カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

財布の分厚い人達

2018-06-30 | 

 回らない寿司屋で、まったく知らない店にふらっと入るような度胸は無い。寿司屋というのは、いくら田舎であっても恐ろしいところである。もちろん田舎や都会とも関係なく、それでいて恐ろしくない店も無いではないが、そういう運に身をまかせられるだけの財布の中身が無いと、やはり選択としての寿司屋は恐ろしげである。ちゃんと値段が書いてあると、ずいぶんホッとする。もう入ったからには網にかかっている。そういう心持が既にあって、おちおち落ち着いてはいられないのである。
 寿司が高級になるのは、そういうものをめざした人たちがいたからのようだ。また、それを喜ぶ人もいた。そういう人達の思惑が絡んで、寿司の値段はどんどん上がる。高級店になるとメニューなどないのが当たり前で、基本的におまかせで握ってもらうより無い。そういう店は数万円からというスタートで、何か飲むとさらに取られる。財布の分厚い人で無いと、どうにもならない。ちょっとつまんで十数万という事にもなりそうで、そういう金の使い方が面白いという人のためにある時間と空間、という事になるのだろう。
 確かに高い金をとる店の技術というものは、それなりに根拠はある。材料を厳選していることはもちろん、それだけの値段で店を張って行けるだけの、そうとうの自信の元になるものが必要だろう。寿司を握る手さばきや包丁使い、その仕込の手の込みようは妥協が許されない。そういうものが分かる人が客でもごくたまにいるから、手を抜けばやはり見抜かれることだろう。素材の魚の仕入れに関しても一定水準の維持費がかかるから、ギャンブルをやっているようなものかもしれない。ちょっとしたミスを犯すと、ガラガラとその世界で生きられなくなってしまうのかもしれない。そういう世界で生きて行けるだけの神経を持つだけでも、そうとうに厳しいものがあるんじゃなかろうか。
 とはいえ、そういう店でもくつろいで酒を飲むような人がいるらしい。そういう自分にも酔えるという事もあるのではないか。一流の店に通えるという人間は、そういう自分の価値を確かめるためにも、高級な寿司を欲しているのであろう。
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みんなで戦っている(ま、そうでない人もいるだろうけど)

2018-06-29 | 時事

 どこに行ってもサッカーの話題。日本が勝つってそういうことだよね。日本中こんな感じになってるんだろうな。まさに一緒に戦ってる人が多いという事なんだろう。他のスポーツも強ければそういう面はあるだろうけど、やっぱり地球規模(アメリカやインドを除く)で沸騰している感じがいいんだろうと思う。
 若い男性なんかは立ち話で細部を語り盛り上がってるし、かなり詳しいにわか評論家もたくさんいる。なるほど、なるほど。僕が男性だからだろうと思うけど、女性からサッカーの話題を振られることも多い気がする。当然ノッてくるだろうという一種のサービス精神のようなものでは無いか。当然のりますけど。
 そういう中で、改めてオフサイドのルールを教えてくれってのが結構ある。まあ、考え方は誰でも分かるとは思うけど、確かに見馴れないと分かりにくいものではある。審判だって時々ミスジャッジするものだし、あれは正確にどうだというようなものでは無い気もする。しかしそれが決定的なことになったりするので、困ったことではあるけど、しかしオフサイドが無ければ、サッカーは面白くなくなるだろうとも思われる。今のような中盤の塊みたいなものが無くなるだろうから。
 僕の観るテレビは偏っているのでいけないとは思うが、メディアの見どころとしているポイントは、大きく外していると思う。当初は本当にストライカーばかり注目していたが、それも確かに重要ではあるが、やっぱりサッカーの本質では無い気がする。実際主要選手にこだわった戦い方をしている国は、結果的にかなり苦戦したように思う。相手も研究して戦いに臨むわけで、いかにその戦術を読んで対応するのかという事が重要だ。サッカーはとことん考え抜いて戦うスポーツで、そういう地頭の良い戦い方をしている国が、やはり決勝トーナメントに進んだという印象がある。もちろん力で押し切ったようなところも無いではないが、いくら力があっても、ドイツのように予選を通過できなかった。イランは運が無かった感じだが。セネガルも残念がってるだろう。
 日本は運も味方したが、やはり戦い方がずいぶんしたたかになっていると感じる。これまでの日本とはちょっと違う。これまでも戦術は立てていたはずだが、今回は特にかなりギャンブルをしながら、先を考えてプレーしている。シュートの確率が低いので楽に戦えてないが(これが一番残念だ)、チャンスをつくることや、全員で守る意識は、参加国中かなりいい線いっているのではないか。できればセネガル戦のような戦い方が観ていて面白いが、一戦一戦違ったプランを持っているのがよく分かる。中途半端で無くてちゃんと判断しているところが、やはり素晴らしいのである。
 しかしながら次の試合は3時だって。うーん、やっぱりロシアって遠い国だよ。もっと東寄りの場所にスタジアム作らなかったのだろうか? まあ、移動が大変なんで、あきらめたのかな。
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犯人を追いつめられたのだろうか   マーシュランド

2018-06-29 | 映画

マーシュランド/アルベルト・ロドリゲス監督

 スペイン映画。連続少女殺人事件を追う二人の刑事と、事件を取り巻く片田舎のまちの異常な姿を描いた作品。スペインの郊外の農村の風景が、実に乾いた映像で浮かび上がってくる。警察は、いわば正義の味方で捜査をしているはずなんだが、どこか影のある二人組で、少し陽気な年上の方は、捜査中に人を殴っても平気というような、ヤクザな側面も持っている。そうして、なんだか少し妙な具合にミステリアスな展開になっていくのだった。
 演出のやり方は、ほぼ科白以外での説明が省かれており、状況を見て判断していくしかない。展開を追うだけでは意味の分からない場面などもあるようで、伏線がちゃんと消化されているのかも疑わしい場面などもあった(僕の見落としかもしれないが)。もちろんそれなりに意味があるのだろうが、明確にそのようなものなのか、という自信が無いまま観終わった感じである。それでも一定のなかなかよくできている感が漂っていて、面白くない訳では無い。映画としてこれでいいのかどうかは僕には分らないが…。ホラー映画ではないが、恐ろしげな映画である。
 カメラの視点から外れたところからいきなり暴力が始まったりするが、観ている方としては、なんで気付かないのだろうというような、広そうな場所(人物の死角とは思えない)からいきなり殴られたりする場面がある。そういうのはちょっと気にはなったが、まあ、そういうものという割り切りは必要かもしれない。残酷描写もあるので、心臓の悪い人は気を付けるように。
 最終的には自分で判断していい仕掛けになっているが、恐らく単純に謎解きが流れのままなされた訳では無いのだろう。スペインがかかえている歴史的な闇のようなものがあって、人々はそれを引きずりながら苦しめられている。内戦というものはそういうことかもしれないし、暮らしというものはそういうものなのかもしれない。
 それにしても、日常に暴力があるというのは、やっぱり暗くなるものだ。もっと距離を置いて平和にやりたいものだとつくづく思う。映画的にはいいのかもしれないが、なんとなくやりきれない思いの残る映画だった。

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ガマンして爆発を待つ

2018-06-28 | 音楽

 音楽は楽しみで聞いているはずだが、時折我慢して聞く場合がある。なんでそんなことをするのかというと、我慢の後に快楽があるから。
 いや特に変態的な話をしている訳では無い。曲によってはドラマチックな展開のために、あえて前半は我慢を強いるような場合というのは多い気がする。クラシックなんてものは、ほとんどの場合そんな感じじゃないか。チャイコフスキーなんて最後の爆発が無ければ、ほとほとつまらない。寝ていたらたたき起こされるという感じもあるし。
 多少の見栄もあるんだろうが、そうやって苦労してクラシックを聞いていた時期はあった。退屈で退屈で死にそうになりながら我慢して聞いた。眠いが寝ないで聞いた。つまらないながら何度も聞いた。結果結局飽きてしまった。いや、これはあんまり自分に合わないだけのことだった。そういうことは分かって良かった。でもまあ先に書いたチャイコフスキーは好きなものがあったりするので、それは発掘できて良かった。ラフマニノフなんてのも結構聞いていて、良かったような気がする。ベートーベンもモーツアルトもいいのである。さすがいまだに聞きつがれているだけあるな。まあ、西洋の人はしつこいのかもしれないが。
 僕は小学生の頃からツェッペリンが好きだから、彼らの曲なら多少つまらない思いをしてもつらくは無い。でもあんまり聞きすぎたから、最近はちょっと聞かないな。でもロックなんで、ほんとはあんまり退屈まではしない。最後に爆発してとてもいい。
 トゥールというのも、そんな感じだ。ルックスは大変にケバいが、曲も重苦しい。しかし低くのびやかなシャウトが続くと快感である。それまではずっと我慢して聞いている。最近はあんまり活動してない雰囲気で、ちょっと寂しいのである。

(追記:メイナードは別ユニットで活動してる様子だ。写真だと相変わらずキモいが)
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ある意味で密室での活劇   マリアビートル

2018-06-27 | 読書

マリアビートル/伊坂幸太郎著(角川文庫)

 東京発の東北新幹線内で繰り広げられるヤクザな人たちと、殺し合いを描いた長編小説。回想シーン以外は基本的に車内の出来事で、500数十ページが費やされている。日本人とは思えないほどの個性的な人たちがたくさん出てきて、それぞれに様々価値観を語るという事もある。活劇も多くトリックも多様だ。いろいろな悪の理屈が語られるが、不快なものとそうでないものもある。ギャグもあって、ツボに入ると笑えると思う。何しろ伊坂特有のスタイリッシュな文体もあって、読む楽しみのためのサービス満載という小説かもしれない。
 今回は出張の飛行機の中で読むために本棚から選んだ。僕は伊坂作品の熱心な読者ではないが、日本にもこのような作家がいるというのはいいことだな、と思う。今は他にもこういうタイプの文体や、凝ったプロットを構築する作家は増えている実感がある。映像的にも楽しいところがあって、多くの映画のネタにも使われている。もともと大衆小説はそうなんだという事はあるかもしれないが、特に伊坂作品などは映像化と相性がいいようにも思う。この作品だって心理面の駆け引きが激しい訳だが、映像化する派手さは十分にあると思う。そうしてやはり、二重でこの作品を楽しむことが出来る訳だ。
 内容についてはもろ手を挙げて絶賛という事では無かったのだが、ストーリーを追う楽しみは堪能できた。多少の設定の臭さのようなものがあるのだけれど、それがスタイリッシュで良い訳でもある。意外性も含めて、ちょっと超人過ぎるきらいがあるだけである。
 僕は思うのだけど、多くの人は、この小説のように他人に支配されるようなことは、そんなにある事では無いのではないか。密室での特定の短時間の関係ならあり得るが、やはりそれなりの広さがあって、逃げ出せるからである。それにいくらヤクザだからといって、そのようなことにいつまでも付き合ったりしないだろう。状況が目まぐるしく変わって、そうして生き延びる人々がいる。それはそうだけれど、やはり思うようにいかない人々の方が圧倒的に多いのだろうと思う。だからこそ自分なりに解釈を変えて、自分なりに生きるより無い。人間が哲学のようなものを必要とするのは、そういう理由だと思う。皆が納得する必要はない。皆を説得する必要も無い。そういう一貫性の無いひずみのある世界が、現実というものであろう。
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正義の人とは「今村核」

2018-06-26 | ドキュメンタリ

 冤罪事件というのは、時々ニュースになる。間違って犯人として捕まってしまうというのは、大変な悲劇である。何しろ裁判から判決までものすごく時間を要する(有罪ならもっとすごいことになるが)。起訴拘束された期間に当然仕事なんかできないだろうから事実上の失業で、さらに報道などによる社会的な信用の失墜は免れないだろう。罪を犯したかどうかわからない人間は、警察に事情を聞かれた時点で、事実上たいへんな社会的な制裁を科せられるという事になるのだろう。
 日本の刑事事件は有罪率99.9%といわれている。それは警察が優れていることの代名詞のような事にもつながって語られてきたことではあるが、逆にいうと被告人にされた人間の弁護をする者にとっては、最初から勝負にならない高いハードルであることを意味している。さらに先に書いたように、すでに大きな社会的な制裁を科している人間の息の根を止めるためだけの儀式ということになっているのかもしれない。そうでなければそのような間違いを、一体だれが責任を取って認めたらいいのだろうか。根本問題にはそのような巨大な仕組みの上の悪が先にあって、その日本の国家の中にある大きな悪とほとんど一人で戦っている男が「今村核」という弁護士であるようだ。
 ドキュメンタリーで観たのだが、もの凄い人である。こんな人が日本人にいるのか? と本当に目からうろこが落ちた。見た目は失礼ながら、多少くたびれた小太りのおじさんである。しかしその内に秘めた闘志は尋常では無い。
 実は弁護士が冤罪事件の担当を嫌がる理由がもう一つある。勝てるわけがない上に、食えないからである。弁護を依頼する人は、既に社会制裁を受けた上に職を失っている場合がほとんどだ。資産を持っていれば別だろうが、要するに金が無いのである。もの凄いハードルをいくつも越えて時間を使って戦って、勝っても報酬が無いのだ(もしくはものすごく少ない)。
 今村弁護士は、周りの弁護士からも大変な尊敬を集め、同僚からも一目も二目も置かれている弁護士としての能力に優れた人であることは間違いが無い。しかしながら同時に、変人でもありお抱えものでもあって、疎まれている存在でもある。事務所にたいして、稼ぎとして何の貢献もしていない。他の仲間たちが戦っている案件に手を回せないほど、冤罪事件にのめり込んでいる。いつも何か考え込んでおり社交的なところが無い。あいつはあいつだけ何かやっているが放ってもいる、という感じなのかもしれない。
 厳格な父の下に育てられ、勉強は出来たが反抗心もあったようだ。東大法学部に7年在籍し、その在籍が伸びたのも、ボランティア活動に没頭し、人を救うために自分の時間を犠牲にしたからだ。法でひとを守ることを当然の理想としながら、しかし法が必ずしもそのように人を救うことをしない。しかしそれでは法に生きる自分はどうなってしまうのだ。絶望を味あわないために、自分が生きて行くために、法の正義を信じて戦っている。結果的にこのような、まったく割の合わない孤高の正義で国家と戦う人になっている。
 しかし厳格な父は(既に故人)、上場企業の副社長でもあった人で、多くの資産を残していた。弁護士の収入では食えない息子は、残された資産で食うことが出来るようだった。しかしもちろん結婚はしていない。
 その厳格な父は、定年後天下りすることなく、何と司法試験に受かり、弁護士として何年間か働く。収入はトントン。父が息子の後を追ってこの道に入り込んだのである。
 ファミリーヒストリーとしても興味深い話である。本当の正義は多くの人を動かす。一番の障害であり協力者でもあった人は、正義に動かされたと言えなくはないか。
 ともあれ今村核弁護士は、孤高の人である。弁護士制度や司法制度そのものを見直さない限り、今村以外の弁護士は、この戦いに参戦することは稀だろう。そうしてその被害を受けるのは、単に運が悪かっただけの無罪の人々(純粋かどうかは分からないが)なのである。
 冤罪被害者をどうするか。その前に弁護士今村核を、僕らはどうするのかというのが、日本の根本を考えることにつながるだろう。本当に勇気のある人とはだれか。もの凄く考えさせられることだが、しかし勇気の湧いてくる素晴らしい存在である。
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上手く生き延びて下さいませ   ピエロがお前を嘲笑う

2018-06-25 | 映画

ピエロがお前を嘲笑う/バラン・ボー・オダー監督

 ドイツ映画。原題はWho am i という事で、私は誰だ?という変な謎解きになっている。ジャッキー・チェンの主演映画にも同じ題名のものがあったが、邦題はそういう混同を避けるためだったのだろうか。分からないが、映画の内容としては、必ずしも成功していないようにも感じた。
 それというのも、彼らがピエロなのか、正直なところ一度としてそう思われたところは無かった。ハッカーとして暗躍していく様はそれなりにスリリングであるし、既に捕まって捜査を受けていて、その供述の再現映像であるというのも最初から明かされている。もちろん、そういう状況に後半は変化があるのが見どころにもなっているのだが。劇中にハッカー集団がお面をしているのだが、いわゆるそれがダークピエロの面ではある。しかし、彼らが嘲笑っている相手は、いわゆるお前としての僕らでは無いようにも思う。
 重層的に観る者を騙すトリックは確かにたくさんある。思い出したのはファイト・クラブだが、そうした多重人格という事では特にない。しかしながら主人公はかなり怪しい人物で、そもそも最初からあまり信用できない。気が小さく無能そうにしているのが、ヒントにはなるだろうけど。たぶん、それでいくばくかのカタルシスがあるのかもしれない。
 しかしながら僕のような人間がこんな映画を観ていて特に思うのは、バカ騒ぎして女の子を口説いて、世間を騒がすことをして、そうしてそれが愉快だというのが、今一つ分からない。いや、そういう愉快はあってもいいのかもしれないが、描かれ方がそんなに憧れられないというか。確かに高価なスポーツカーに乗ったりするが、そうやってモテたという満足感が、自分の価値を本当に高めているのだろうか。まあ、きれいごとを言うつもりもないが、いわゆるありのままの自分の姿で、好きな相手を口説いた方が、やっぱり価値が高いのではないだろうか。
 まあしかし、今やドイツ映画だろうと、いわゆるハリウッド的だな、と改めて思う。世界的に同時に商業的な勝負をするような、そんなつくりの映画が増えているように思う。それで特に文句は無いが、やっぱり国によってちょっと違うというような違和感があった方が、映画ファンとしてはいいんだけどな、と思います。
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残さず食べる。間に食べる

2018-06-24 | ことば

 業務報告の食事の件で「カンショク」という表現を聞くようになった。もちろん以前も時々はあったと思うが、残量どれくらい、というようなことか、残さず食べた、という報告が多かったように思う。漢字だと「完食」と書く様で、まあ、知らないでは無い。一般的にテレビの影響で、主に大食い番組などで大量の食物を全部食べ切った時などに使われていたのが広がったとされる。もちろん、それは予想の範囲である。要するに使われる場面のことで、やはり日常でこれが食事のことで出るとなると、「間食」との音の混同があり、さらに意味がかなり違うので厄介だという事だ。
 困るのは、若い人に限らず、中堅の人が使い出したことだと思う。要するに既に定着が済んだという事である。業務であっても混乱の危険があっても、これを使った方が都合がいいというか、一定の理解が広まったとも取れる。医療が入ると遠慮があるようにも思うが、おおむね相手方も分かるような顔もされている。これを使わないようにしようという注意が無い限り、これはもう使われていくだろう。
 ところが、一般的に完食と言うかというと、やっぱりあんまりそういう機会は無いのではないか。ラーメンも残さず食べたら汁まですすった、というように言うし、弁当を完食したなんて大人はあんまりいない。だいたい残すかどうかなんて周りはあんまり気にしない。全部食べたというのを気にするのは、ちょっと特殊な状態というか。やはり大食いであるとか、子供であるとか、仕事の患者さんの状態であるとかいう事でない限り、めったに気にしてないのかもしれない。だから仕事で忽然とこの言葉が市民権を得るようなことになると、少し尋常でない印象を受けるのではなかろうか。
 さらにやはり間食という言葉の方が完全に市民権としては上で、こちらはこちらでそれなりに聞くわけだ。強さとしてはまだまだ健在。そうすると完食の浸食があっても、そう簡単には牙城は崩れないという事だろうか。
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大人でなければ理解がむつかしい漫画   夕暮れへ

2018-06-23 | 読書

夕暮れへ/斎藤なずな著(青林工藝舎)

 短編漫画集。著者20年ぶり著書らしい。漫画なのにきわめて小説的な話ばかりで、さらに非常に大人の話である。セックスもたくさん出てくるが、エロ漫画では無い。人間を描こうとすると、そういう事から目を逸らす訳にはいかない。だから正直に書いてある、という感じなのである。それにあまりに話が大人の話過ぎて、内容がよく理解できない感じもする。生活の断片が非常にリアルに描かれていて、そうして構成が見事すぎる。何かとてつもないものを見てしまったことに、読みながら感動を覚える。世の中にはこんな漫画家が居たのか、と素直に驚くのである。また、こういう作品が発表されるという事にも、感慨深いものがある。商業作品として世の中を席巻するようなものでは無いのだろうけれど、間違いなくこのような作品は、歴史的に後世に残るようにも思う。売れなくても残るというのは、その芸術性の高さであるとか、独自性の為である。シンプルな絵の線でありながら、本当に洗練された上手さも光っている。僕は特に漫画を描かないが(小中学生の頃は描いていたが)、漫画家を目指すような人にとっては、驚きの画力なのではなかろうか。
 よく外国人が、日本人は大人になっても漫画を読んでいるという事に、一種の奇異の目で日本文化を捉える傾向がある。単なる偏見ではあるのだが、やはり漫画というものを知らな過ぎる所為である。日本には、大人にならなければ決して理解できない漫画の世界があって、いや日本以外にもそういうものはあるのだが、そういう文化的な漫画の姿としての、代表選手のような作品なのではないか。そういう意味では翻訳されて欲しいし、国際的にも読まれるべきではないかと思う。もっともそういう素地が無い人たちには、やはり理解が難しいかもしれないのだが…。
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かっぱ橋散策

2018-06-22 | 散歩
 その昔、やっぱり一人で歩いていて、当時はスマホでなく携帯電話で、上手くたどり着けなかった場所があるのです。調べもしてなくて方角も分かってなかったんですけどね(当時)。



 だからなんとなくリベンジというか、来てみたかったような気がします。テレビではよく紹介されているので、知らない感じは無いのですが。



 かっぱ橋道具街です。プロがお店を開く時なんかに訪れる場所として超有名です。



 金ぴかのかっぱ河太郎も居ました。





 金物屋とか包丁専門店とか陶器屋さんとか、とにかくそんな店ばかり。



  超有名と言えばニイミのコック像。もうほとんどこれ観るために歩いてきたよ。



 反対側の店も覘いてみましょう。







 食品サンプルの店もいくつかあって、外国人のおみやげにも人気あるんだって。でも結構高いですよ。まあ、そうかもしれませんけど。



 鯛焼きの型だとかのれんだけの店だとか、確かに楽しいですね~。好きな人は一日居てもいいところじゃないでしょうか。





 かっぱ橋の本通りの方を抜けていきます。



 また人通りがでてきましたね。



 いわゆる六区で、演芸場なんかがある場所のようです。



 このまちで活躍した芸人さんのプレートがたくさんありました。



 新旧あるようですが、整備されてるみたいですね。





 伝法院通りとかいうようだ。







 仲見世に戻ってきましたね。



 本当にいくつもいくつも商店街があるのです。





 さあ帰ろう、と思って駅はいったら、銀座線で間違えちゃった。



 いったん外でて浅草線に向かいます。



 また潜る。



 今度は間違いなさそう。良かったです。



 ここからだと羽田まで直通があるんで助かります。たぶん座れるし。



 電車待ってたらおばあちゃんが話しかけてきて、この駅にはもっとエスカレーター増やすべきだと意見を言っておられました。観光客が多いので、スーツケースなど荷物の多い人が多いのだから移動が大変なんだ、という理由であります。力のない若い女性に優しいまちでなければならない、ともおっしゃってました。ごもっともなご意見ではないでしょうか。



 という事で空港ついて、さすがに疲れました。



 日も傾いてます。



 飛行機はほぼ満席。これもきついんですよね。



 ただいま。



 
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共同幻想から目覚めるために   吉本隆明という「共同幻想」

2018-06-21 | 読書

吉本隆明という「共同幻想」/呉智英著(筑摩書房)

 書名でも分かる通り吉本隆明に対する批判の書である。吉本は既に故人だが(今は吉本ばななの父としても著名かもしれない)、僕よりちょっと先輩たちに大変人気の高かった左翼的な言論人である。本書は吉本批判であるが、吉本解説としても非常に優れており、これを読んだ方が、吉本の著書を読むよりも、数段彼の思想を理解することが出来るようになっている。もっとも理解できたことで、さらに吉本にガッカリさせられることになる訳であるが。
 もちろんこの本を手に取った僕自身も、吉本は一応は読んだ覚えがある。「共同幻想論」と「マチウ書試論」である。共同幻想論は10代の終わりくらいに読んだ。たぶん格好をつけたかったのだろうと思う。同じ時期にニューアカの浅田彰も読んだ気がする。理解したかは別にして、時々友人とそういう話題で議論したものである(馬鹿だった)。後に最近のことだが、マチウ書試論を読んだ。これは誰かが褒めていたからで、改めて挑んだ、という感じだった。これが今回の呉智英の本を手に取るきっかけにもなったように思う。正直言って、かなり違和感があったのである。もっと正直にいうと、さっぱり内容が分からなかった。そういえば、と思うと、共同幻想論だってどんな内容だったかさっぱり思い出せない。若くてまだ力のある時期に読んだにもかかわらず覚えていないのだから、たぶん理解できていなかったのだろうと思われる。それで何か解説でも欲しくなったという事だろうと思う。
 読んで溜飲が下がる思いがするのは、僕が理解できなかったことが、どうも正解であるらしいことが分かったからである。吉本の書く日本語がそもそもおかしかったという事も良く分かったし、その上で内容もたいしたことでは無かったと分かったからである。そういうものに格闘した時間が惜しいとも思うが、まあ、もう仕方がない。さらに批判の内容自体が大変に面白いのである。左翼の大衆思想というものが、改めて分かるというのも収穫だった。政治というものの考え方も、ずいぶんとすっきりする。どちらかに偏るような良いとか悪いという事では無くて、人間が間違いやすい生き物であることもよく理解できる。そうして、大局的な考え方の素地を養うのに、大変に良い本だと思う。
 帯にも書いてあるが、吉本隆明をまったく知らない人でも読んでいいと思う。批判や批評の方法という事も理解できるだろうし、何より読み物として面白い。吉本が生きている時にこれを読んだら、面白かっただろうな、と意地悪くも思う。いや、故人だからこそ、彼は救われたのかもしれない。
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浅草見物おのぼりさん

2018-06-20 | 散歩
 東銀座駅で乗り場を間違えた。僕みたいな人が何人もいて、駅員さんが馴れた様子でカードをくれました。駅の構造が悪いんじゃないかな(いい訳です)。







 で、どこ行ったと思いますか?



 有名な神谷バーのあるところ。この店じゃないところでデンキブラン飲んだことあります。そこのマスターが神谷バー直伝とおっしゃってましたが、ほんとだったのだろうか?
 という事で浅草なんですが、浅草自体は何度も来てますけど(スカイツリー関係で通るというか)、見物するのは実に20年ぶりって感じじゃないでしょうかね。



 駅中のコインロッカー空いてなくて、困ったな、と思ったら外にもあり助かりました。



 写真スポットは雷門。この近辺でものすごい数の人力車があって、みーんな英語でがなり立てて説明しておられました。仲見世の店員さんも、ほとんど英語で話してました。要するに外人ばっかり。もちろん日本人もいるんでしょうけど、修学旅行かご年配の方ばかりという感じ。若いのは外国からのお客さんのようです。



 そういえば作り物の日本って感じの場所ですよね。まあ皮肉っぽい言い方ですが、日本人視点ではあんまり日本らしくも無いかもしれません。なんとなくバッタもん置いててもおかしくない感じが漂ってます。おのぼりさんとか観光客とか、そういう人ばっかり相手してるんでしょうしね。ま、面白いですけどね。



 毎日お祭り。そんな感じなんでしょう。





 そうして浅草寺であります。



 とにかく暑い日でした。











 人の少なくなる方向に行ってみよう。





 浴衣姿の外国人も多くて、たぶん和服貸し出す店が流行ってるんだろうと思いました。



 遊戯の機械が見えていて。



 浅草花やしき、という遊園地です。何と休館日。シャッターを前にたたずむカップルがおられて、なんとなく気の毒でした。



 前の店もみんなお休みのようですね。



 ひさご通りの店は開いてるようでした。





 全国の商店街がさびれていく中、やっぱり観光地の商店街はたくましいという感じですね。高齢化率は高そうでしたが。



 とにかく暑いんで、日陰の方角に歩いてしまいます。



 国際通りって書いてあったみたいです。



 たぶん浅草ビューホテル。



 ここまで来たら、目的地がはっきりしてきましたよ。


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正義が物語をダメにする   ベイビー・ドライバー

2018-06-19 | 映画

ベイビー・ドライバー/エドガー・ライト監督

 天才的な運転技能を持っている青年は、犯罪グループの逃走を請け負う事を仕事にしている。しかしこの青年は過去の事故の後遺症なのか、耳鳴りが酷いためにいつも音楽を聞いている。対人関係に難があるために犯罪グループともコミュニケーションがとれていない。そういう中恋に落ちるが、組織の仕事も断れず、さまざまな困難の中、また大きなヤバい仕事が待ち受けているのだった。
 基本的に痛快なアクション劇になっている。テンポがよく、映像と音楽の絡みがとてもいい。一種のプロモーションビデオのようなものが、いくつも積み重なって成立しているストーリーになっているようだ。過去の状況設定と、現在の非常にヤバい状況が、密接にからんで、さらに主人公なりの正義感や倫理のようなものが当然あって、犯罪を助けながらも葛藤するという複雑なことが行われていくのだった。
 という事なんで、娯楽的には大変によくできた作品である。僕はロック好きなので、音楽とカー・アクションが絡んだ映像は、確かに大変に楽しめた。恋愛劇もぶっ飛んでていいと思う。さらに悪人たちも個性的でとてもいいと思う。ただ一点非常に馬鹿らしいのが、何と言っても主人公の正義感であろう。物語が台無しになるほどの欠点に思えた。
 特に悪人カップルに対しての態度が酷すぎる。これほど残酷なことをしておきながら、許されていいものか、僕の倫理観が許せないと叫んでいた。人間的にダメなものを、喜んで観るわけにはいかない。そういう訳で非常に残念な物語だった。
 せっかく途中までは最高に楽しんで観ていたのに、観た後の気分は最悪だった。世の中にある、このような単純な正義というのはどうしたものか。悪人だから残酷に殺していいという倫理は、人間としてどうなのだろう。もちろん何の罪もない人々の命を助けるためであるという理屈はあるのだろう。しかし、悪人の仕事はそういうものであって、その仲間であるのなら、カマトトぶるのは止めてからにした方が良かった。せめて、公的にはもっと責められしかるべきものであっただろう。
 エドガー・ライト作品は、そのぶっ飛んだ感じが何よりいいのであって、その為にこのようなカー・アクションを構築したのだろうと思う。もう少し構想を練り直して、痛快に徹して欲しいものだと切に感じた作品だった。
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いつもの場所は立川

2018-06-18 | 散歩
 雨降ってますね~。後に分かったのですが、東京もこの日から梅雨入りだったそうです。東京は例年と同じだったそうです。



 前の晩遅かったし、はっきり言って食べすぎだし、朝食は抜くことにしました。



 屋根もあって歩きやすいです。







 通勤も一段落して、平日だしだいぶ落ち着いた北口側になってました。



 午前中広報の委員会やって、新しい人とも挨拶して、昼飯の時間。これもちょっとした話も兼ねて。午後は運営委員会です。



 チェーンの蕎麦屋だけど、まずまず旨かったっす。



 まだ時間があって、税別750円のコーヒー飲みました。おかわりもできるそうで。その後会議でもコーヒー出て、なんだかだぶだぶしちゃいました。



 会議の後に税の勉強なんかもあって、へとへとになりました。



 外は相変わらず降ってるみたいですね。



 フレンチ情報交換会でした。



 二次会は北海道って居酒屋でした。結構語り(語られ)ましたね~。



 なんとなく散会してコンビニ探します。



 立川市議会選挙があるらしいですね。



 皆さん選挙頑張ってください。



 

 翌朝ももちろん散歩から。春にはこの柵の向こうでヤギさんが草食ってましたが、工事が始まったようです。



 昭和記念公園横を歩きます。緑豊かでした。





 コアラも居ました。



 曲がって駅の方へ向かいます(戻るというか)。





 皆さん通勤お疲れ様です。



 ホテルの壁に朝ドラのニッカの人が顕彰されてました。そういえば最近の飲み会って、みんなハイボール頼むんですよね。流行ってこんな感じなんでしょうね。



 セミナー受講して昼食懇談して、中央官庁にご挨拶に参ります。



 本当に挨拶はバタバタと終わり、みなさんとは解散。仕事も終わり。お疲れ様でした。僕はいつものようにお腹の調子が悪くて、解散で一人になれて助かりました。


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勘違いの演繹法コメディ   泥棒役者

2018-06-17 | 映画

泥棒役者/西田征史監督

 事情があって先輩の泥棒に誘われて空き巣に入ったところ、ちょうどセールスマンがやってきて家の主人と勘違いされてしまう。さらに本当の家の主人は在宅していた。ところがこの家の主人である絵本作家は、勝手に泥棒を編集者と勘違いし、そのまま招き入れる。そういう状況の中、本当に編集者や客などがこの家にやってきて、泥棒はその都度さまざまな立場に勘違いされて、その立場の人になりきろうとするのだったが…。
 もともと舞台劇のようで、映画でありながら舞台的な展開である。家の中以外の場面もあるが、基本的に舞台演出でもこんな感じなんだろうという事は見て取れる。人のいい泥棒が居たもので、もともとまったくいい人なので、泥棒として困るところが笑いどころである。物語はそのようなコメディの上で、それなりに意外な展開を見せていい話になっていく。
 確かにいい話なのだが、僕にはこのような甘さのようなものが今ひとつ苦手である。普通一般的に言っていい出来栄えの映画であるのは確かだろうと思うので、これはもう相性というしかない。何しろ物語の展開はよく出来ていて、なんとなく泣けるようないい話である。いや、実際には泣けないだろうが、こういう喜劇があるのはいいことだとさえ思う。舞台だって面白かったから、映画化もしようという事になったんだろう。だからもう、これは本来的にはいい作品なのである。でもまあ僕には…。
 現実にはどうだという事を言いたい訳では無いのである。しかしまあ、泥棒のようなことになったら、もう少しリスク通りの悲しさが途中にあっても良かったかな、という程度かもしれない。勘違いされてヒヤヒヤする展開はイケたので、やっぱり過去の事情のようなことに、今一つ賛同できない自分がいるのだろう。だからこれは、僕以外の人にはお勧め作品だと言っておきたい。
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