ダンゴムシに心はあるのか/森山徹著(PHPサイエンスワールド新書)
副題は「新しい心の科学」。題名の通りの問いにいかに答えているのかというのは、大方の予想のごとく「ある」である。ではその心のありようというのはどのようにして分かることなのか。それを著者は「未知の状況」における「予想外の行動の発現」に「心の動きの現前」があると考えるのである。
なにやら言い方か難しいようだが、朝誰かに「お早う」と挨拶すると普通は向こうからも「お早う」と返ってくるだろう。それだけにも心を感じない訳ではないが、しかし例えば親しい人にもかかわらず返事が無かったとしたら、機嫌が悪いとか具合が悪いとか、自分が何かをしたのではないかとか(それとも単に寝ているとか死んでいるいうこともあるかもしれないが)、さまざまな相手の心の動きを感じ取ることが出来るのではないか。たぶんそのような予期せぬ相手の行動に、むしろ心の動きを読み取ることが出来るということのようである。
ダンゴムシならば言葉を発しないので、いろいろな状況の中でダンゴムシがどのような行動をするのかというような観察を通して、ダンゴムシの心を読もうという試みである。そういうことを真面目にやっていて、なんだか少し大丈夫かな、という気がしないではないが、それがどうしてなかなか愉快であるばかりでなく、確かに心というのはそういうことかもしれないと、改めて驚くことになるのである。少なくともダンゴムシは、確かに未知の状況において驚くべき行動を発現し、物事を考えているらしいことを我々に見せてくれるのである。
これはやり方の勝利というしか無く、なかなかあっぱれである。個人個人では、自分自身の意識の中に心という存在は確実に知っているにもかかわらず、現実には相手に自分の自明である心そのものの存在を証明することは難しい。心はあるものだけれど、簡単に証明できないものなのである。そういうことは普段はあんまり意識しなくても生活出来ているものだけれど、研究しようとするとなかなか厄介だというのは容易に理解できることだろう。それをおおよそ人間のように心を持っているのかどうかさえ良く分からないダンゴムシを使って証明していくのだから、面白くないはずはない。その上で、やはり心というのは難しい問題でもあるということを、改めて思い知らされるのである。
僕は犬を飼っているので、彼女が何を考えているのかは何となく分かる。心の動きも頻繁に移り変わるのも、よく分かることである。当たり前に喜怒哀楽はあるし、騙そうとしたり誤魔化そうとしたり、いろいろ策略を持っていることも見て取れるようである。人間で無くとも動物には心があることは、そういう訳で以前から、それなりに意識してきたかもしれない。犬が特別に高等な生き物だからということではなく(これも人間の勝手さだが)、例えば豚や牛であっても、同じように感情はあるだろうと容易に想像できる。昆虫はどうだろうな、という感覚はあったから、今回は少し反省いたしました。もっともダンゴムシは昆虫では無く、エビやカニと同じ甲殻類ということも改めて知った訳だが。
世の中にはこのような面白い研究をしている人がたくさんいるらしいことも、何となく分かった。そのようなアイディアをいろいろと試すことで、心の問題はだんだんと分かって行くことになるのだろう。厄介でむつかしいことも、(根気はひつようそうだが)楽しく理解できるように道筋だてて考えてくれる人がいるということなのである。理解する能力のある人が増えると、さらに研究もしやすくなることだろう。そういう意味でも、啓蒙書として大切な書物である可能性も高いのである。