曽根崎心中/増村保造監督
原作は江戸時代の近松門左衛門。その名作をねちっこく映画化したもの。妙に理屈っぽいのはいかにも大映テレビ出身の演出という感じだが、しかし、見終わった後には不思議な爽快感のあるのも確かで、妙に感心してしまった。いまやあらためて観ようなどという人も少なかろうから紹介する価値があるかもしれないと思って取り上げる。
映画の流れとしては単純なのだが、時間軸を細切れの回想のようなもので明らかにしていく手法で過去が明かされていく。いったいどのような理由があって二人は心中場所を求めて歩いているのか。その興味はある程度予想できるとはいうものの、ベタベタの演出でなかなか飽きさせない。いや、そのわざとらしさは過激に過剰で、何もここまで酷い目にあわなくてもいいのではないかという憎悪さえ持つようになっていく。
しかしながら、それでこそこの心中が意味を持つと言うことにもなっており、現代的には馬鹿げた行動のようにも正直思えるが、しかし、やはり彼らは妙に幸福のようにも思えるのだった。あまりに悲しいからこそ、みている人々が救われていくのである。
特に悪役九平次を演じている橋本功がいいのである。世の中にこれほどの悪人がいるものなのかという極端な悪役ぶりで、切り刻んでも許せないようなことをやってのけてくれる。これほどの暴力があるからこそ、後半の爆発的な暴力が肯定される仕組みになっているとはいえ、まさにこれは名演といっていいのではないか。
さてしかし、やはり現代の物語の中ではこのような圧倒的な暴力描写は、やはり控えられていく傾向にあるのだろうとは思う。何も暴力を肯定したいがために言っているのではないが、しかし、このような暴力があるからこそ、人は暴力そのものを娯楽として楽しめることができるのである。特に復讐を遂げる必要があるものについて、その感情の行き場をどうすればいいというのか。映画という娯楽は、そのような人々の救済のためにあってもいいのではないか。
今の世の中は、基本的にトラブルに対する救済は裁判所でケリをつけるということになっているのかもしれない。損害賠償をたくさん取れればこしたことはないと割り切ってしまうより感情を整理するすべはないのかもしれない。それはそれで仕方のないことであるとは思うものの、当事者としては、本当には割り切れないものはあろう。そんなことより思い切りぶん殴りたい。許されることではないとはいえ、本音ではそうすることのほうが、はるかに気持ちが晴れる場合もあるのではなかろうか。中にはたとえその後に刑務所に入ることになろうとも、復讐を遂げたいと願う人もいることだろう。それは実際にきわめて人間的な素直な感情なのであろう。だからこそ、時にはこのような作品を見ることでもカタルシスを得ることができるのではないか。現実の世界では絶対に許されないからこそ、映画の世界でこそ描かれるべき題材なのではないか。
もちろん、くだらないと一笑に付すこともできる作品なのかもしれない。そのような人であっても、妙に捨てがたい余韻が残るのが、この作品なのではないかと思う。それでこそ人間的だと、僕は思うのであるが…。
原作は江戸時代の近松門左衛門。その名作をねちっこく映画化したもの。妙に理屈っぽいのはいかにも大映テレビ出身の演出という感じだが、しかし、見終わった後には不思議な爽快感のあるのも確かで、妙に感心してしまった。いまやあらためて観ようなどという人も少なかろうから紹介する価値があるかもしれないと思って取り上げる。
映画の流れとしては単純なのだが、時間軸を細切れの回想のようなもので明らかにしていく手法で過去が明かされていく。いったいどのような理由があって二人は心中場所を求めて歩いているのか。その興味はある程度予想できるとはいうものの、ベタベタの演出でなかなか飽きさせない。いや、そのわざとらしさは過激に過剰で、何もここまで酷い目にあわなくてもいいのではないかという憎悪さえ持つようになっていく。
しかしながら、それでこそこの心中が意味を持つと言うことにもなっており、現代的には馬鹿げた行動のようにも正直思えるが、しかし、やはり彼らは妙に幸福のようにも思えるのだった。あまりに悲しいからこそ、みている人々が救われていくのである。
特に悪役九平次を演じている橋本功がいいのである。世の中にこれほどの悪人がいるものなのかという極端な悪役ぶりで、切り刻んでも許せないようなことをやってのけてくれる。これほどの暴力があるからこそ、後半の爆発的な暴力が肯定される仕組みになっているとはいえ、まさにこれは名演といっていいのではないか。
さてしかし、やはり現代の物語の中ではこのような圧倒的な暴力描写は、やはり控えられていく傾向にあるのだろうとは思う。何も暴力を肯定したいがために言っているのではないが、しかし、このような暴力があるからこそ、人は暴力そのものを娯楽として楽しめることができるのである。特に復讐を遂げる必要があるものについて、その感情の行き場をどうすればいいというのか。映画という娯楽は、そのような人々の救済のためにあってもいいのではないか。
今の世の中は、基本的にトラブルに対する救済は裁判所でケリをつけるということになっているのかもしれない。損害賠償をたくさん取れればこしたことはないと割り切ってしまうより感情を整理するすべはないのかもしれない。それはそれで仕方のないことであるとは思うものの、当事者としては、本当には割り切れないものはあろう。そんなことより思い切りぶん殴りたい。許されることではないとはいえ、本音ではそうすることのほうが、はるかに気持ちが晴れる場合もあるのではなかろうか。中にはたとえその後に刑務所に入ることになろうとも、復讐を遂げたいと願う人もいることだろう。それは実際にきわめて人間的な素直な感情なのであろう。だからこそ、時にはこのような作品を見ることでもカタルシスを得ることができるのではないか。現実の世界では絶対に許されないからこそ、映画の世界でこそ描かれるべき題材なのではないか。
もちろん、くだらないと一笑に付すこともできる作品なのかもしれない。そのような人であっても、妙に捨てがたい余韻が残るのが、この作品なのではないかと思う。それでこそ人間的だと、僕は思うのであるが…。