カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

自分の気持ちを大切に

2009-11-30 | ことば
 車の運転中に聞くともなしにラジオを聞いていた。
 投書による恋愛相談らしきもののようだった。その男の悩みは、最近連絡の取れなかった彼女とやっと連絡が取れたらしいのだが、その彼女からは新しい彼氏ができてこれ以上付き合うのが無理だと言われたのだという。ふーん、そりゃあ最近連絡が取れない訳だ。
 彼の悩みは、彼女の気持ちを尊重した方がいいのか、諦めきれない自分の気持ちを大切にした方がいいのか、というものだった。
 言い回しとしては新しい日本語のようだ。意味は分かるようで、どうしてそのような文章になるのかは、つまるところ理解できない。
 僕はこれ以上ラジオを聴きつづけることを断念して、スイッチを消した。
 彼は本当にラジオ番組に相談したかったのだろうか。いや、したかったのだろうな。よく考えると悲しい話なのかもしれないな。ぐすん。
 あきらめずに頑張って、通報されて捕まるのが一番いいと思うな。せっかくだからそこまで行って欲しいものだ。
 それが本当に彼のためになると思った。いや、嫌な気分にさせられた僕のためだろうか。
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車は暖かくて危険だ

2009-11-30 | 雑記
 車を運転していると、外気とは違ってずいぶん暖かいために、すぐに眠くなってしまう。窓を開けたり、大声をあげたりしてひとりで暴れる。素直に車から降りて、体操するなりそこらを歩いたりするだけでだいぶ違うものなのだろうけど、眠い時はどういうわけかハンドルを握ったままがんばってしまう。
 あんがい車を止めやすい所って見つからないものである。都市部のコンビニは駐車場さえない。田舎には商店すらない。ガムは好きじゃないし、飴も買うのが億劫だ。だいたい間食するのが嫌だ。
 ほんの少しだけ効果があるのは、手に小銭か何かをもって、くるくる回してみたりしているうちに、つい落してしまうというのがある。一瞬ハッとして眠気が覚める。
 いっそのこと追突しそうになったりしても、一発で眠気が覚める。
 いづれもかなり危険だ。
 昼は腹八分目にして、夜は早く寝よう。
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不健全な僕を顧みもせず

2009-11-30 | 散歩
 考えてみると今朝は久しぶりに散歩に出た。
 散歩といっても10分に満たない距離。以前なら当たり前にほぼ毎朝50分近くは歩いていたわけで、どうしたんだ、オレ、という気持ちになった。
 太りだしていることは自覚しているし、散歩程度でダイエットになるなんてこともないわけだが、完全に意識づけとして何かたるんだものになってしまったのではなかろうか。
 曇り空だけど朝の空気というものはあって、やっぱり朝型というものに戻らなければ、僕の気分は晴れないのかもしれないとは思った。

 ところである雑誌のエッセイを読んでいて、一人の時は車の通りの少ない横断歩道で信号を無視するのだが、そこに子供がいると、子供の判断能力を考えて、信号を無視してもいいと思われてはならないので、車の来ない信号を待つという話があった。
 子供のためだという意識は正直なところかもしれないが、偽善を感じるのだった。子供の判断力を奪う大人の教育のような感じもする。日本ってやっぱりそんな感覚が個人を縛るんじゃなかろうかとも考えてしまった。
 僕としては大人の気付きとして信号を無視する行動を早めに子供に見せておいたほうがいいと思う。訳が分からないのなら、車にはねられても仕方がなかろう。
 おっと、あんまり正直にホンネをいうと、やっぱり怒る人がいるんだろうな。日本っていう国の縮図のようで嫌なものである。
 まあ、子供の安全のために馬鹿になってもいいという話だと受け止める人が多いというのは、日本の国の健全性かもしれないのだけど、やはり個人のしあわせを縛る不健全さだという考えもあることくらいは理解した方がいいと思う。言っても分からないかもしれないが、少なくとも自分でもう少し考えてはどうだろうか。
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師走ですもんね(もうじき)

2009-11-29 | 雑記
 今週というか先週というか、まあ総括するとよく飲んだなあという感じですね。僕も年なりに年をとったなあと改めて感じます。とにかく飲んで疲れたなあという感じなんですよ。酒が飲めるという状況だけでどんな疲れも吹っ飛んだものなんですが、いまやそれよりもゆっくり寝ていたいという感じですね。そうとはいえ、ちゃんと時間はそれなりに寝ているとはいえ、断続的に目が覚めて、本当に回復するのに時間が掛かるんですよね。深酒すると一週間調子か悪いままという感じなんですよ。困ったものです。
 まあそれでも楽しかったなあという思いが残るだけでももうけものかなとは思いますね。昼間はそれなりにきついわけですが、体調が悪くても心の中の気分までは悪くないわけです。本当言うと今週もまたそれなりにきついことは予想されるんですが、もうこうなりゃ勢いでいくしかありませんね。僕にとっては今週こそ今年の打ち止めのつまりでがんばります。皆さんもお達者で。
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これで納得する方がどうかしてるんじゃ

2009-11-29 | 雑記
 ビデオにとっておいたキムタクのドラマを息子と一緒に見た。
 面白いというのはそれなりに分かったけど、あんなに人格的に優れた人が、社長のスキャンダル隠蔽のために、ナイフで本気で脅そうとしたり、病気で無くなった妻の好きだった海を煙草の吸殻で汚されたと感じて逆上して刺し殺したという内容に皆が納得するというのが納得できなかった。それって一番肝心なことなのに、内容として致命的に弱い説得力なんじゃなかろうか。
 そういう外部の圧力に弱い地方の巨大企業が生き残れるとも思えないし、たとえ不倫という弱みがあろうとも、金銭をゆする行為自体を立証する方が簡単そうである。また、おそらく気づかなかったとはいえ、ネタが売れなかったから直接本人をゆすろうとしたわけなので、もともと地方の一企業の社長の不倫ネタっていうものは、社会的にそんなに価値のあるものといえるのだろうか。ホテルのエレベータに女性と二人で乗り込んだ写真が不倫の決定的な証拠だというのも、いくら考えても弱すぎる。それくらいで殺されなければならなかったチンピラのような男の命の価値の低さっていうものが、限りなく悲しいのではないかとも思えた。
 日本のドラマってまだまだ弱いな、と感じてしまった作品であった。
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ドバイ

2009-11-28 | 時事
ドバイか。11月っていろいろあるんですね。
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言葉は面白いけどね

2009-11-27 | ことば
 テレビを見ていたら、東京で方言が通じなくて恥ずかしい思いをした、というような体験談がいくつも紹介されていた。まあ、それは地方出身者として分からないではない話なのだが、さて、恥ずかしい思いをするというのが今一つ分からないのだった。
 僕自身も東京に行くと言葉の節々で通じないことがあるという体験はそれなりにあるし、その場の人たちが大爆笑してしまったようなこともしでかしたことはあるのだけど、それでたいして恥ずかしかったのかというと、単に驚いただけのことで、決してそんな気分にはならなかったからである。
 別段強がって言っているわけではなく、通じないとなんとなくイライラするので、東京地方というのはまったく融通が利かないというか、めんどくさいなあという感じは先にするわけで、自分の立場が恥ずかしいということは特にないのである。
 岩ちゃんをはじめとする東京近辺在住の人間も(多くはロッカーだということはあるが)、おそらくあえて方言が残ったまま生活しているようだし、自然に話せるのならともかく、いわゆる標準語にならざるを得ないような生活をする必要すら感じることは少ない。方言といっても訛りというかイントネーションの違いというのは、ちょっとの間話している程度で、すぐに相手が慣れてくれる。まあ、僕のような一時滞在者のような立場だと、方言が残っていた方が何かと便利なこともあって、わざととは言わないまでも、特に意識して矯正させたりすることも無い。
 むしろ東京の場合はともかく、関西地区に行った場合に帰ってきてから相手のイントネーションが自分に移ってしまって地元で笑われることが多い。関西弁の感染力は凄くて、その場ではなかなか思い切って使いきれないにもかかわらず、着実に浸透する力のある言葉だと思う。
 東京の言葉というのは下町のような乱暴な言葉だと響きが面白いのだが、普通に聞いている分にはそんなに違和感があるわけではないし、時々変なイントネーションだったり妙な使いまわしだったりする場合は気にはなるにしろ、特に意識して違うというような事を感じることの方が少ない。ごく普通に接することのできる人たちとして、単にそうかまえる必要のない便利な地方だな、と思うだけである。
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そこで頑張るか

2009-11-27 | 雑記
 最近人と会うことが多くなって名刺交換なんかをする機会が増えているのだが、この名刺交換というのに、あんがいいろんなスタイルがあるものなのである。出会ってからのやり取りや渡すまでのタイミングもそれなり面白いのだが、さて、いざ名刺を交換する際の渡し方や受け取り方のスタイルに、それなりの形の違いがあるというか、今風に言うとこだわりがあるらしいのである。まあ、こういうのはひょっとするとビジネスマナーのようなものでしたり顔の講師から教わったりするものがあるのかもしれないが、おそらく多くの場合上司から受け継いで教わる場合が多いのではなかろうか。もの凄くうやうやしく過剰な気持ち悪い動きをする人もいるし、片手でポイと渡す人もいる。いや、非難して言っているのではない。僕は名刺交換の動作で人を判断するような人間ではない。そういう幅のようなものが、人間的で楽しいと思うだけである。
 ただ、最近の流行りなのかどうか知らないが、若い人だと名刺をどうしても先に受け取ってくれない人がいたりする。僕はさっさと名刺を渡して(むしろそういう儀式は短い方が好みだ)あいての名前や肩書の確認をしたい方なのだが、僕の方が動作的に速く名刺を差し出したにもかかわらず、先には受けずに自分の名刺を差し出してこちらが取るまで頑張り通そうとするのである。そういう信念なのかもしれないが、僕のように天邪鬼だと、それならどこまで粘るんだろうとつい考えてしまって、いつまでも二人が硬直してしまったりする。そうすると段々名刺を差し出しながら深々と頭が下がってきたりして、もうこれは我慢比べである。いつまでもそうしているわけにもいかないので適当なところで折れて、あちらの名刺をもらってから改めて僕の名刺を差し出すと「頂戴いたします」とさらに深々と頭を下げられたりしてしまう。何か言わなければおさまりが悪いのかもしれないが、まあ何にも言わないでもいいんじゃなかろうかと思う。
 こういう儀式はある程度はちゃんとした方がいいのだろうけど、ちゃんとし過ぎないでもいいんじゃないかなあと個人的には思います。まあ、僕は企業戦士というか、いわゆるビジネスマンには向かないのかもしれませんね。
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頭が痛い

2009-11-26 | HORROR
 ある程度は予想してましたが、先輩につかまってしこたま飲みました。というか、最後に飲んだカクテルが怪しかったですね。一杯で持っていかれた感じです。強い酒って改めて怖いなあ、と思いましたね。二杯しか飲んでないのに、割り勘も3000円だったので、値段も恐ろしいなあと思いました。ま、それは店による適当感なのかもしれませんけどね。また飲もうと約束させられたんですけど、付随する勧誘も怖いんですよね。すでに裏切って別の会に入会させられたことは知っておられるはずなんですが、そんなもんは辞めろ、ということらしいです。これも恐ろしい。
 ああ、頭痛いっす。
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希望を捨てる勇気

2009-11-25 | 読書
希望を捨てる勇気/池田信夫著(ダイヤモンド社)

 今やアルファブロガーのブログネタを焼き増したもの。ネットで読めるからあえて買う必要無いという考え方もあるが、こうやってまとめて読むとそれなりに破壊力があるのでお勧めである。
 精神的には若者に未来が無いのは今に始まったことではないような気がする。それは過去も違った意味で恐らくそういう時代が長かったからと思われる。しかしながら現代の、特に日本という限定された地域においての若者の立場は、社会的に未来の希望が奪われている社会であるという見方は、知らない人にはそれなりにショッキングなものなのではないか。
 日本の高齢者というか先に生まれた人たちが、若者の未来の分を先食いしてしまったことは残念ながら事実である。そういうつもりの無かった善意の人たちばかりであろうとも、その事実の言い訳になっても解決にはならない。誰も魔法を使える人などおそらくいないから、その事実を理解するということだけでも教養として身につけておくことは、少なくともこの国で生きていく以上、最低限は必要である。
 もちろん経済学者の論説には、いろいろと立場によって違うことをいう人が多いのも確かである。日本の政治がかなりおかしい事は共通して認識しているにもかかわらず、その処方箋については実に百八十度違うことをいいあってはばからない。確かに専門家でない人たちにとっては、どちらを信じるのか、というようなことになってしまうのかもしれないが、信じる信じないは宗教であって科学ではない。いやこの学問は科学ですらないのかもしれないが、ある程度常識的な事は仕入れておいて、自分で考えればいいことである。
 政治的に処方箋はおそらくありそうではあるが、それは残念ながら経済学的な根拠によっていないことが多い。つまりどのような手を打とうと、おそらく経済学者は納得などしない。経済学者のような立場だった堺屋太一だとか、実際に現役の経済学者だった竹中平蔵が大臣になっても、多くの人は納得などしなかった。もちろん、政策が経済理論にのっとって粛々と執り行われた訳ではなかったし、官僚だって本当に経済音痴ばかりなのではないにもかかわらず、国民の多くには経済政策は間違っているように見えるものなのである。いや、見えるだけでなく実際に間違っているわけだが、政治が世論や権力に左右されるものである以上、経済論理というものは都合のいい部分でしか利用されることはないからであろう。
 だとしたら、やはり政治的に解決する道はおそらく少ない。できるだけ政治は何にもしないでおいて欲しいということをいう人も、そういう訳で現れるわけである。しかし確かに実際の市場という経済をみると、国の政策というような小さな要因で簡単に処方できる規模ではなくなってしまったのかもしれない。その上実際にある程度自由であるから今のような社会になったという過去も鑑みるとき、やはり変な事はしないでおいて欲しいという立場の考え方もそれなりに納得できよう。
 また、今のように市場の方が明らかな失敗をしたという時だから、やはり藁にもすがりたい気持ちで政治に頼るという世論が強いということでもあるのかもしれない。一時的には政治は無力ではなく、そこにある一点の現実くらいは捻じ曲げる力がある。しかし、その捻じ曲げた力がどのように波及するかは、上手く予想できない。あるいは滅びるべきゾンビにカンフル剤を注射してしまったのかもしれない。本人はまだゾンビになっていることに気づいてないだけのことで…。
 あんまり大きな話になると、やはりピンと来ないというのはよく分かる。僕は危機感を煽って喜んでいるつもりはないのだが、しかし日本のこの財政状況を見て楽観視できる人のメンタリティーはよく理解できない。中には財政は破綻しないと豪語する人もいる。よく聞いてみるとその根拠が、現在事実として破綻していないから、などというのは悪い冗談だろう。バブルであっても、バブルと気づいた時にはまだ破綻などしなかった。バブルらしいけどまだ大丈夫だと思っていたら、そのうちはじけたのだ。つまりいつはじけるなどというのは誰も予想できない。予想できるのは危ないという現状把握のみである。
 まあ、大丈夫だと皆が思っているからこそ、そう簡単にはじけないのだということなんだろうけど(それこそが事実だろう)、そんなことはなんの慰めにもならない。
 時の政権は、残念ながらそのはじけるタイミングに向けて、逆にネジを巻き始めているように見える。もちろんそれでもまだ余裕があるほど日本という国はしぶといとは考えられる。しかし今しばらくは大丈夫だからといって、将来が明るくなることはない。将来的には必ず清算する必要があるのだ。または現実を見つめる必要があるのだ。
 本当に賢い人なら日本から逃げ出すことを選択するだろう。しかしたとえ賢くとも逃げられない人もいるはずだ。要は覚悟をきめて腹を据えて、少しづつ、コツコツやるより他にないのだ。やるならもちろん早い方がいい。その方が若い人の負担もその分減るはずだ。彼らが少しでも希望を持てるとしたら、おそらくそれくらいしか無いのではないだろうか。
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愛おしき隣人

2009-11-25 | 映画
愛おしき隣人/ロイ・アンダーソン監督
 ちょっと作りが変わっているのでとっつきにくい人もいるかもしれない。ストーリーを追ってどうなるという物語形式なのではない。雰囲気を楽しむというか、音楽を楽しむような映画なんだと思う。こういう不思議さに慣れると、中毒になる人も出てくるのだろう。
 特に良かったシーンがyou tubeで見つかったので挙げておく。

You, the Living


 好きな男と一緒になれることをみんなに祝福してもらう。これほどしあわせな瞬間はないのかもしれない。恋する若い女の心情を見事に映像化している。
 他の場面もこのようないろんなケースのつぎはぎで構成されていて、まとまりがあるのかどうかもよく分からない。しあわせだけど、やっぱり不幸というか、そういう誰でも見るような夢を不思議な映像で紡いでいるという作品なのであった。
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Smells like teen spirit

2009-11-24 | 音楽
 リメイクというかカバーとしてある意味で破壊力があるなあ、と思いました。
Paul Anka Smells Like Teen Spirit


 でもやっぱり口直しに。
nirvana - smells like teen spirit


 つくづくおしい人を亡くしたという気が改めてしますね。
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明日があるさ、か

2009-11-24 | 雑記
 どうも体重増加のスピードが増しているようで警戒が必要だ。忙しいって、食うことと関連するんだろうか。
 ちょっとストレスを感じてて、寝る時にこころもち不安になるんですよね。天井眺めてボーっと、、してしまう。素直に明日が来るさ、ってな気分になれるといいんですけどね。どちらかというとあんまり来てほしくない明日があるような、そんな感じでしょうか。
 もっとも、たぶん12月も中旬を過ぎると、すでにだいぶ落ち着いて気楽な身分になっていることだろうとは思うんですが、それだけが心の安寧を支えている感じです。
 ま、やることはそれなりに決まったことだし、どうせ病気したって逃げることはできないんですから、そうなれば覚悟を決めるだけのことで、せっかくだから楽しんでやってみます。
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現代の病理だとは思う

2009-11-23 | 時事
 夜に酒を飲んでいて、ちょっと伝わらなかったことについての補足。
 最近は新型インフルエンザの流行で、特に子供の間での感染力が強いということがあって、学級閉鎖や行事の中止が相次いでいる。そういう処置について致し方ないというところは認めはするけれど、中止という判断について、一辺倒過ぎるきらいがあることは否めないと考えている。ことの重要性を鑑みて、早い段階で徹底的に問題を根絶する必要があるという意見については、言っている内容として十分理解はできるものの、現段階でそうした取り組みをしてきたことについての本当の検証ができているのかは、はなはだ疑問に思わざるを得ない。何故なら学年において学級閉鎖の連鎖するところがあったり、まったく関係なさそうなところがあったりすることが散見される。つまりこの新型インフルエンザという感染症対策として、学級閉鎖などの中止処置が必ずしも有効手段でない可能性もあるのではないか。いや、こうした判断があってこそ、感染症がこれでも最小限に食い止められているのだという考え方もあろうが、少なくとも初期段階での感染防止という観点からは、はっきりとその効果が少なかったと捉えることもできることを正直に認めるべきであろう。むしろいたるところでそのようなことが一般化されるにつれ、横並び的な判断で中止せざるを得なくなった事例というものが出てこよう。少なくともいったん冷静になってことの重要性を検証しなおす時期に来ているのではなかろうか。
 このようなことをあえて言う気になったのは、ある学校の行事中止についての考え方に疑問を持ったからだった。行事を中止した翌日にさらにインフルエンザに感染した児童が多数出て、やっぱり中止しておいて助かった、といった先生がおられたのだ。もし開催していたらどれだけ非難されたか分からないと胸を撫で下ろしたというのだ。
 お気持ちは正直なところだろうし、またそのように考える人が一般的かもしれないというのは分からないではない。しかしそれは根本的に間違っているということだけはいえることだと思う。何故なら、行事を中止してもインフルエンザの感染者が拡大したというのなら、中止という判断が、少なくとも感染防止上役立たなかった可能性のほうが高いからである。ぜんぜん責任が回避されたような事例として捉えられるものではない。むしろ保身のためにやるべきことをやらなかったことについては、いったいどのようにお考えなのであろう。まあ、もともと中止にしても何の支障もないということなら、授業や行事というものはいったい何なのだということもあわせて考えなければならないのではないか。
 こういうことを言い出すと、命にかかわる問題かもしれないものを何を言う、というような人が現れる。まったく思考停止で頭が痛い限りだが、悪いのは病気であって行事でない。すりかえる問題が違いすぎるとしか言いようが無い。
 まあ、しかし、もう現代ではこの問題はどうにもならないのかもしれない。たぶん通じないし、学校や役場が考え方を変えることは無いだろう。また、事実親の中には問題視するような人がいるということなのだろう。責任問題を責任の無い人に問うても、答えなんか出るわけが無い。
 そういうわけでインフルエンザ問題は、実はまったく病気と関係のないところに問題があるんだという話だったのであります。先生、分かりにくい話でごめんなさいね、ということでした。そういうところで頑張っても、頑張りようが無い社会だから、どんどん中止にしてしまえばいいんだと意地悪く思うので、僕自身も同罪なのでしょう。でもね、受験シーズンまでそんなことでやり過ごしてたら、ツケがまわってくるだけですよ、とだけは申し上げておくに留める。そのころまでには沈静化しているか、さらに一般化して風化しているとでも考えているのなら、それが唯一の解決法だというのなら、僕には何にも意見はありません。
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珍しく挨拶を真面目に聞く

2009-11-23 | 雑記

 せっかくPTAの大会に出たのだから、たまには報告すべきなのかもしれないとは思うのだが、なんだかやっぱり乗り気になれない。僕は活動自体をすべて否定するつもりは無いのだけれど、この組織というか団体の持ついかがわしさのようなものについて、うまく整理して消化しきれていないということが大きいのだと思う。まあ、これはブログなんで、シリーズというかそれなりに小出しにして考えてみるのもいいのかもしれないが…。
 せっかく発表される学校があって、その苦労を思うと頭の下がる思いはあるけど、残念ながら内容の方は、あんまりどうなのかというのが多くて、コメント自体を控えてしまう。いっそのこと発表しなくても良かったんじゃないの?という感想も持ったので、意見も言いたくない。本音で語らない内容に、いちいちコミットしたくない。

 さてしかし、今回珍しく感心したのは、実は知事の挨拶の後半部分。最初は誰か県の職員に書かせたペーパーをとおり一辺倒に読み飛ばしているので、相変わらずくだらないとあくびをかみ殺して他の事を考えていたのだが、ペーパーを読み終わって、ちょっと時間をくれといって自分の教育についての考え方を話し出した。最初は県政についてのいいわけじみた感じのことだったのだけど、国歌斉唱のエピソードなどやんわりと持論のようなことを言い出して、なかなか面白かったのだった。ちなみに警察学校の入学および卒業式の国歌斉唱が、一番元気がいいそうです。
 今期でお辞めになるらしいのだが、辞めるとやっと本音のようなことを言う心境になったということだろうか。時間をオーバーして話すという行為は、大会運営側のことを考えると迷惑なことでほめられたものではないと思うが、いくら立場のある人でも、教育について自分の考えを言うことぐらいは良いんじゃなかろうかと改めて思った。また、その方がナンボも面白いだけでなく、結果的にためになることにつながっていくんじゃなかろうか。日本社会の閉鎖性を思うと、言論自体をふさわしくないという人もいるのは分かるが、多くの人の時間を奪う脱力のみを植え付ける挨拶を聞かされるより、いくらかでも有益であるのは間違いあるまい。
 知事は自分の政治活動を振り返りながらもできるだけ自分の子供たちと接するよう心がけたと言っていたが、さて、男親としてどこまでという点について、同じように感慨を持ってしまう自分がいた。僕自身は後どれくらいこの子達とかかわる時間をもてるのだろうか。
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