知られていることと思うが、日本のサルが最北限に住む集団であるらしい。サルは主に南に住む生き物で、日本のように寒いところでは苦労するらしい。特に日本は結構雪も降る。寒い上に、暮らしにくいはずなのだ。何しろサルというのは主に木の上で暮らしていて、木の実などを取って食べる。昆虫やネズミみたいなものも食べるのかもしれないが、冬の間はそういうものが目の前から消えてしまう。いったいどうやって暮らしていけばいいというのか。
それで食べ物が乏しくなると、木の皮をはいで食べたりする。それでも足りないので、海岸線に出ていって、岩に張り付いた海藻などを取って食べるのだという。そうして岩場の隙間や、湿地で逃げ遅れた魚などを捕らえて食べる姿も観察されている。実は、魚を取って食べるサルというのは、大変に珍しいことなのだそうだ。少なくとも以前から魚を取っていた記録はないそうで、魚を取って食べることを覚えた個体が居て、それをまねて広がった可能性がある。サルは基本的に群れを作る訳で、当初はすべての群れで魚を取っていた訳では無かった。ところがいつの間にか、他の群れでも魚を捕るようになっていったのだという。
サルの群れは女系集団を主としており、ボス猿がオスだとしても、そのハーレムのような集団の中に、家族としての若いオスは存在する。しかしある一定の期間を過ぎると、オスは群れを離れていく。そうして別集団に合流したサルの中に、魚を捕る技術を持ったものが居たのかもしれない。そうして別の群れでも、そのサルの行動をまねて魚を取るようになったのではないか、と推測されている。そうやって日本のサルの群れは、何らかのやり方で、魚を取るという方法を覚えていった。サルは言葉で詳細な会話をするわけではないので、そのような行動をまねるという、いわば文化の継承のような形で、魚を取るという方法を伝えていくことができると考えられるのである。
冬の厳しい寒さという環境にあって、日本の北限のサルが生き延びて行き、さらに繫栄することができているのは、多かれ少なかれそのような技術や文化を継承することによって、成し遂げられているのかもしれない。今後も日本のサルが、どのようにして新たな文化を獲得できるのかというのは、注目に値することなのである。