本的問題は隠されているのである。方向を見誤ってはならないと思う。
さて、その田植えの仕上げをすっぽかして昼より夏越の会議に参加。その前に開催された臨時理事会には間に合わなかった。本当にごめんなさい。言い訳に過ぎないが、ああいう作業中に中座できるものではないのだ。もちろんもう少し早く終わる予定が、例の「レクリエーション」と揶揄されたスタッフの根性により、熱心に補植がなされたためであるのだが…。
会議に参加している皆さんも作業着姿の人が多かった。現場から駆けつけた感が強く、汗臭そうな連中が並んで物々しい。見た目の良さと清潔感は皆無だが、若者が肉体労働をしているという感じがとてもよかった。これは僕の偏見だが、「健全」とはこのことではないか。多くの若者はちゃんとがんばっているのである。
さて、職場に戻ると、提出資料の締め切り前に悪戦苦闘するスタッフの姿が。二十数年間、提出期限に間に合わなかったことは一度も無い。しかし今回は完全提出が不可能であるミスが発覚した。これも忙しすぎて単純に見過ごしてしまったミスである。ここに来て唖然とする思いだ。物理的に修正する時間を考えると完全にアウトだ。残念だが、指摘を覚悟で後で追加して送付することにする。ずるいがやるしかないので割り切るだけである。いろいろ話を聞いていると、他にも小さなミスを発見する。ちょっと任せすぎていたのかもしれないと反省する。ものすごく分かりきっていることばかりで、気持ちがたるんでいたのだと思う。どうして、という思いもあるが、ここで怒っても仕方が無い。やれることを坦々とやるのみだ。いや、やってもらうのを待つという感じだけれど…。ここは辛抱なのである。
さて、最近はどういうわけかニュースを見たりする。長時間見ると精神衛生上良くないが、ちらりと見るぐらいはまあ、いいだろう。
相変わらずミートホープ社叩きは続く。雨水で肉を解凍していたという。エコロジーともったいない精神を賛美したものではないようだ。一般の会社ならそう考えるほうが自然だと思うが、大変に不思議だ。
宮沢元首相が亡くなっているようだ。既に死んでいたと思っていた人も約一名身近にいた(特に誰かは秘す)ので笑ってしまったけれど、この好意的報道にも驚いた。死人に鞭打つというのもどうかとは思うが、見た目の優しさはあるけれど、この人は日本にとっては罪深い人間の代表なのではなかったか。この人の事なかれ主義や米国追従のせいで、どれだけの人間が被害をこうむったことだろう。失われたものはあまりにも大きい。そして取り返しはつかない。もう少し時間がたてば、恐らく極悪人になるはずの人だろう。というか、みんな目を覚ませよ、という気分だ。
今朝の新聞を読んでいると、「男のクセに」という表現はセクハラかどうかという話題があった。ほとんど意見は二分されているようだが、女性のほうがややセクハラでない、という意見が優勢のようだった。女の人は、男らしくない男に厳しいらしい。セクハラかどうかという意見を問う姿勢自体が僕は好きではないけれど、セクハラで苦しめられていると考える女性が、男性に反撃するよすがとして、この表現をアリにしたいという苦悩が垣間見られた。
男は女より弱いというのは誰が考えても事実だと思うが、そう考えていない人が本当にいるのだろうか。僕にはそういう感覚が不思議でならない。例えば同じく、「女のクセに」という表現であれば、間違いなくこれはセクハラ判断が優勢であろう。それぐらいこの問いは恣意的なのである。男を罵倒したい女が多いということはなんとなく分からないではないが、女に許されて男に許されない表現の方が社会的にははるかに多すぎるとは思う。
まあ、世の中それぐらい不公平でもいいけれど、自分の不幸に無自覚な女性は世の中に多いのだなあと感慨深かった。厳しい言い方かもしれないが、社会より個人に幸不幸の根本的問題は隠されているのである。方向を見誤ってはならないと思う。