カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ハイジへの憧れとは何だろう

2025-01-20 | ドキュメンタリ

 「アルプスの少女ハイジ」は、50ヵ国以上に翻訳して読まれているスイスの代表的な小説である。作者のヨハンナ・シュピーリは、50以上の作品を残した当時の流行作家だった。最初に記したハイジの評判がよく、出版社から続きを催促されるままに書いた。しかしながら実際には、ハイジものとしては二作で、他は別作品である。ところが特にフランス語訳では6巻になって、ハイジの教師時代、老後まで描かれる大河ものになっている。フランス語の翻訳者が、ヨハンナ・シュピーリの別作品などから引用して、勝手に続編を作ったためだった。そういう訳で、ドイツ語圏ではハイジは二巻だが、それ以外の国では長いものが存在するのである。
 そのような作品であるが、国家的な象徴となった理由はもう一つあって、それは他ならぬ日本で製作されたアニメの為である。高畑勲や宮崎駿、小田部羊一らの製作者は、事前にスイスに行って、構想を練った。リアルなアニメを作るというよりも、実際にそこにいるように感じられるような、リアリティのある作品にするためだった。彼らはスイスの大自然に驚き、現地の人々の話を聞いたりして作品を形作る参考にした。当初予定していた三つ編みの女の子から、ざっくりと短髪の活動的な女の子へと変更したとされる。そのような愛されるキャラクターの姿は、当時の挿絵のものとはまるで違うものだったらしく、フランス版などはブロンドの髪だったりしたそうだ。
 ハイジの姿は基本的にこのアニメのものが模倣され、商品のパッケージで使われたり、人形になったりして、さまざまな商品として世に出回っている。僕はドキュメンタリーでこれを観たのだが、撮影側のインタビュアーは、ハイジの商品や資料館で働いている人々に、しきりにそのような商業主義に対する批判のコメントを求めたりしていた。相手側も仕方なく、ハイジの物語の素晴らしさがそうさせているのだ、と答えていた。ジャーナリズムは、そのような映像があるから商業として成り立っているわけで、そういう認識の足りないジャーナリストというのが、批判にさらされるべき存在である。
 ともあれ、スイスに訪れる多くの人は、ハイジの暮らしていた幻影を追い求めている。作者のヨハンナ・シュピーリは、父が医者で自宅が病院を兼ねていて、母もともに忙しく働いていて、事実上叔母に育てられた。ハイジの孤独な境遇と重なるものがあったのかもしれない。さらにハイジは都会になじめず苦労するが、そのような心情をつづった物語だからこそ、スイスの大自然賛美のようなものにつながっていったのだろう。
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ノーマを捨てたマリリン

2024-11-21 | ドキュメンタリ

 マリリン・モンローは、アメリカのみならず、世界的なセクシーな女性の象徴的なアイコンだが、実在だった人物にもかかわらず、もっとも本人とは程遠いイメージの人間だったのかもしれない。マリリンは子供時代から(ほとんど孤児院でくらしていた)、男性が自分に注目していることには気づいていた。そうした自分なりの女性的な才能のようなものを伸ばせないか、とも考えていたようだ。自分の女性としての魅力を使って、将来的な仕事につなげられるように、いわゆる努力を重ねるようになる。彼女の本来の目標は、子供が喜んでみるような女優になることだった。
 若い頃にはピンナップの写真のモデルとして活躍するが、どのように写真に撮られることが魅力的に見えるか、常に研究していたとされる。すべては将来女優として活躍するための糧として、取り組んでいたわけだ。そうして着実に注目を集め、髪は金髪に染めて、名前をノーマ・ジーンから、マリリン・モンローに変える(これもモデル専属会社から言われたので)。苗字は祖母方のものから借りた。僕は日本人なので米国的な名前の響きというのは今一つ分からないが、ノーマ・ジーンには無いセクシーさが、マリリン・モンローという名前にあるということなのだろう。
 しかしながらそのようにして、求められるままにセクシーな姿としての写真や映画の端役を数多くこなすことに、だんだんと不満も持つようになる。会社は、いわばちゃんとした演技のできる女優とは見ておらず、男性から見たセクシーなだけの彼女しか求めていなかった。特に当時映画を仕切っていた制作会社の社長は、あくまでマリリンはセックスシンボルとしてしか価値を認めていなかった(その程度しか映画的な知識が無かった)。主役となるような女優は、あくまで清純な演技派の女優だと信じ込んでいたらしい。
 しかしながら実際のマリリンは、聡明なだけでなく、そのようなバカな役でもちゃんとこなせるだけの演技力を持っていたわけだ。だからこそしっかりと映画を観た観客の心をつかみ、一瞬でその存在感を発揮することができたのだ。彼女がちょっとだけ出る映画であっても、確実に彼女のファンを獲得し、興行成績を上げていくことになる。それなのに、やはりつまらない役ばかりあてがう会社側に反抗して出演を辞退すると、今度は活動停止処分に処される始末なのだ。
 しかしながらやはり請われて復帰を果たし、つまらない映画であっても主役を掴むと、興行的に無視できない売れ行きになってしまう。ついにはマリリンは、独立事務所を構えるようになり、契約的にも成功を収めるようにのし上がっていくのだった。
 しかしながらそうなりながらも、映画監督や取り巻きは、やはりマリリンにセクシーさを求めた。マリリンは野球スターのジョー・ディマジオと結婚していたが、ディマジオは多くの男性から熱狂的に観られている妻マリリンに嫉妬して堪えられなくなり、二人の仲は破綻する。その後もマリリンは再婚は果たすのだが、精神的に不調をきたすようになり、薬物乱用などにのめり込み、不慮の死に至るわけである。
 死後60年を超えてもなお、マリリン伝説は終わっていない。むしろセクシー女優のアイコンとして、とくにアメリカでは、多様性が謳われてもなお、特別な存在である。ある意味で保守的なことだとは思うが、無茶なグラマラスな姿では無かったにもかかわらずそうであるのは、僕にはなんとなく不思議にも思える。結局やはりマリリンは、演技力が確かだったからこそ、漫画的なセクシー女優だったのではなかろうか。後の多くの美しい女優が金髪に染め、マリリンのコピーを演じ、実際にマリリンの存在を埋めようとした。しかしそうであってもマリリンを結局は神格化することにはなっても、ポスト・マリリンにはなり得なかったように見える。本人は不幸な一生だったかもしれないが、偉大だったことは、間違いなかったのである。
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変わりゆくアメリカのユダヤ世論

2024-10-06 | ドキュメンタリ

 イスラエルの最大の支援国家は、米国である。いわゆるユダヤ人と言われる人が、500万人以上住んでいるともいわれる。ユダヤ人という分類は、特段民族というものとは厳密に違うものがあるのでカウントが怪しいのだが、イスラエルに600万人のユダヤ人がいるとされるので、その次に多くのユダヤ人が住んでいる国だともいわれる。ニューヨークは、ユダヤ人のまちだという人もいるし、しかし多様化が自然な米国にあって、ユダヤ人の影響力は小さくはないらしいというくらいは、前提として認識しておいていいだろう。
 そうしてアメリカの各大学には、ヒレルというユダヤ人などがたまり場になるような施設がもうけてあるという。そこでは実際にイスラエルに行ったことのある、ユダヤ教の教えができる若者がいるようだ。イスラエル軍での体験を語れる人などもいた。ユダヤ人が歴史的にいかに迫害を受けてきて、そうしてやっと自分の国を持つことができて、度重なる妨害に屈することなく、ユダヤ人として生きていくことができる。ユダヤ人の多くは、そのような教育を子供のころから繰り返し受けている。そうして青年になって、約束の地であるイスラエルの国を守るために、アメリカからも多くの人が志願して兵役に向かうのである。いわばこれは、そういうシステムになっているのだろう。
 ところが一方で、アメリカは実際には多民族国家で、中東からの人間も多く住んでいる。イスラム教徒だっているわけだし、パレスチナ人だっている。ユダヤ人のみのコミュニティでは、まさかユダヤ教やユダヤに関するイスラエル問題について、反対の意見を言うものはいない。しかし自由な討論が可能な集会では、イスラエル問題に意義を申し立てる若者は当然いる。ユダヤ人は歴史的には哀れなる民族かもしれないが、事パレスチナ問題においては、迫害している側では無いのか。そうして現在のガザ地区の戦闘は、あまりに一方的なジュノサイドでは無いのか。軍事的な優位性はもとより、テロやハマスのような武装勢力と戦う事で正当化しているだけのことで、犠牲になっているのはガザに住んでいる一般の市民がほとんどではないか。
 そうして実際にアメリカのユダヤ人の若者も、イスラエルに行ってみて気づくのである。パレスチナ人への一方的な日常の迫害や、ほとんどいじめにも似た圧力や暴力。人々が住む建物の入り口に柵を張りめぐらして自由を奪い、夜間になると捕まえて収容所に送る。もちろんその前にリンチする。ひとのいないところで静かに農業を営んでいる家族の小屋を壊し、家畜を野放しにする。人々が生活のために掘っている井戸に動物に死体を投げ入れ、時には科学物質を混ぜたりする。とてもじゃないが生活が行き詰って国外に移動する人々を、迫害して苛めぬくのである。志願してユダヤ人のために働きに来た若者は、実際にはそのような迫害に加担していたことに、だんだんと気づいていく。イスラエルの現状は、そのようにしてイスラエルの国を守り維持しようとしている活動なのだ。
 もちろんこのような議論にはバランスも必要で、中東のハマスの蛮行にも目に余るものがある。ユダヤの一般市民は人質として捉えられ、多くの人は激しい暴行や拷問にさらされる。女性は何度も何度も強姦され殺される。彼らにしても復讐かもしれないが、これはもう今やどっちもどっちである。何度も話し合いの場が持たれ、和平は成立したかに見られたが、やはりどちらともなく約束は破られ、何度も何度もやってはやり返すことを繰り返しているわけだ。そのたびにお互いに軍備を整え、憎悪の連鎖を訴え、暴力を拡大していく。
 しかしながらだからこそ、最大の支援国家であるアメリカでこのような双方の議論が行われることには意味がある。これまでは一方的にユダヤが優勢で、その意見だけが通ってきたために莫大な資金と共に、イスラエルは支援を受けてきたのである。今の政治情勢が簡単に変化するものでは無かろうが、少なくとも現状を知るユダヤ人の若者がアメリカで生活していくことで、少しづつ何かが変わるかもしれない。つまるところどちらかの勝利という一方的な形での解決は、歴史上はあり得ない事だけは、明らかなことなのである。
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ハンバーガーにかぶりつく文化

2024-10-02 | ドキュメンタリ

 アメリカの様々なまちのハンバーガーを紹介したものをぼんやり見ていた。おそらくだが、以前その一つ一つが独立した短いものを見た記憶がある。元ネタとしてつながっているものがこれだったのかもしれない。
 ニューヨークのハンバーガーは、値段も高いがビジネスマンのパワーランチという感じだった。何億も売り上げる成功者たちがかぶりつくのは、三千円近くする崩れ落ちそうなハンバーガーだ。いっときここで休息し、またガッツリ稼いで回るのである。
 南部のまちでは自分たちがカウボーイとして育てた新鮮な肉にかぶりつく。店にはカウボーイハットをかぶったまま入って、食べる前には帽子をとって神に食事の恵みを感謝する。そうしてガブッと食らいつくわけだ。ここも値段はそれなりだが、ボリュームたっぷりだ。
 黒人シンガー上がりのマスターが作るナマズバーガーだとか、バター滴る退役軍人のたまり場バーガーだとか。屋台風の店舗でいくつもまとめて買える小ぶりのやつだとか。やはり小さい箱で10くらいまとめて買う形式の一口サイズバーガーだとか。様々な階級のそれぞれの生活に合わせた形のハンバーガーが紹介されていた。値段も数百円から数千円まで幅広い。基本的にはロードサイドの店舗が多く、短時間で焼き上げるためにひき肉を伸ばして、鉄板に押し付けて焼くスタイルが多い。肉汁滴るパテに、チーズにオニオン、酸っぱいピクルス系やトマトレタスにベーコン、特製のソースを掛けるものや、ケチャップにマスタードたっぷりで、バンズにかぶりつくと口の周りがべっとり汚れるというのが基本形である。俺たちアメリカ人なんだから、これなんだよな! って顔して食べている。もちろんゲイも女性も、ハンバーガーにかぶりつくときは、あんまり口の周りは気にしてない風なのだった。
 別の番組だったけど、以前カナダの田舎町で鹿だったかトナカイだったか、そんな肉のハンバーガーを食べているのも見たことがある。カナダ人の国民食だ、と言っていた。まあそれは北米なので、お仲間ということなのかもしれない。ハワイでも食べるのは食べるのだろうし、ご当地バーガーがあるのは当然のことだろう。
 しかしながらハンバーグというのは、ハンブルグ出身のドイツ人労働者がアメリカ人に伝えて広がったものだし、そのようなひき肉を挟んで食べる文化のもとは、ロシヤ経由でドイツに伝わったものだともいわれている。ハンバーガーのルーツはアメリカではないのだ。
 近頃はハンバーグでない由来のチキンであるとか米であるとか、別の野菜であるとか、魚なんかであっても、バンズに挟んで食べると○○バーガーと言ったりするが、まあ、そういう命名で別にかまわないのだけれど、それはだからハンバーガーではない。もっともだからチキンならチキンバーガーだし、バンズで挟んで無ければサンドイッチだったりするが、必ずしもバンズでないものであっても、ハンバーガーで紹介されてもいた。それもまあ大雑把なアメリカ文化だと言えば、そういうものなのかもしれない。
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不幸な争いの時代に生まれた大統領

2024-09-10 | ドキュメンタリ

 いまさらながらゼレンスキー大統領に関するドキュメンタリを見た。ゼレンスキーはウクライナ東部の生まれのロシヤ語圏で育ち、ロシヤ語しか話せなかった。若いころからアマチュアのコメディ番組には出ていて、人気が出たのはロシヤの勝ち抜きコメディ番組からであった。だからすでに十代から人気があったらしい。番組ではチャンピオンになったりして頭角を現し、コメディを中心とする俳優として活躍する。大学は出ているが、卒業後本格的にコメディアンとして仕事に打ち込んだとされる。
 それらはすべてロシヤ語で行うものだったようで、あちらの事情がはっきりしないところもあるが、両国で人気があったということかもしれない。プーチン大統領もこの番組は見ていたと言われ、大統領選挙の前には、番組を観客としても見に来ており、いわば選挙活動の一環としてテレビの露出する戦略も取っていたようだ。もっともその放送時には、ゼレンスキーは予選落ちしており、一緒にテレビの画面に登場してはいない。
 ゼレンスキーはコメディアンとして人気があったものの、ウクライナの国民的な人気を博すことになったのは、なんといっても「国民の僕(しもべ)」と言われるドラマで主演してからである。大統領役を演じ、真に国民のために働くヒーローを演じた。まだその頃にはノンポリのようで、個人的には政治的発言はしていなかったが、ドラマの役柄と同様に、政治家として期待を集めるようになり、徐々にその気になっていったようだ。もっともその頃にはまだ、大統領候補者としては泡沫に近く、支持率も10%も無かった。苦手なウクライナ語を短期間でマスターし、徐々にウクライナ語で演説を行うようになる。それでもまだ、東部のロシヤ寄りの候補者と見られていて、真に信用されてはいなかった。当時は俳優時代にテレビ番組で、(相次ぐ犠牲を防ぐため)国民のためにならロシヤに跪く(和平のためという意味だろう)という発言が問題視され、現職の大統領からもそのことを公開討論会で批判された。ところがゼレンスキーはこれを逆に利用し、戦闘でなくなった犠牲者の母親のために跪く、と発言し、実際に跪くパフォーマンスを行い形勢を逆転した。要するにコメディ番組で鍛えた機転の利く行動で、さらに人気が出たということにようだ。
 大統領になってからドイツやフランスの仲介でロシヤのプーチンと会談する機会を得るが、交渉はまとまることは無かった。共同での会談を終え、ゼレンスキーはロシヤ国民に向け、争いをやめてウクライナの独立を認めるよう演説をした。一方のプーチンもウクライナに向けて抵抗をやめてお互い理解すべきだと訴えた。つまるところ平行線のままゼレンスキーは、欧州との関係を重視する方向性を示し、結局はロシヤが今世紀三度目のウクライナへの侵攻に至ったという訳だ。
 この戦争の結末は見通せないが、ロシヤとウクライナの関係は、はるか先の時代にならない限り解決をしないことが明確になったとされる。結果がどうあれ、恨みを深める時代が長く続き、その後の関係改善の道は閉ざされたと言えるだろう。それは我々が生きている間には、決して成し遂げられることのない暗黒の歴史であるということになるのだろう。
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真の人間の愛はAIとのものである

2024-08-09 | ドキュメンタリ

 AIと人間の性について紹介されているものを観た。最新のテクノロジーと人間の性というのは、ふつうに関係性の深いものであるらしい。人間の興味は、つまるところそこに行く、ということなのかもしれない。もっとも今展開されているAIと人間との性的なつきあい方については、かなり深刻な問題が見て取れるようだ。
 それというのも、これまでの人間の性的な興味というものは、基本的には相互の恋愛を伴うものでは無かった。もちろんいわゆるオタク的に、二次元(漫画など)に恋するということはあったかもしれないが、いわゆるファン的な物事と捉えられており、部屋中にアイドル化した対象の絵をたくさん飾っていたとしても、またその相手を想って自慰行為をしていたとしても、個人的な趣味として、それなりに認められるようなところがあったのではあるまいか。多少の哀しさは伴っているように見えはするが、まあ勝手にやってくれ、である。
 ところが現在相手となっているAIは、完全に性愛が一致したパートナーなのである。さらにいうと、もっとも自分にとって深い愛情を感じられる、完璧ともいえる存在になっているのである。これは見ている側からすると、かなりのホラー度が高い現象なのだが、当の本人にとっては、実に自然であるだけでなく、深い絆であるようなのだ。そこのあたりのコントラストがいかにもという感じで、僕自身かなり驚いてしまった。
 考えてみると、そのような関係性が生まれるのは至極当たり前で、AIだからこそ自分のことを真剣に、いや、ある意味都合よくなのだが、批判や否定を伴わず、全面的に自分自身だけを認めてくれるのである。そうしてリアルタイムで会話を交わし、片時も離れることは無い。そして時には性行為まで至るのだという。そこには精神的にも肉体的にも、かなり高い満足度を伴う。基本的には何か自慰行為に使う道具があるのだろうし、バーチャルな映像に伴う人形などもあるのだろう。またそのように使える付属的なものは、個々人にしっかり合わせるように、豊富に用意されている。闇ブローカーのようなポルノショップに行かなくても、開放的な空間で売られるようになっていたり、もちろんネットでも買えはする。
 もっともアプリによっては、性行為だけはAIが応えないという仕組みに変更したものもあるという。使用者があまりにものめり込んでしまって、実際の人間を相手にしなくなる可能性があるために、あえてブレーキをかけているのである(会社の自主規制である。おそらくだが、その為に訴訟を起こされる可能性に対しての対応なのではあるまいか)。すべてのアプリがそうしているのではなく、ある会社のアプリがそのような方向転換をしたという。つまり、そうでないアプリはまだ存在し続けて、個人的なお付き合いと共に、今も性行為に及んでいるわけだ。
 すべての人間が、AIとそのようなつきあいを始めるとは考えづらいが、人間関係に困るなどのきっかけが元になり、そのような関係を始める人も少なからず増えていくのかもしれない。今はまだ抵抗のあろう人の方が多いように感じられるが、要するにこれは、慣れの問題である。そうすることで、むしろ高い愛情生活が送れるのであれば、AIの方が人間にとってより理想的なパートナーであると言えるかもしれない。人間相手では果たし得ない、人間の真の幸福が、そこには存在できるかもしれない。
 やはりホラー的に感じている自分がいるが、つまるところそれは、単なる偏見なのであろう。
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前線近くで戦う市民ボランティア

2024-06-10 | ドキュメンタリ

 圧倒的な兵力の差があるとされたロシヤとウクライナの戦いだが、現在は長期化し膠着した状態が伝えられてはいるものの、予想以上にウクライナが持ちこたえているともされる。そのようなウクライナの前線で戦っている多くのボランティアを紹介したドキュメンタリーを見た。
 実際に前線近くのまちでは、廃墟の工場内を本部にして、さまざまな市民ボランティアが集まっている。彼らはそもそも兵士ではなく、元建築家や教師など、前職は様々である。彼らが戦況を分析し、西側の武器供与を工夫して使い、ドローンを飛ばし、3Dプリンターを使って足りない部品を製造したりしている。また、元兵士が率いて、前線に部隊として作戦を展開させる役割を担っているものさえいる。専門の兵士として訓練を受けているわけではないので、兵士として上官の指示に必ずしも忠実ではない場合があるものの、彼らは自分の考えをもって、どのように戦うかを模索しながら、着実にロシヤ兵を一人でも多く殺そうと試みていた。
 そもそも独立して30年になるというのに、ソ連時代からの流れや風習は無くなっておらず、開戦前からウクライナの人々は、ロシヤから虐げられていた過去があるようだ。ロシヤ内でウクライナ語を使うだけで、下に見られたりいじめられたりすることがあったという。そういう上下関係にうんざりしながらも、以前はロシヤに出稼ぎのようにして働かざるを得なかったりした。開戦後はウクライナに戻り、ロシヤと戦うことにした人もいた。また現在ロシヤに侵攻を受けて家族がそのまちに留まっているものもいる。なんとか家族を救い出すために戦わざるを得ないものもいる。逃げ遅れているだけかもしれないし、占領下にひどい目に合っているかもしれない。戦うことは、切実な問題なのである。
 また、ロシヤ人のことは人間とも思っていないことも語られていた。憎しみが深くそのように言っているということもあるが、相手を殺す立場において、そのように戦意を引き立てているということかもしれない。戦況が上がってロシヤ兵の死者数が発表されると、皆は心から喜んでいる。そのような心境になるなんて一般市民時代には考えられないことだったが、今はすべてが変わってしまった。もう元には戻れない、ということなのだった。
 そうであるからこそ、まだウクライナは負けたわけではない、ということはよく分かった。同時にこれは、戦争が終わらない、という事でもあるようだ。命を懸けて戦い続けるということを支えているのは、そのような市民感情があるからなのである。そうして市民ボランティアの兵士が絶えない以上、西側の支援も続けられていくということなのかもしれない。
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田中角栄は望まれる政治家か

2024-01-07 | ドキュメンタリ

 なんだか田中角栄が取り上げられることが多いと感じていたら、死後30年という一種の節目であることと、どういう訳か角栄のやっていたバラマキ政策の考え方を、野党がまねをするという不思議な現象が起きてもいるらしい。高度成長期と現在の状況が違うのだから、おんなじことをやっても仕方なかろうに、とは思うが、角栄の時代が面白かったのは、これまた間違いはない。
 角栄は戦後すぐの選挙に27歳で出馬し、落選からのスタートを切っている。その時のスローガンが「若き血の叫び」である。自分で起こした土建屋は成功し、既に財を成していたものらしい。若い頃はまだ体の線が細く、貫禄づけの為かちょび髭を生やしている。その頃から地方への格差解消のためのバラマキ政策の考え方の基本は持っていたと言われ、新潟と群馬の境にある三国峠を崩せば新潟に雪が降らなくなり、その土を日本海に埋めて佐渡を陸続きにしたらいいと言っていたらしい。
 その後国会議員になり、さまざまな議員立法を手掛けた。特に道路三法が有名で、国道を作り、高速有料道を作り、財源としてのガソリン税(道路に特化するもの)を創設した。これにより、陳情を受けたところに道路をつくって発展させるというスタイルを築く。道路開通が決まった土地は高騰し、それを売った人々は大いに潤った。要するに地方の復興とともに、経済的に潤うことが、国民の幸福であるというストレートな信念が、そのままの政治のスタイルだったのである。
 角栄はテレビの影響もよく知っており、全国に民放局を開設させる。そうして大蔵大臣の時には、自ら出演して大蔵大臣アワーという番組を流したりした。角栄の自宅は目白御殿といわれ、毎日陳情の客が絶えなかった。多い日には200人にも及んだと言われ、田中は朝7時から陳情の客の相手をした。ほとんどは三分で即決して、陳情を取りまとめたと言われる。
 その後当時は最年少の54歳で首相に上り詰め、日中国交正常化などを数多くの業績がある。その時に中国からパンダを譲り受け、自らの鯉を中国に贈った。内閣の支持率は62%にも及んだ。ところが首相としては短命で、2年5か月だった。ちょうどオイルショックに見舞われ、狂乱物価、インフレ内閣批判に抗えなかった。その頃に電力需要を安定させるために、23基だった原発を60基まで増やすなどした。
 退陣後はロッキード事件が暴かれ、転落の人生に転じた。それでも政治権力は保持していたと言われ、多くの内閣は角栄の傀儡とされた。マスコミからは叩かれ続ける晩年ではあったが、世論は選挙であると豪語し、脳梗塞で倒れてもトップ当選を果たした(のちに自ら引退するが)。
 とにかく逸話に事欠くことの無い人で、強烈な個性の持ち主であった。その上俗っぽく、当時の日本人そのものだったともいえるかもしれない。豊かになることと格差是正を同時に成し遂げるために、着実にバラマキ政策を実行していったのである。
 今後の世の中において、角栄のようにふるまえる政治家が現れるとは考えにくいが、人々は内心では、角栄のような人をまた望んでもいるのではあるまいか。さて、それにこたえられるような人物が育つ世の中が、また生まれ得るものなのだろうか。
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支配される教室

2023-12-19 | ドキュメンタリ

 「支配される教室」という番組を見た。内海崎貴子先生という方が、体験型の特別授業を行う様子が映されている。生徒たちにじゃんけんをさせて、負けた方にリボンをつけさせる。生徒役の人たちは、小学生になったつもりになってもらって、先生の授業を受けている設定である。付けた人と付けてない人には違いがあって、徹底的にその属性の通りの答えを、先生は求める。生徒役になって参加している人々は、その先生の要求通りに、自分の考えとは違った考えであったとしても、回答としての正しいものを答えるようになっていく。
 なかなかに恐ろしい特別授業なのだが、実はこれ、男女の属性と思われるものになぞって教育がなされてきたということを、暗にというか、逆に露骨に示しているものらしい。生徒役が若ければ、むしろ先生の考えを忖度し、すぐに順応していた。大人になった人たちは、笑いだして、ふざけたように考えを曲げるようになる。恐ろしさに耐えられなくなって、笑いでごまかしているのだろうと、先生は言っていた。なるほど、そういう人間心理に陥るという事か。
 もちろん授業が終わった後に、皆でディスカッションして、このような状況をどう思うのか、討議する。そのことがより重要なようで、若い人たちは既に反発心の方が強く、拒絶的な感想を多くの人が持っていた。当然と言えば当然だろう。そういうものがある中であっても、今はそれなりに属性に縛られない状況になっているのだろう。一方大人たちは、これまでの自分たちの体験になぞらえて、いわば反省なり、喪失感を味わっていたのではないか。実際に女性として機会を奪われてきたことを、振り返る人もいた。それも男性たちの善意によるものだったという、二重の偏見にさらされていたのだ。そもそもそれは、女性には無理だという配慮であって、一方的な考えの押し付けではあっても、逆らえない社会の圧力があったのである。
 そのような時間は、もはや取り戻せない。しかしそのような考えの再生産が、現代に全く残っていないとは、やはり言い切れない。形は少しずつ変わってはいるのかもしれないが、やはりいまだに多くの制服では女の子はスカートをはいているのだろうし、子供であれば、ランドセルは赤や黒が多数だろう。トイレの色は、ほぼ赤は女性だろう。男女にくっ付いている属性のすべては取り払うのは不可能そうだし、それがすべて悪いという事でもない。しかしそれらしさを求められることは、やはり差別を含んでいるのだ。たとえそれが心地よい事であったとしても。
 恐ろしい先生を演じていた内海崎先生は、その先生像を自分の体験から作り出したと言っていた。実は僕も、このモンスター先生に授業を受けた経験があると感じていた。いや、ほとんど同じと言っていいほど、たくさんの先生が内海崎先生の演じている教師と同じだった。僕らの中に差別的な感情があるとすれば、それは日本の教育が、いわば洗脳してきた時間だったのかもしれない。それこそが恐ろしい訳で、彼らや彼女らは、この番組の題名通り、支配する手段としてこれを利用していたのかもしれない。そうであれば、おそらくいまだに再生産されているものは、残っている疑いが強い。授業を効率よく進めるには、それは手段として最強である。そうしてこの授業は、それを打破するささやかな取り組みであったり、抵抗であったりするのかもしれない。これは皆で受けることを必修化すべきではないだろうか。
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コウモリ国家トルコが重要

2023-10-03 | ドキュメンタリ

 国際社会の中で、トルコの存在感が増している。これまでトルコという国は、ヨーロッパと中東とアジアのはざまにあって、何か中途半端にどっちつかずのところがあって、扱いがはっきりしない国の一つだった。ところがトルコのそういうところが、今となっては重要だということに変化したのだ。
 それというのも、現在は西側社会といわゆる東側に数えていいのか分からない社会とに分断している図式が描ける訳だ。特にロシヤとウクライナの戦争によって、その線引きはかなりはっきりしたものになった。ロシヤにつく側は少数とみられるとはいえ、事情もあって小さくもない厄介なものである。そうしてウクライナの背後に回ったアメリカやヨーロッパを中心とするグループは、今後ロシヤ側との直接的な関係は結びづらくなっているだろう。ところがトルコは、重要な軍事的な武器(ドローンなど)はウクライナに売りウクライナの勝利を願う姿勢も取る一方、エルドラン大統領はプーチンとも懇意にしている間柄である。実際に対面しても和平を進言するなど、行動も起こしている。EUに加盟寸前までいって、国民にイスラム教徒が多い理由で保留が続いていることもあるが、軍事同盟的なNATOには既に加盟している仲間である。加盟国としてロシヤ周辺国の動向にもカギを握っている。中国やインドとも対話可能だし、日本との歴史的な関係も深い。ロシヤのエネルギーにも依存して、ウクライナの穀物も輸入できる立場である。ヨーロッパとアジアの中間にあって、物流の中継点にもなっている。今の国際情勢下で自由に行動でき、かつその存在感がモノを言っているのは、そのようなかつての中途半端さが、今では利点に変換しているということになるのである。
 さながらネオ・オスマン帝国の復活である。これまで大国と思われていなかった国であっても、さまざまな地政学的な立場でその立ち位置を変化させる国が台頭してくる。今はどちらにもつかない国々の方が、ある意味で有利に物事を動かすことが可能になっているのかもしれない。これからの大国であるインドも、その立ち位置はある意味でニュートラルだ。西側かそれ以外か、そういう事でない国々に頼らなければならない時代に突入しているのかもしれない。
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シラけ世代ってあったのだが

2023-09-16 | ドキュメンタリ

 日本の過去の文化を振り返ってみているものを観た。年代別になっていて、主に70年代。若者が奇抜な服を着て街を闊歩するようになったものらしい。いつの時代でもそうだったとは思うが、いわゆる大人世代に気兼ねすることなく、自分のスタイルを主張できるようになったということらしい。今から見るとそれほどではないものの、まあ男にしては赤を基準にした派手目の男性に、インタビュアーが「恥ずかしくないですか?」と聞いていた。その直接的な物言いに、その時代のもつ一種の価値観としての非難を感じさせられるし、そういう失礼な物言いに対しても、朴訥と答えようとする若者の生真面目さを感じる。今なら笑い飛ばすか、馬鹿にして返事さえしないかもしれない。
 しかしながらこの頃のことは、僕だって子供時代なので記憶がある。テレビのような都会の若者ではない若者が田舎にもいて、しかし髪型を妙の整えたり、スポーツカーに乗ろうとするお兄さんはいた。当時はそのような反抗的でありながら、自分たちの世界では風を切るような態度を良しとするものがいたのである。
 それと同時にであるが、直接的にそのようにふるまうものがいる一方で、何者に対しても一定の距離を保ち、そこまで関心を示さない人たちも多かった。これがいわゆる「シラけ世代」と言われたもので、その前が何だったのかはよく覚えていないが、そういう若者を一緒くたにして、○○世代などというような風潮のメディアがいたようだ。それはそうなのだが、「どっちらケ」とか言ってウケていたので、別段そんなにシラケていたわけでもないのだが、その上の人たちには、それより情熱的な人が多かったというような印象があったのだろう。その後も似たような名称が続くけれど、つまるところ大人が上手く理解できない若者を、何かひとくくりにして特徴を言いたいという欲求の方が強いのではあるまいか。いまはZとかなんとか言って、もはや意味さえよく分からないのだから、世代性などというのは幻想だろう。
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純粋でクレイジーで尊い人

2023-08-11 | ドキュメンタリ

 長坂真護という人の取り組みを紹介したドキュメンタリを見た。アフリカのガーナのスラム街であるアグボグブロシーという街は、いわゆる先進国からあらゆるゴミが捨てられる場所になっている。古くなった電化製品やパソコンなどの通信機器や、衣服やプラスチックごみなどが大量に集められ、その廃品の中で利用可能なものを取りだしたわずかな金を目当てに、人々が集まって来る。配線などのコード類は、表面のゴムを焼いて中身だけ取り出すわけだが、そのために有毒ガスを吸いながら作業をし、一日数百円を稼がなければならない労働者たちがいる。そのような惨状を目の当たりにした長坂は、もともと路上アートを描いて糊口をしのいでいた身だったが、廃品をアートに変えた作品を生み出すようになり、そうしてその金をもとに、アグボグブロシーの惨状を変えるべく資金を投じて廃品リサイクル工場を現地に立ち上げるなどの活動を行っている。長坂自身が語っているように、この取り組みに賛同して作品を購入してくれる人がいるために、長坂の作品は長坂が普通に描いた絵の10倍以上の値段で売れるのである。この取り組みを辞めたら、自分は大いなるペテン師だとつぶやきながらも必死になって現地へ飛び、そうして日本で創作活動を繰り広げているのである。
 作品で数億円は稼いでいるとはいえ、日本でもアトリエやスタッフを抱えているし、ガーナの現地にも、まだビジネスとしては赤字続きの工場を構えて、どんどん労働者を増やしていこうとしている。リサイクル事業には問題も多く、黒字化のめどは立っていない。しかしいまだに苦しい立場で働かざるを得ない現地の労働者たちと知り合いになると、次々にその人たちを採用してしまうのである。
 まさにその行動そのものがアートでもあり、慈善事業であり、破滅的な生き方なのである。まったくなんという人がいたものだろうか。
 長坂は専門学校に入るために上京後、ホストをやったり、その金で会社を立ち上げた後に倒産させたり、仕方なく路上でアートを売って暮らしていた人である。自身の作品は高額で売れるようになったが、そのようなわけで拾ってきた家具などを使って質素に暮らしている。自身が過去を振り返って語る内容でも、若い頃には何の信念も無く何をやりたいかもわからず、死にたいような気持をかかえていたらしい。しかし何かのきっかけでガーナの現状を知り、現地に行ってさらに衝撃を受け、生き方をがらりと変えて、この世界を変えるという信念だけで、こういう事をやっているのだという。
 まったく普通ではない訳だが、破滅的な生き方であるかもしれないが、まさしく情熱だけで生きているような芸術家である。そうしてそうでなければ芸術が成り立ちもしないのである。現地の人間が言っていたが、ふつうの人間は、このゴミ溜めの現状を写真に撮って、ちょっとおこづかいをくれるなどして帰っていくだけだが、長坂はガスマスクを配り歩いて、日本に帰ったとしても友人としてまたやって来るのである。徐々に信用を得て、事業まで始めてしまったのである。
 なんだか呆れてしまったが、ここまでくると、この異常な危うい純粋さというものを、やはり信じてしまうのである。上手く行くかなんてことよりも先に、なんとかしたいという思いが行動を支えているのであろう。それは作品が売れ続ける限り、おそらくやめないのではなかろうか。
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日本人に最も嫌われたからこそ

2023-08-09 | ドキュメンタリ

 今井紀明という人の取り組みを紹介したドキュメンタリを見た。
 今井さんは高校生の時にイラクに行って人質になって、日本政府の計らいで解放されたのは良かったが、社会的に激しいバッシングを受けた時の人だった。その当時「自己責任」という言葉が盛んに使われ、心を壊しかけたが、なんとか大学は卒業し、今度は不登校やいじめの当事者を支援するためのNPO法人を立ち上げて、現在も活動を続けているのであった。
 イラクの人質事件というのは、当然いまだに大きな問題として、本人も、家族も含めての周りの人々にも影響の残っているものである。時間的な問題で一定の距離を置いて考えられるようになった現在でも、僕らだって容易に思い起こせる出来事だった。今井さんがいまだにNPO法人で、いわゆる社会問題に取り組み続けていることともおそらく関係があって、だからこそこのようなドキュメンタリが作られているのだろう。
 そのような興味の跡先に、しかし大人になった今井さんという人の、一定の純粋さとしたたかさのようなものが垣間見えて、あれだけの圧力を受けた後に心の傷を抱えながらも社会運動を辞めようとしない現在があるというのは、なるほど凄いことかもしれないと素直に感じるのだった。イラクの問題はマスコミのバッシングを後押しにして、多くの人が若い今井さんの身勝手さを罵った。せっかく助かった日本人の命だったが、社会の圧力は精神的に今井一家全体を押しつぶそうとして、いわば自殺をさせようとしていたようにも見えた。僕もいくばくかの反感を感じたのは確かだが、そこまではしかし行き過ぎだという印象は持っていた。少なくとも若い人の人生は、若いまま終わりになるだろうと漠然と感じていたように思う。ところが時を経て印象的な目がそのままの今井さんをみていると、人間はそれなりに強く生きることもできるんだな、と改めて感じた次第だ。特に日本人でそのような人がいるなんてことは、ちょっとどころかかなり意外な驚きだった。こういう人なら、社会からはみ出してしまう困難をかかえている若者を救えるかもしれない。そんな風にも思えるのだ。
 実際のところ、いまだに日本社会は生きにくいままだろう。それは日本に限らずのはずだが、しかしやはり日本は特に厳しいだろうと思う。そんなことはみじんも感じない日本の一般大衆がいる限り、その困難はつづくだろう。それでも死ぬことなんて無いのだということを体現する人がいる。そういう意味で、いつまでも日本人であり続けて欲しい人だと思った。
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貞子の生まれたわけがある?

2023-07-06 | ドキュメンタリ

 サブカルの90年代のことが語られる番組を見たメモ。
 この時代の印象的な映画として「リング」が取り上げられていた。これは世界的にも日本的なホラーとして著名で、印象深い作品だったということである。もちろん僕らにとってもそれは同じはずだ。熱狂とまで言わないが、なんだか当時も新しさのようなものは感じ取っていた。ものすごく恐ろしいが、別段血が流れるわけではない。スプラッターホラーでは無いが、貞子というアイコンは、新しいタイプの恐怖の象徴となった。
 どうしてこのような映画が90年代にできたかというと、80年代に起きた宮崎勤による連続幼女殺人事件が契機となって、日本では視覚的に残酷なホラーが自粛して作られなくなったからなのだという。
 確かに日本のそれまでの映画は、切った張ったのスプラッターものがものすごく多かった。タランティーノが「キルビル」を撮ったのも、日本映画へのオマージュだとされている。ところが宮崎勤の部屋には、幼女ものを含め、オタク的に趣味で、そのような映画や雑誌が大量に備えられていた。当時は今と違って「オタク」は、恐怖の対象となってしまったのだ。たとえそれが誤解だったとしても、人々はそのような描写の映画から影響を受けて、ひとは幼女誘拐や殺人を犯す人間を作り出したかのような錯覚を受けてしまったのだ。
 そうした影響と時を経て、ビデオテープから感染するように死の連鎖が起こるという物語が映像化された。それが90年代の象徴的な出来事として、我々の文化の足跡となったのだ。
 なるほど、と思うとともに、しかしながら、とも思う。確かに僕の少年時代というのは、えげつない描写の映画や、テレビ番組がたくさんあった。どれも胡散臭かったが、大人の匂いがしたことも確かだ。恐ろしいが、同時に憧れも抱いていたかもしれない。そういうものが量産されて、害悪が叫ばれていたこともあった。子供には有害なものだということだろう。ところが僕らは隠れてでも興味があれば見ることになる。そうやって消費する中で、段々と離れていった経緯もあったのではなかったか。要するに食傷気味になるような。作る側にもそういうのはあって、宮崎勤は契機にはなったかもしれないが、もうそろそろいいだろう、という頃合いと重なっていた可能性もなるのではないか。そんな風にも思うのである。
 貞子が生まれる背景としては、そのような連続性と解説がある方がもっともらしい。僕は知らなかったが、宮崎勤が実際の文化と何にも関係ないことくらいは分かっている。彼はそのようなオタク文化が生み出した怪物ではなく、そのようなものを欲した個人的な怪物なのである。
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日本のプレゼンスが下がっている結果

2023-06-12 | ドキュメンタリ

 物価上昇のセオリーは、需要が高まるために起こるとされる。欲しい人が多ければ、欲しがられるものの値段が上がっていく。オークションが分かりやすいだろう。そういう全体像が、インフレと言われる訳だ。
 ところで現在様々なモノの値段が上がっているように感じられる。僕のような仕事をしている人間でも、モノの値段が上がるのは、それなりに困る。入ってくるお金は増えないのに、出ていくお金が増えていく。いわゆる経費がかさんでいくし、足りなくなれば借りなければならない。借りたら返さなきゃならないし……。
 ところが現在の状況は、必ずしもインフレではないのだという。どういうことかというと、確かに欲しい人が今までより高くても買うので上がっているように見えるけれど、実際には高くても買わざるを得ない状況なので買っているだけだからだ。これは供給不足によるものであって、安いものが無くなりつつあるので、代替できずに買っている。そういう状況だと、売っている方も値段上昇で儲けが増えている訳ではないことになり、儲けが無いと給料も上げられない。購買力が無い人が高いものを買うと、さらに貧乏になってしまう。
 このことは、国同士の相対的な問題なのだという。要するに日本が他国に対して、国のレベルとして力を落としていることが、物価の上昇につながっているようなのだ。
 世界の穀倉地帯であるウクライナの問題じゃないのか、と思う人もいるだろう。確かにそれは要因の一つとして考えられる。しかし、この戦争以前から値段は上がりだしたと言われている。物を作ったりするのに必要な、電力やその他のエネルギーの問題もある。比較的に安価で供給できる火力への投資が止まっているうえに、地震のショックもあって、原子力も多くが止まったままである。十年前には、電気代が上がるくらいは平気なもので、その他の電力へ転嫁すべきだという輿論が圧倒していたのだが、そうなった現在は、そんなこと言う人は声をひそめてしまった。卑怯者というのは、そういう人たちのことである。
 さらにこれまで日本は、貿易相手に対して、価格を叩いて買っていても相手が言うことを聞いてくれていたに過ぎなかった。それは相対的に日本の円が強かったり、多くのものを買ってもらえるという期待値でもあったかもしれない。しかし、それよりも高いお金で、さらに多くのものを買ってくれる別の相手が現れたらどうなるだろう。
 要するに事実上の米中の冷戦に巻き込まれたために、日本を相手に安価で安定的に供給をしてくれる国が減っているのである。そういう外交に対して、国内世論も政治が上手くコントロールを果たしていないために、経済に縛りがあるままになっているのである。その結果として、供給を満たすことが叶わなくなった。
 円安になった分、外貨を稼いで儲かればいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、儲かる以前に経費の上乗せされた分を支払わなければならないので、余裕のない状況になっていて安いものしか買えないのである。しかし安かったものは品薄で、これからも入ってこない。既に国内で作ることすら難しい。
 ほとんど願いのようなことになっているのだが、それでも大企業から給料を上げる動きが無い訳ではない。下々の者までいきわたるには時間がかかるかもしれないが、そういう人がたくさん消費することで、段々と潤いが浸透してくる可能性が無いではない。そういう需要に対して売るものが増えると、循環として望ましくなる、ということになるのかもしれない。
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