嘆きのピエタ/キム・キドク監督
よせばいいのにまたキドク監督作品を観てしまう。正直言って中毒性があるのである。なぜが高齢の母も興味をもって観ていたようだが、意味は分かってはいないようだった。
高率の金貸しの借金取りをしているチンピラがいる。この男はたいへんに非情な取り立てをするようで、返せないとみると、手を切断させたり、飛び降りさせて足を悪くさせたりして、その障害を負ったことによる保険金で返済させるのである。映画はそういう残酷場面が続く。そういう中、男の母だと名乗る謎の女が現れる。当然男は最初信用せず、殴るなどした後は無視しているが、女はしつこく付きまとう。本当に母ならこれを食えといって自分の体の一部を切り取って与えたり、レイプしたりする。しかしそれでもまとわりつくので、これは本当に母親かもしれないと思い、今まで心の安らぎを覚えることのなかった男は、この女を母だとして慕うようになるのだったが……。
とにかくキドク作品なのである。感情を逆なでする場面が続く。気持ち悪いし、嫌な感じだ。こんなことをする人たちなんて、悪魔ではないかとさえ思われる。キドク監督は、マゾとサドが混然一体となって悪意のかたまりみたいになっているのではないか。そういうものを見せられて、観るものを苦しめる。たぶんそれを楽しんでいるのだ。それがわかっていながら、観ることをやめることができない。どうなるか、気になるのである。
キドク監督は、とにかく自国の韓国人からは嫌われている。だから韓国で映画を撮りながら、韓国の企業のスポンサーさえつかない。この映画は自主製作で、基本的にスタッフや俳優たちは撮影時には無報酬で、映画が売れたら出来高払いでギャラが支払われるシステムだったという。そうしてこの映画は、韓国映画としては初となるヴェネツィア国際映画賞の金獅子賞を受賞する。ますます国民感情を逆なでしたことだろう。
この映画が素晴らしいとしたら、逆なでされる感情を、いったいどう整理したらいいか考えさせられるところかもしれない。キドク監督は元々画家だというから、本当には芸術作品を撮りたいのかもしれない。特にラストシーンなどは、これほど残酷ながら、それなりに美しいとはいえる。吐き気がするだけのことである。映像の撮り方も素人臭いのだが、やはり非凡である。後の作品は、海外スポンサーがつくようになって、本当に映像がきれいになっていくのだが、それもこれもこの映画が非常に評価されたからだろう。ひどい映画だが、非凡なのだ。そうして確かに中毒を起こすほどに魅力的だ。結局悪態をつきながら、キム監督にやられっぱなしなのである。