カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

イライラするが究極の愛   アンダー・ユア・ベッド

2024-11-30 | 映画

アンダー・ユア・ベッド/安里麻里監督

 いわゆるおとなしく目立たない存在で、誰からも名前で呼ばれたことのなかった男は、学生時代に後ろの席に座っていた千尋からノートを見せてもらったばかりか、名前で呼んでもらえたことがあった。すっかり舞い上がって好きになってしまったものの、当然彼女には彼氏がいるらしく、空しくあきらめるより無かった。時は流れ、ふとあの頃の千尋を思い出して、興信所に頼んで居場所を突き止めた。ところがあの明るかった千尋の雰囲気は豹変しており、子育てのストレスでもあるのか、やつれて疲れ果てているように見えるのだった。男はどうしてもその千尋のことが気になり、仕事をやめて彼女が結婚して住んでいる近所に熱帯魚の趣味的な店を出して、その店舗の上の部屋に住んで彼女の家を監視するようになる。そうして彼女の謎を知ることになるのだったが……。
 そもそも異常なストーカー行為なのだが、彼女の置かれている状況もかなり異常だ。そんな状況にありながら逃げようとしない千尋を見ていると、かなりイライラする。そうしてその状況を助けようとしても動けない男の姿にも、同じく激しい怒りを覚える。まあ、そういう設定を楽しむ映画なのだが、その設定と展開自体が、かなりイライラさせられるのである。こんな奴らは早く殺してしまえ、ってな気分になるのである。まあ、なっても仕方ないのだけれど。
 しかしながら冷静に考えると、これらの異常な人々なら、こうなって必然なのかもしれないな、という事も考えてしまう。多かれ少なかれ、昔から家庭内の暴力はありふれているわけだし、だからそれでいいとは言えないまでも、一種のプレイ化してしまった人々だっていることだろう。この場合はそうではなくて異常なわけだが、そう簡単に他人が干渉できるものではないのかもしれない。明るく優しかった女性だからこそ、男の呪縛から逃れられない精神性が有る、という事なのかもしれないのだ。わからんことだが。
 そういう訳でお話は進むのだが、ある意味究極の愛だとも言えて、考えさせられはする。結局イライラはするけれど、まあ、そういう人もいるってことで、納得するよりないではないか。
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孔子さんは言われたのである   論語入門

2024-11-29 | 読書

論語入門/井波律子著(岩波新書)

 論語の解説本はこれまでにも何度か手に取ったことはあって、おそらくだがこの本でも、それらのものとの重複は多数あったのだろうとは思うのだが、改めてこのような解説本を読んでみて、ずいぶん忘れているものだな、というか、新たな感銘があるのである。そもそも古典というのは、そういう風に繰り返し読まなければならないものではあると思うが、いつも集中して読むわけではない人間なので、そのような周期でもって、孔子様のお言葉に浴せなければならない。
 孔子さんは紀元前に生きた人だが、それでも古典を愛し勉強し続けていた。今の時代と違うところが多いので一概には言えないが、別段農業などをして働いて食っていた訳ではなさそうで、いわゆる当時の諸国の王様などに仕えてみたり、行事等で儀式をしてみたりすることの謝金のようなものだとか、よく分からないが弟子などが何処からか稼いできたお金を原資に、集団で暮らしていたのかもしれないと思われる。孔子に出資するような人々がいるような感じもあって、孔子さんが凄い人だと認める人が多いからこそ、毎日祭礼のようなことをして修行をし、勉強を続けていたものだろう。論語というのは、自ら記した書物では無くて、孔子さんの死後、弟子たちが孔子さんの言葉などを中心にして書き残したものであるらしい。ひょっとすると、何度も書き直されて今に至るのではなかろうか。
 この入門書から浮かび上がる孔子さんとその弟子たちとのやり取りから、孔子さんという人物の、実に魅力的な姿が分かるようになっている。ほんの短い文章の中から、これだけ豊かな解釈ができるということに、本当に驚かされることになる。古典的な中国語の表現から、当時の様々なことが分かるのである。もちろん、古くから、多くの人から、何度も読み解かれた内容なのであるから、実際には細かい部分で意見の分かれる解釈があるらしいのだが、そうであるからこそ、著者はどう読んでいる、ということが書いてある訳で、なるほど、孔子様の言葉を聞くということは、聞く側の姿勢にも、実に大切な構えのようなものが必要なのだということが分かる。そういう事が古典を読むということの醍醐味なのだろう。そうしてそれは、物事を学ぶということの基本でもある訳だ。論語を読むというのは、論語だけを読んでいるという事では無くて、そのような物事の背景を含めて読むことになる。おそらくそれは、孔子さんが勉強していた姿勢とも通じる教えなのかもしれない。
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人を探して旅をする   瞳をとじて

2024-11-28 | 映画

瞳をとじて/ビクトル・エリセ監督

 映画の撮影で重要な役を演じていた役者が、その演じる役と同じような状況で旅に出るように失踪してしまう。また、警察の捜索では投身自殺を図ったのではないかとされたが、海岸からは遺体は上がってはいなかった。映画は未完のまま、時は流れる。映画の中でも人探しをしていたわけだが、同じように本監督はその役者の行方について、依頼を受けて探しに行くことになる。
 三時間近くある映画で、監督さんは長回しで有名な人で、さらに31年ぶりの作品なのである。当然注目を集めることにもなるが、ファンが多いとはいえマニアに近いものがあり、商業的にどうか、という作品ではある。おっかなびっくり確認するように見たわけだが、あんがいに見られるものであった。謎解きを追う展開でもあり、その謎は一応は後半に解けはするが、クライマックスの味も悪く無い。映画の中で映画が撮られている状況と、主人公たちの生の生活のようなものが垣間見えて、ちょっと不思議な感覚に陥るようなところもある。酒を飲み、タバコを吸い、ギターを弾いて歌ったりする。犬の演技も素晴らしい。生活に困窮しているわけではなさそうだが、裕福な訳でもない。住まいはみすぼらしいし、漁師の手伝いをしたりもする。映画は撮っていたが、物書きの方の作家として、その後は暮らしていた。しかし、それも趣味的に書くようになり、暮らしは何物にも縛られない自由さがあるようなのだ。
 会話は長回しで単調なのだが、やはりそれは必要であることも見て取れる。そういう間合いのようなものが、逆に観る者を引き込むのである。俳優たちの演技も引き立っていて、著名な人たちなのかも知らないのだが、なんとなく安定している。日本人の反応とは違うものがあるのは当たり前だが、しかしその動きそのものは自然体で、確かに人はそんな風にふるまうものかもしれない、と思わせられる。追っている人間の記憶は飛んでいるわけだが、果たしてそれは取り戻せるのだろうか。
 それでもさすがに長い展開を見せるので、心の余裕があるときに観るべきものかもしれない。そうしてやはり商業的では無い。そうではあるのだが、ビクトル・エリセという監督が、どうして著名なのかは理解できる出来栄えなのではなかろうか。もう少し間をあけずに作品は発表した方がいいとは思うが、まあ、今後もできれば頑張って下さい。
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人間の臓器は芸術か   クライムズ・オブ・ザ・フューチャー

2024-11-27 | 映画

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー/ディビッド・クローネンバーグ監督

 ああ、そういえばこの監督は変態だったな、と思い出した。好きなことをするのは、特段悪い事ではないのだろうが、商業映画をつくって世界に広めるのは、ちょっと考えものかもしれない。
 未来の話らしいが、人間は一応進化しているらしい。そうして体の中で、なんだか変わった臓器を生み出すことができるようになっている。痛覚に関してもあまり感じなくなっているようで、体を切り刻んで遊ぶことができる。また、プラスチックなどの科学的な加工物を食べて生きることのできる人も増えているという設定である。そうして主人公は、そのような新しい臓器を体の中で作ることができて、その臓器を芸術的な形や色合いでもって、体から取り出すパフォーマンスでカリスマ的な存在になっている。必ずしも体調が良い訳では無いようだが、そのような臓器を生み出すために、奇妙な食事をしたり、奇妙な寝方をして生活しているという事らしい。
 当然このような流れに反抗するような事件も起きている。プラスチックを食べても平気で、さらにドラッグのように感じる人もいる反面、これを食べると死んでしまう人もいる。適応できるかどうか、ということと、社会悪につながるような、奇妙な臓器のやり取りがあるということのようだ。いちおう取り締まりがあっているようだけど、それもなんだか本気そうには見えない。いわゆる抽象的というか、芸術的な世界観とのずれがあるのだ。
 もっともそういう美意識というものと、エログロが融合した胡散臭さもある訳で、監督の価値観はおそらく、その両極にあって人々を驚かせたいのであろう。気持ち悪がっている大衆を笑いたいのかもしれない。嫌悪を抱く人も多かったと言われていて、そういう事もこの映画の話題性でもあった訳だ。一定の評価をする批評家もいて、相変わらず馬鹿かもしれないが、奇妙な映画であることは間違いない。まあ、人を選ぶわけだし、面白くもくそも無い訳ではあるのだけれど……。(でも、性懲りもなくいつものように見てしまう自分に自戒を込めて……)
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ヤクザと中学生との間には   カラオケ行こ!

2024-11-26 | 映画

カラオケ行こ!/山下敦弘監督

 原作は漫画。僕は実は読んだことがある。絵もきれいだが、内容もなんとなく奇妙なギャグ漫画という感じ。いや、奇妙な感覚の物語というか。映画化にあたっては、やはり気になるのはそのあたりのニュアンスかもしれない。
 ヤクザの組長がカラオケ好きで、組員を集めてカラオケ大会を都度催しているらしい。面倒なのは、そこでうまく歌えない奴がいると、組長自ら入れ墨を入れてくれることになっているということで、何しろ組長は入れ墨は素人の上に絵がへたくそときている。要するに地獄を見ることになる罰ゲームという事らしい。それで困った組員の一人が、ふと中学生の合唱団の大会に立ち寄り、そこである少年の歌に感心し、カラオケ指導を頼み込む。少年は合唱部の部長をやっていて、確かに歌は上手いのだろうが、ヤクザに歌謡曲の指導なんてできるわけがない。カラオケボックスでチャーハンをおごってもらいながら、Xジャパンを熱唱するヤクザの姿を眺める日々を過ごすことになるのだった。
 設定から無茶があるが、中学生だとはいえ指導をして下さる先生である。ヤクザにも礼儀があり、直接暴力で脅して指導を仰ぐことはしないが、ヤクザとしての背景が圧迫する空気感はある。しかしながらこの中学生は多感な時期の横着な性格もあって、ヤクザと対峙しながら結構好き勝手なことを言うようになる。そういうところもヤクザの男には、妙に気に入られることになるのだったが……。
 これははっきり言うべきことだが、こういうやり取りのあやのようなものが、つまりは恋愛劇なのである。少年愛もあるとは思うが、基本的に同性愛を提示している。そういうことを楽しむ作品なのである。ちょっと映画的にはそこのあたりに弱いところを感じないでは無かったが、娯楽作としてぼかしすぎているからである。いわゆるツンデレがあって、暗喩的な告白も受ける展開を、このようなものとしてあらわしている。胸キュンなのである。まあ、僕には分からない訳ではあるが……。
 男女間の恋愛に純愛というものが無くなって久しいが、だからこういう感じで、純なものが演出される。多様性、と簡単に片付けてもいいのかもしれないが、そういう自由さというようなものを楽しむ時代ということなのである。あとは、それなりに観たらいいのである。
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術中にはまっているのはどちらの方なのか   殺人者の健康法

2024-11-25 | 読書

殺人者の健康法/アメリー・ノートン著(文藝春秋)

 外交官の父を持ち、日本で生まれてアジアの各地で育ち、最初は日本の大手商社で通訳を務めた後にフランスに渡り、作家に転身した著者の処女作と言われるもの。ノーベル賞作家が末期がんになり、余命数か月という時に何人かのジャーナリストのインタビューを受けることになり、辛辣な毒舌家である作家が、インタビュアーをけむに巻きながら罵倒し退散させた後に、若い女性の記者からのインタビューを受けることになる。この女性が意外なことにさらなる機智のとんだ会話術を心得ていて、作家の全作品を読破しているだけでなく、未完の作品の謎に迫る秘密を、まんまと作家の口から暴き出すに至る会話劇である。
 小説ではあるのだが、基本的にずっと対話をし続けているので、戯曲とも言っていい作風である。ああ言えばこう言う、という言葉の応酬で、基本的には相手を陥れるための悪口が続く。まあ、普通の人間ならこんな会話はとても続けられるようなものでは無いが、相手が相手だし、しかし罵倒されるような事情も抱えているというか、いつの間にかそんな風なことになってしまう。そうして、記者たちが無残に老作家にしてやられる物語なのかと思っていたら、中盤からがらりと様相が変わっていく。若い女性記者は、この老作家のことを実によく調べてきていて、さらに作家の書いてきた文学作品の素晴らしさもしっかり理解している。しかしこの作家は基本的に精神がねじ曲がっているので、人物自体を崇拝しているわけではない。その上で女性としての優位性をもって、作家が口を滑らせるところを逃さず逆につるし上げることに成功し、どんどんと作家を陥れる作戦を展開させる。しかし老作家は実際この会話劇を、退屈しのぎとして実に楽しんでもいて、本望なのである。そうして未完のまま筆を折ってしまったにもかかわらず、その小説のさらなる顛末まで、口頭ではありながら実際上構想的に書き上げることに成功するのである。すごい。
 しかしそれだけでは終わらない。事実と小説が入れ混じって、現在の会話劇も衝撃のクライマックスへと突き進んでいく。いったい何ということだろう。人間の狂気が行きつくところまで、やっぱり最終的にいかなくてはならなくなるのである。
 作者は僕より一つ上のようだし、僕の若い頃に日本でも話題になった小説らしいのだが、まったく記憶にない。本に挟まっているこの出版社のチラシには、当時の新刊の紹介があって、確かにそれらの一部は読んだ記憶があるので、その時代性は分かりはする。その後も小説は書いているようだが、この時ほどずっと話題になっているとも聞かない。日本にもなじみのある人だし、内容的にちょっとスノッブなところはあるけど、確かに面白いので、古本屋などで見つけたら、手に取ってみるといいだろう。
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さらば新宿

2024-11-25 | 散歩






 こっちからも見上げてみる。いったいどんな人が住んでるんでしょうね。


 東京医大通り。



 医大の玄関がありました。


 トシン電気ってのがいいね。


 一度この辺りのホテルだったこともあって、結構この辺り知ってます。要するに周辺散歩するからね。


 ちょっと離れているけど、あっちの信号を渡ったほうがいいです。


 そうして渡ると、一気に飲み屋街に通じていくわけなのであります。


 ビルもこんな感じになっちゃって。朝だと何となく恥ずかしいです。


 そのすじの人々が、朝から疲れた様子で帰っている感じっすかね。


 若者も多いけど、まあ、あんまり堅気ではない感じです。


 ゴリラもいます。


 とにかく清掃車がたくさん出ていて、行く時よりもだいぶ片付いた感じがします。仕事してますね~。


 最近ネットで上がってるけど、立ちんぼの多い通りですね。


 大久保病院。


 だいぶ近くに来ました。


 新聞でも買って帰ろうかな。


 歌舞伎町には大きなネズミがいると言います。まあ、僕も見たことあるけど、普通のドブネズミだと思うけどな(※ひとは驚くと、実際に見た個体を大きく見積もる錯覚があるのです)。聞くところによると、毒殺しようとして毒入りエサを撒いたらしいんだけど、それでも生き残って耐性を得たのがのさばっているのだとか。ほんとかね。


 見上げるあの辺りが泊っている部屋です。


 一旦ただいま。


 すっかりあさのひかりを浴びて、少しだけ健全になった歌舞伎町。



 ゴジラもちゃんといます。


 買い忘れたものがあるらしく、しかし荷物があるんで、駅のロッカー利用しましょう。


 振り返ると細いビルに見えるね。


 通勤も収まって、少しまた静かにもなってます。


 思い出の紀伊国屋書店。開店前に消防の訓練やってました。


 デパートの中で、スタッフミーティングとかやってるところが多かった。今日も張り切って稼ぎましょう、って感じっすかね。分からんけど。


 何事も行動が早すぎて、デパート前で開店待って買い物しました。そんな人たちが何人もいたんだけど、あのおばさまたちはお金持ちなのだろうか。何しろ何でもものすごく高いんで、僕なんか一所懸命見ないふりして歩くしかなかったんだけどね。どうせ買わないんだし。
 で、新宿はおさらばです。


 山手線にのって、なんとなく今回はモノレールで帰ることにしました。


 実はモノレール、そんなに乗らないので久しぶり。京急ばっかりなんですよね。僕は新橋から帰ることが多いので、直通で行けるからでしょうね。


 ほとんど埋め立て地なんだろうけど、とにかく人がいっぱい住んでいるんだろうね。なんか知らんけど、大変だな。


 帰りは蕎麦にしました。麺が細くてそうめん風蕎麦って感じでした。
 ごちそうさまでした。そしてお疲れ様。



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情けないところもあるが、憎めないところも   TATTOO(刺青)あり

2024-11-24 | 映画

TATTOO(刺青)あり/高橋伴明監督

 実際に銀行強盗事件を起こした犯人に着想を得て、脚色演出した作品だという。宇崎竜童が主演し、ヒロインの関根恵子はこの映画で高橋監督と知り合い、後に結婚した。
 少年のころから不良で、目立ちたがり屋で事件ばかり起こしている明夫は、すでに殺人はしていたが、成人となり保護から外れる。キャバレーのボーイなどで食いつなぎ、胸に入れ墨を入れて箔をつけている。女のひものようなことはしていたが、ある時ひどく美しいホステスが現れ、男がいたにもかかわらず猛アタックをかけて奪ってしまう。しかしながら明夫は酒を飲むと乱暴者になり、女に暴力をふるった。そんなことをする一方酔いがさめると、急激にやさしい男になって世話を焼き、手料理をつくって女の体調管理などにも気を使った。
 ともかくそんな粗野なところと繊細さがモザイク状に入れ混じった奇妙な男なのだが、母親からは30才までに大成すると予言されていて、いつの間にか30を過ぎてしまい、何か大きなことをやらなくてはということで、銀行強盗を実行することになったのである。
 そのような顛末の記録を、奇妙な男と女のやり取りを交えながら進んでいく。どうしようもないチンピラで、いつもいきがって格好ばかりつけているが、ハードボイルドから哲学書まで、自分の考えや憧れのままに読書するなど、ある意味で自分磨きに余念がない。客がクレー射撃をすると聞くと、自分も射撃に通って腕を磨く。暴力をふるうものの、女のことが愛おしくて仕方がない。なんとか大きなことをして、驚かせてやりたいのである。
 宇崎竜童の演技がどうこう言うようなものでは無い、体当たりの演技を人物の混在ぶりに、なんだか奇妙な感覚に陥っていく。困ったチンピラに過ぎないはずが、なんだか憎めない生き急ぐ男を応援したくなるような、そんな気持ちにさせられるのである。映画の始まりに既に死んでいることは示唆されていて、この顛末は失敗に終わることは分かり切っている。それでもなお、なんとか銀行で金をせしめることはできなかったのであろうか。
 公開当時、それなりに話題になったことを何となく思い出したが、当時の僕はやくざ映画は特に好きではなく、見逃していた。映画としてなんとなく古くさくはなっているものの、しかしそういうものも含め、なかなかにいい映画なのだった。男から逃げてしまうものの、やっぱりヤクザ者のところに行ってしまうような関根恵子もいいのである。ググってみると、このヤクザ者も実在の人物をモデルにしているという。奇妙な時代を生きたヤクザな生き方しかできない者たちを、見事に映像化した作品なのだった。
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タワマン見に行く

2024-11-24 | 散歩







 不夜城も朝方には少しばかり静かになってました。


 スカイツリーも見えます。


 下に降りて朝食。西洋系の外国人が結構いました。彼らもデカい体で、たっぷり朝食とってるようでした。肌寒い朝なのに半そでの人も多かった。体のデカい外国人は、寒さに強いってほんとかな。


 食後の散歩。


 昨夜の喧騒で散らかったまち。週末は更に凄いことになってるんですよね。人が多いと、こういうのが大変なんだよね。


 警察官がたむろしてるんでなにかな、と思ったら、けんかの仲裁のようでした。朝まで飲んでるとろくなことしないな。


 ビルの隙間。通るには狭すぎるな。


 ゴールデン街の方に抜けてきました。


 花園神社。


 なんか、お祭りの跡片付けしてたようです。


 提灯ぎっしり。資金は潤沢の集まったでしょうかね。場所がいいと集めやすいよね。


 あちらが昨日通った末広町。


 実は宿の窓の外から見えるもので、気になったのでそれ見に来たんですよね。


 あちらが花園通り。


 距離感としてここらあたりのはずなんだよな。


 ふむふむ、実は見つけましたが、写真に収めづらいな。


 ちょっと反対側に渡りまして……。


 じゃーん。富久クロスコンフォートタワーであります。いわゆるタワマンですね。


 ただでさえこの辺りマンション多いのに、ひときわデカいです。


 それで向かい側の東長寺。



 振り返って、パチリ。


 墓にモダンな建物。


 で、墓の影からパチリ。


 今から通勤通学の人が増えてきそうです。


 タワマンのエレベータも混むんじゃないでしょうかね。しらんけど。


 この日は結構風も吹いてて、肌寒いんですよね。まあ僕の散歩にとっては、寒い方がいいんですけどね。



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値上げはなんでも悪いことにされるが……

2024-11-23 | 時事

 郵便料金の値上げについては、さまざまな不満の声がきかれるところだ。モノの値段が上がっても気にならないくらいお金持ちになりたいものである。
 今回の値上げについては、消費税が上がった時のことを除くと30年ぶりということだ。郵便事業は赤字が続いているといわれ、国会でも何度も答弁がなされていて、ようやく値上げがなされたという経緯がある。ずいぶん前から分かっていたことではあるのだ。
 それでもまあ、30年も頑張ってきたにもかかわらずすっかり悪玉にされた郵便局なのだが、そもそもサービスが低下しているにもかかわらず値上げというタイミングも悪いのかもしれない。しかしながらそうであるならば、郵便料金はこれまで安すぎた、ということも言えるのではないか。そういう事も気になって、国際価格を調べてみると、必ずしも条件がぴったり合う訳ではないものの、郵便の封書などの料金を見ると、日本の料金は最安値であることが分かる。値上げしても、他国より抜きんでて高くなるわけでもない。
 日本は人口も多く国土もそれなりに広いので、郵便サービスの内容の比較も難しいのだが、日本の郵便は信用度も高く、比較的早く配達されていることも分かる。土日祭日配達して無いのだが、そもそも毎日配達している国なんてものは無いようで、さらに配達日を減らす動きは国際的に加速しているらしい。電子書類への移行が進む北欧はもとより、そもそも郵便物そのものの取り扱いが、国際的に激減しているのだ。今のところ赤字経営は米国・イタリア・日本くらいだけれど、収益はどこも高くはない。特に日本は、少しばかり料金をあげたくらいでは、経営は健全化しない。値上げによる取扱郵便は今後も減る見通しだし、値上げしなくても取り扱いは、荷物以外は減り続けることが予想されているのだ。
 要するに郵便事業は、どの国においても成り立ちにくくなっている現状がある。これまでよりもサービスの質は落ちてきたというものの、さらに合理化を進めて、配達日数なども限られたものになっていくのは必然的なようだ。組織力は抜きんでて大きなもので網羅されているものの、これの維持ということを考えると、大きすぎるということも考えられる。金融サービスで下支えしている事業とはいえ、単独では難しくなっているのだろう。
 ということが改めて分かった訳だが、これを機会に郵便離れが加速することにより、個人的には、いろいろ助かる思いもする。いまだにはがきで返答しなければならない案内もそれなりに多いし、要らないダイレクトメールは日々大量に届いている。紙の書類でやり取りしているものも多く、本当に不便だ。ほどんどメールなどの電子的なもので代替できているものばかりなので、郵便でのやり取りは終わりにしたらどうだろうか。書類はこっちで印刷できるので、添付してくれさえすればいいのである。さらに電子資料なら、複数の末端からも見ることができる訳で、うっかり忘れても対応ができる。なかには郵送で送ってきたものを当日もってこいという会議なんかもあるので、本当に困ったことなのである。郵便事業にとっては危機的なことは分かるのだが、事業を見直さないことには成り立たないことくらい、猫が考えても分かることだったのである。かつては紙の消費量がその国の文化度の高さを図るバロメータだったのだが、もうそんな話は聞かなくなった。あとはそういう変化が早いか遅いか、ということなのであろう。
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新宿界隈

2024-11-23 | 散歩







 二日目の投宿宿の予定。なんとなく年季が入ってるな。


 もう歌舞伎町近辺って感じです。


 部屋の窓の外の風景。


 ゴジラも見えます。
 何年前だったかな。この映画館にぶらり入ってみると、「君の名は。」の前に長蛇の列ができてて、そんなに人気のある映画があるんだな、と認識新たにして観たんですよ、新海誠作品。ハマったなあ。


 下を見下ろすと、エアコンの室外機がびっしり。人間の営み支えてるんですね。


 約束があるんで移動します。


 交差点の人もぼちぼち増えて来たかな。


 アルタ前。待ち合わせの人も多いです。


 ということで、無事合流してイタリアンなのでした。


 ビザ二種に、スパゲティ二種。


 とにかくお腹いっぱいになりました。スパの写真何故だか無かったな。


 食後のコーヒー。


 でね、お買い物に行きました。


 新宿に初めて来たのは中学生の時でした。父の出張についていって、学校サボって行ったと記憶してます。今となっては記憶があやふやだけど、インドカレー食ったような気がするんだけどな。いったいどこに行ったんだろう? 中村屋だったのかな、うーん。


 それでね、この界隈一人で来るようになったのは社会人になってから。


 二十代の後半にふらりと寄席に入ったんですよね。助六弁当かなんか食いながら、半日ずっと見続けてました。


 マルイに入ったらゴジラがいた。


 また駅前まで来たら、立体猫がモノを落としていた。みんな動画撮ってましたね~。


 ひときわデカい、東急歌舞伎町タワー。これ、僕がコロナ前に頻繁に出張できてた頃、ずーっと工事してて、いったいいつまでやってんだろうって思ってました。(だいぶ前の話だけど)六本木ヒルズも10年くらい工事してたと思うんだけど、あそこはいつも通るところじゃないし、気にはならなかったな。虎ノ門ヒルズも長い間工事してて、東京ってとにかく変容します。今は渋谷だよな(すでにだいぶ変容したけど)、なんといっても。まだ工事やってたし。品川もまだやってるしね。新しく駅まで出来ちゃったもんな。


 中はこんな感じ。外国人率高い雰囲気です。


 いろいろ買い物して疲れたんで帰りましょう。


 部屋の窓の外のネオンちかちか。騒音もなかなかのものです。


 まさに不夜城ってところでしょうかね。



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鯨として滅びる   ザ・ホエール

2024-11-22 | 映画

ザ・ホエール/ダーレン・アロノフスキー監督

 極度の肥満症のため歩行器などを使ってしか移動ができない体になってしまった男いて、しかし東洋系の看護婦が世話をしてくれたりして、なかなかにモテる様子だ(この人は、元恋人の妹だったのだそうだ。なるほど)。ウェブで文章指導の講師をしていて、糊口をしのいでいる。男には何か問題があって引きこもりに至った訳だが、ある日疎遠になっていた娘が訪ねてきて、一方的に罵倒されるなどするが、その関係を修復しようと努力するものの、肥満のために病状が悪化しており、残りの寿命が短くなってもいるのだった。
 非常に評価の高い作品なのだが、結論を先にいうと、まあ、実際はたいしたことのない愚作である。それらしい雰囲気を持っていることと、実際の肥満男を演じている俳優の社会問題などが絡んでいて、それを周りの人間が持ち上げたために作品自体を見誤ってしまう結果になったのだろう。まじめに映画を観る目があれば、どうってことのない甘えた作品なのである。アメリカは病んでいる、とは言えることかもしれないが。
 さらに、それでも努力はしていて、精神的な痛手があるがために、うまく行かずに食べ続けなければならない、ということになっている。特殊メイクがあるのだろうと思われるが、病的に太りすぎているので、本当にその姿が痛ましい。それは映画的な狙いだが、同時にそれが見にくいがために見誤ることも想定しているわけだ。そうして家族は実際にこの男のことを理解していない。彼は滅びの道を歩む以外に方法を持たないのだ。
 要するにそういうところが甘えだと思うが、病気なら仕方がないということになるのだろうか。僕には元奥さんが悪いようにしか見えないが、現実には俳優にはセクハラが悪いということのようだ。それは後にネットで知ったことだが、だからそういうのは映画的には、少し関係のない話である。残念だがアメリカのゴシップを肌で知っていないことには、この素晴らしさには到達できないのかもしれない。
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いせや、もありました

2024-11-22 | 散歩










 この公園は、結構映画やドラマの舞台にもなってまして、なんとなく見覚えのあるところが結構あるんですよね。まあ、勘違いもあるかもしれませんが。


 まちの規模もあるんでしょうし、さらに朝の時間だからというのもあるのだろうけど、街中、もしくは住宅地のあるところの公園としては、ずば抜けて自然感の高いところなんじゃないでしょうか。けっこう広いですしね。


 弁財天、大盛寺。


 なかなか美しい寺ですね。


 お金を洗う事も出来ます。僕は現金派ではないので、関係ないんですけどね。でもまあ、今後はお金に困らない生き方ができますように。煩悩消す方が最初かもしれませんけれど。


 通勤の人々は駅方面へ。僕は、違う方面へ。


 いやいや、ほんとに静かなところですよ。遠くに喧騒は聞こえはするものの、別世界でしょう。


 そんでまあ、お約束の場所かもしれません。


 遠くに立ってる人がいる。


 ラピュタのロボット兵ですね。


 別段これが目的で来たわけではなくて、予約ないと入れないところだとは分かっている訳で、そういえば、というので足を延ばしました。
 公園の一部にはなってますが、駐車場もあるし、そういう感じで来るところなんでしょうね。宮崎駿も、僕の青春の一部です。この人も変な人かもしれないけど、カリオストロとかラピュタとか、本当に繰り返し見た映画です。十代の僕は、間違いなく宮崎駿の影響を受けているはずなのです。その後爆発的にブレークして、ちょっと戸惑いましたけどね。


 だだっ広いグラウンドなんかもあるんです。


 木材のチップも、おそらく何かの再利用にしてるんでしょうね。僕もチップは二十代のころにやってまして、こういうのは懐かしい感じですね。僕がやっていたのは事業としては失敗したクチですが、今は時代も違う訳で、まあ、頑張ってください。


 あっちは動物の何とかだな。


 僕は散歩は好きなんですけど、おなかの具合もあるわけで、時限的にもう帰らなければ。


 あ、高田渡の常連の(今はきれいになってるけど)「いせや」ではないですか!   僕らにとっては聖地だけど、何しろ朝なんで、見るだけですね。いつかは立ち寄らねば。


 駅前に出てきて、あえて地図を見ない旅も終わりかな。


 ホテルの前のオブジェ。いったい何をしたいんだか……。






 そんで、移動したのは新宿であります。


 工事中が多くて、方角間違えちゃったよ。でもまあ、だいたいの感じは分かるので、修正修正。


 昼間の飲兵衛の聖地。夜もだけど。


 一回だけだけど、友達と飲んだことあるんだよね。酔っ払いのおっさんと僕が話をし出して、友人は不機嫌になって……、なんてことがあったな。まあ、そういう場所という事で、人々が飲み込まれていくのでありました。


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吉祥寺、高円寺

2024-11-21 | 散歩









 今回の旅のスタートは、羽田でとんかつ。いろいろ事情はあるんですが、勝ちたい気持ちと、単に食べたかったので、並んでいただきました。


 そういう訳で、とりあえず泊りの吉祥寺。久しぶりだけど、なんとなく懐かしいんですよね。そんなに来たことないんだけど、映画なんかでよく出てくるまちだからかな。


 でもね、目的地はちょっと違うのです。


 電車で4つ、9分で着いたところが目的地で、メインディッシュなんです。


 もともと高円寺銀座商店街という名前だったらしいが、このまちの出身のねじめ正一が「高円寺純情商店街」という小説で有名になり、純情に名前を変えたのだという。


 よく見てみると、ヤクザというのではなくて、自由人なんだろうね、歩いている人の肌に刺青率も高く、若い人も多い(まあ、夜だしね)。そうして商店街は、なんとなく昔ながらの風情。中央線のまちは結構降りてるんだけど、実は高円寺は初めてです。なんだか、アガるなあ。


 庚申塔。なんでこれがここにあるのかは、しらん。


 で、ライブを見たのです。なんなのかは秘密です。個別に(知人限定ですけどね)問い合わせてくださいませ。
 ともかく、楽しかったなあ。


 うーんとね、いろいろ端折るけど、目的を果たして、戻って食事にしようかな。明日もあることだしね。


 吉祥寺に戻ってハモニカに来たんだけど、さすがに時間が遅いようで、空いてるところは若者だらけって感じだったので、目の前の海鮮居酒屋へ。


 せっかくだから焼いてもらって、何故か僕だけ好きなウインナ食べました。


 ビール飲んで、ハイボール飲んで、焼酎の水割り飲んで、まあ、そんな感じで、いい感じなんです。何でもないことだけど、連れ合いとこんな感じで旅行したのは、結婚して初めてだったんですよ。









 朝はビッフェで。でもまあ、家で食べるのと、(内容は)そんなに変わらないんですよね。習慣ですから。


 食後に、小雨が降ってる感じだったけど、僕だけ近所を散歩します。ホテルの裏っ側が井之頭公園だろうと勝手に踏んで歩いていたら、なんとこれは……。


 花も手向けてあって、間違いありません。楳図かずお邸ですね。雑誌でお宅の写真は見たことがありましたし、いろいろと噂のある邸宅ですので、僕でも知っているところでした。確かにそういえば、ここらあたりにあったのですね。偶然とはいえ、驚きました。


 僕はティーンのころは、ズバリまことちゃん世代なのですが、兄の本棚の漂流教室などを読んだ経験から、当時からすでに古典的な恐怖漫画家として馴染んでました。テレビにも出ている変なおじさんで、ちょっと空回りしている芸風だったけど、何しろ本当は漫画家だし、その描き込みの激しいタッチは、日本漫画界の金字塔ともいえる偉大さだったのではないでしょうか。
 これは単なる偶然にすぎないにせよ、僕の幼い青春の思いが、ここに呼び込まれたものではないかと、そんな感慨を抱きました。本当にありがとう。合掌。
 それにしてもまわりは静かな高級住宅地(ちょっとした袋小路になっている)で、たぶん億の家ばかり並んでいます。車でお迎えが来ているような高級な人々が住んでいる、階級的に上位の人々が住んでおられるようです。楳図の家は景観を壊すという理由で訴訟を起こされ、ひと悶着あったというのは記憶にあります。しかしながらこの辺りの家も、数件取り壊されたりしている様子で、盛者必衰のことわりをあらわすような、そんな風景も目にしました。結局生きている間にも、人間にはドラマがあるわけです。


 そういう住宅地を抜けると、やっと公園の導線が見えてきました。


 井之頭公園です。


 あっちにボートも見えるな。だいぶ前に来たことあるんだけど、こんなに綺麗なきれいなところだったっけ?


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ノーマを捨てたマリリン

2024-11-21 | ドキュメンタリ

 マリリン・モンローは、アメリカのみならず、世界的なセクシーな女性の象徴的なアイコンだが、実在だった人物にもかかわらず、もっとも本人とは程遠いイメージの人間だったのかもしれない。マリリンは子供時代から(ほとんど孤児院でくらしていた)、男性が自分に注目していることには気づいていた。そうした自分なりの女性的な才能のようなものを伸ばせないか、とも考えていたようだ。自分の女性としての魅力を使って、将来的な仕事につなげられるように、いわゆる努力を重ねるようになる。彼女の本来の目標は、子供が喜んでみるような女優になることだった。
 若い頃にはピンナップの写真のモデルとして活躍するが、どのように写真に撮られることが魅力的に見えるか、常に研究していたとされる。すべては将来女優として活躍するための糧として、取り組んでいたわけだ。そうして着実に注目を集め、髪は金髪に染めて、名前をノーマ・ジーンから、マリリン・モンローに変える(これもモデル専属会社から言われたので)。苗字は祖母方のものから借りた。僕は日本人なので米国的な名前の響きというのは今一つ分からないが、ノーマ・ジーンには無いセクシーさが、マリリン・モンローという名前にあるということなのだろう。
 しかしながらそのようにして、求められるままにセクシーな姿としての写真や映画の端役を数多くこなすことに、だんだんと不満も持つようになる。会社は、いわばちゃんとした演技のできる女優とは見ておらず、男性から見たセクシーなだけの彼女しか求めていなかった。特に当時映画を仕切っていた制作会社の社長は、あくまでマリリンはセックスシンボルとしてしか価値を認めていなかった(その程度しか映画的な知識が無かった)。主役となるような女優は、あくまで清純な演技派の女優だと信じ込んでいたらしい。
 しかしながら実際のマリリンは、聡明なだけでなく、そのようなバカな役でもちゃんとこなせるだけの演技力を持っていたわけだ。だからこそしっかりと映画を観た観客の心をつかみ、一瞬でその存在感を発揮することができたのだ。彼女がちょっとだけ出る映画であっても、確実に彼女のファンを獲得し、興行成績を上げていくことになる。それなのに、やはりつまらない役ばかりあてがう会社側に反抗して出演を辞退すると、今度は活動停止処分に処される始末なのだ。
 しかしながらやはり請われて復帰を果たし、つまらない映画であっても主役を掴むと、興行的に無視できない売れ行きになってしまう。ついにはマリリンは、独立事務所を構えるようになり、契約的にも成功を収めるようにのし上がっていくのだった。
 しかしながらそうなりながらも、映画監督や取り巻きは、やはりマリリンにセクシーさを求めた。マリリンは野球スターのジョー・ディマジオと結婚していたが、ディマジオは多くの男性から熱狂的に観られている妻マリリンに嫉妬して堪えられなくなり、二人の仲は破綻する。その後もマリリンは再婚は果たすのだが、精神的に不調をきたすようになり、薬物乱用などにのめり込み、不慮の死に至るわけである。
 死後60年を超えてもなお、マリリン伝説は終わっていない。むしろセクシー女優のアイコンとして、とくにアメリカでは、多様性が謳われてもなお、特別な存在である。ある意味で保守的なことだとは思うが、無茶なグラマラスな姿では無かったにもかかわらずそうであるのは、僕にはなんとなく不思議にも思える。結局やはりマリリンは、演技力が確かだったからこそ、漫画的なセクシー女優だったのではなかろうか。後の多くの美しい女優が金髪に染め、マリリンのコピーを演じ、実際にマリリンの存在を埋めようとした。しかしそうであってもマリリンを結局は神格化することにはなっても、ポスト・マリリンにはなり得なかったように見える。本人は不幸な一生だったかもしれないが、偉大だったことは、間違いなかったのである。
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