トゥ・レスリー/マイケル・モリス監督
宝くじを当てて調子に乗ったレスリーは、その賞金(19万ドル。3000万円弱=当時の為替としてはもう少し低いかもしれないが)を数年で飲んで使い切ってしまう。シングルマザーだったのだが、息子は事実上放置してしまったので、どこかに行っているようすだ。映画の大半は、このグダグダに飲んでダメダメ女の姿が延々と流れる。
しかしながらこの映画は、おそらくだがアル中女の姿をさらけ出すために撮られたものではないと思われる。基本は、行ったり来たりしはするものの、人間の再生を描いている。僕としてはこんな調子がずっと続くなら、観るのやめようかと逡巡していたのだけど、ラストに向けてその苦悩の中にありながら、なんとか踏みとどまろうともしているレスリーの姿に、だんだんとリアルな人間的な質感のようなものが感じられるようになり、ひそやかな感動を覚えた。わりにいい映画だったのである。観終わってみないとわからないことだったのだけど……。
自分のまいた種だとはいえ、レスリーは基本的にまちの嫌われ者になっている。それでも酒はやめることがなかなかできないし(むしろそのストレスが循環して酒に向かわせている)、遅くまで飲むので、なかなかまともな仕事にもならない。ほとんど見捨てられた状態にありながら、なんとかモーテルの部屋の掃除の仕事をしている状態だけれど、このモーテルの経営を切り盛りしている男に気に入られているので、なんとか辞めさせられないで、持ちこたえている。しかしながら時々過去に関係のあった人々にも出くわすことになって、ひどくいじめられることになる。そんなときにもレスリーは気が強いところがあって、却って罵倒し返してより関係を悪くしている。そんなレスリーを、やはり多くの人は許すことができないのである。
そんな状態から復活するのだが、何も魔法は使えない。いや、一種の魔法めいていると考えてもいいのかもしれないが、魔法なのではない。実に自然に、それは成し遂げられる。いやそれも違う。これから再生の道を歩むことになることが示唆されているだけなのかもしれない。でもまあ、それでいいじゃないか。やっぱり駄目だったじゃないか、という人間が再生するということは、そういう道筋しかないのではあるまいか。多くのアル中の人々にとっても、この映画は何かを伝えることになるのではないか。実際がどうなのかは、見せてみないことには分からない訳だが……。