「アルプスの少女ハイジ」は、50ヵ国以上に翻訳して読まれているスイスの代表的な小説である。作者のヨハンナ・シュピーリは、50以上の作品を残した当時の流行作家だった。最初に記したハイジの評判がよく、出版社から続きを催促されるままに書いた。しかしながら実際には、ハイジものとしては二作で、他は別作品である。ところが特にフランス語訳では6巻になって、ハイジの教師時代、老後まで描かれる大河ものになっている。フランス語の翻訳者が、ヨハンナ・シュピーリの別作品などから引用して、勝手に続編を作ったためだった。そういう訳で、ドイツ語圏ではハイジは二巻だが、それ以外の国では長いものが存在するのである。
そのような作品であるが、国家的な象徴となった理由はもう一つあって、それは他ならぬ日本で製作されたアニメの為である。高畑勲や宮崎駿、小田部羊一らの製作者は、事前にスイスに行って、構想を練った。リアルなアニメを作るというよりも、実際にそこにいるように感じられるような、リアリティのある作品にするためだった。彼らはスイスの大自然に驚き、現地の人々の話を聞いたりして作品を形作る参考にした。当初予定していた三つ編みの女の子から、ざっくりと短髪の活動的な女の子へと変更したとされる。そのような愛されるキャラクターの姿は、当時の挿絵のものとはまるで違うものだったらしく、フランス版などはブロンドの髪だったりしたそうだ。
ハイジの姿は基本的にこのアニメのものが模倣され、商品のパッケージで使われたり、人形になったりして、さまざまな商品として世に出回っている。僕はドキュメンタリーでこれを観たのだが、撮影側のインタビュアーは、ハイジの商品や資料館で働いている人々に、しきりにそのような商業主義に対する批判のコメントを求めたりしていた。相手側も仕方なく、ハイジの物語の素晴らしさがそうさせているのだ、と答えていた。ジャーナリズムは、そのような映像があるから商業として成り立っているわけで、そういう認識の足りないジャーナリストというのが、批判にさらされるべき存在である。
ともあれ、スイスに訪れる多くの人は、ハイジの暮らしていた幻影を追い求めている。作者のヨハンナ・シュピーリは、父が医者で自宅が病院を兼ねていて、母もともに忙しく働いていて、事実上叔母に育てられた。ハイジの孤独な境遇と重なるものがあったのかもしれない。さらにハイジは都会になじめず苦労するが、そのような心情をつづった物語だからこそ、スイスの大自然賛美のようなものにつながっていったのだろう。