Man on the Moon (1999) Trailer
マン・オン・ザ・ムーン/ミロス・フォアマン監督
オープニングでいきなりクスクス笑っていい調子で観ていたのだが、20分ほどたってからやっと以前に観たということを思い出した。僕は記憶力が悪いらしいので、映画を観る分には大変にお得である。
早世したコメディアン、アンディ・カウフマンの伝記映画である。主人公を演じているジム・キャリーの演技が素晴らしく、僕は本人を知らないながら、大変によく似ているということらしい。ジム・キャリーらしい演技に見えるから、彼も少なからぬ影響を受けているということなのだろうか。また、この映画にも出ているダニー・デヴィートは、生前親交があったのだという。別のそういう人たちも、実際に出演しているということらしい(カメオというよりはっきりと)。また、映画の題名にもなっているのはREMのヒット曲だ。こちらの方がどうも先らしく、もちろん僕も覚えがある。この映画を最初に観たのは、たぶんジム・キャリーにハマりまくっていた弟と一緒だったような気もする。あれからそんなに時間がたってしまったということなのだ。
現在の目で見ると、今の日本のお笑いのネタもけっこう入っていることが分かる。まあ、アメリカは保守的な面もあるから、日本よりおおげさに強烈だったりもするわけだが、基本的にはごく最近までやっていた体を張ったバラエティの原型のようなおふざけが続く。正直に言ってやり過ぎで、怒りの方が勝って面白くもなんともないのだが、彼らは自分らが楽しめばそれでいいというような、しかしながらしっかりと支持を受けているというような確信も持っている。この映画で直接の説明は無いにしろ、REMが彼の曲を書いている事実から勘案しても、おそらく一定の強烈な支持があったことは間違いなかろう。こういう種類の笑いは、真剣に頭に来る人がいるからこそ、世界観のがらりと変わる強烈な笑いに変換できるのである。科白の上でも語られるが、人生というのは哲学としてジョークのようなものなのかもしれない。また、そういう信念こそ彼が本当に伝えたかったことに違いはないのだろう。
しかしながら皮肉なことに、彼は笑いにするにはあまりにシリアスな病気に掛かってしまう。完治する見込みの薄い肺癌にかかってしまうのだ。本人もさすがに戸惑っているようだが、ごく身近な仲間でさえ、猜疑心の方が先に立って、どうしてもシリアスになれない。どこかで世界がひっくりかえるのではないか。自分が笑いの立場をキープするためには、本当にシリアスな立場に片足を突っ込んでしまうことが恐ろしいのだ。身内であってもおんなじである。医者から病状の説明を受けた後泣いている両親を前に、何度も騙され続けてきた妹や弟は、兄が俳優を雇って悪ふざけしているに違いないと怒り出す始末だ。
このあたりは、かなりシリアスなのだが、観ている観客は逆に可笑しくなってしまう。切ないけど笑ってしまう。彼の悪行の数々に付き合わされている恨みもあって、自業自得じゃないかと喜びたい気持ちが湧いてくる。しかしこの映画は、本当に僕らを裏切らないのだろうか。可笑しいけど笑っていいのだろうか…。
人間というのは本当に不思議な生き物だと思う。一貫して人間の持つ、そういう根本的だけどよく分からない悲しみのようなものを裸にしてきたフォアマン監督の力量は流石である。最後には不快でたまらないギャクが、温かみの感じられる微笑ましい笑いに変化してしまう。本来は笑いとは絶対的に相性の悪いはずの人間の怒りという感情が、逆に本当に心から温かくなるような笑いを生み出してしまうというマジックをみせるのである。
人生はジョークなのかもしれない。しかし、ただ笑い飛ばしているだけでは分からない人間のしあわせは、そのジョークのようなものの中にもあるようだ。不快になる人もあるだろうが、そういうものをさらけ出して見つけさせてくれる人間技を編み出すのも、また人間の持つ本賞のようなものなのかもしれない。