□経済・社会編
政治に経済政策(バラマキ以外の景気対策)を求めるというのは、今ではごく当たり前のことのように言われる。しかし経済というのは生き物で、人知でコントロールできるようなものでは無いように思える。さらに経済効率の悪い行政が民間よりも効率よく経済問題を扱え得ないというのは、広く常識的なことであろう。政治判断のもとに動くのは何かということを考えると、経済を浮上させるような政策を政府自らが行えるというのは幻想なのではあるまいか。
日本経済「余命3年」/竹中平蔵・池田信夫・鈴木亘・土居丈朗共著(PHP研究所)
ごくごく常識的でごくごく当たり前のことが素直に書いてある。知っている人にはわかりきっている話だが、テレビのニュースくらいしか見ていない人には衝撃的かもしれない。しかしこのことを知識として理解できている政治家がこのことを踏まえて政治判断できるかは別問題である。政治に経済政策を実行させるには、本来そのことから政治家がすべきことではあるにせよ、まずは世論を形成させなければ無理だ。つまり結論を言うと、僕らは余命をただ待つのみだということになろう。
鳩山由紀夫の政治を科学する/高橋洋一・竹内薫著(インフォレスト)
鳩山さんの時代は終わったが、しかし昨年の今頃はこのような話を信じている人はおそらくそんなにいなかった。その後の菅さんが路線を変更することもなさそうだ。できればぜんぶ外れてほしい。そんなような理系神話の勘違いが、含まれているような気がする。
競争の作法/斎藤誠著(ちくま新書)
これは人間の欲望より人間の知性を信じているということのようだ。僕も信じたい気持が無いではないが、心のどこかで信じてないということは認めざるを得ない。そのような人間のはしたない欲望があるから、競争に燃えるということもいえるだろう。そしてそのような単純性を上手くコントロールする知性は、結果的に冷静に落ち着いてからでなければ考えられないのではないか。
競争と公平感/大竹文雄著(中公新書)
これは素直に考えてみるには面白いテーマが満載である。経済で事象やトレンドも考えられる。そのような経済万能のような感もある。しかしながらどのデータを持って探るのかということが大切で、その多くは過去の検証の切り口でしかないのではないか。たとえば相撲のような格闘技は、他のウェイト制をしいている競技から考えるとかなりフェアとは言えない。二百キロ近い体重の人と90キロの力士が同じ土俵で勝負するのにハンデをつけない日本の相撲は、後進的なのだろうか。しかし、それでも伝統的に相撲のフェアとは、そのことを同じとみて勝負するところに本質がある。つまり、経済ではこの不合理は解けない。
そのようなことも含めて、楽しい思考実験になると思う。
日本はなぜ貧しい人が多いのか/原田泰著(新潮選書)
経済的事実とは世論とは違うところにある。そのことを知るだけでもかなり有用だろう。しかし世論というのは、事実を見たくない人のためにあるのかもしれない。統計的事実を目の前にしても実感が伴わない人もいるだろう。意外だが、しかしそのようなものだ。だからこそ事実を知ることは限りなく有利である。そのことで多くの人はおそらく損をするのだろうけれど、それにさえ気づかなければ、誰が得をしたのかもわかるまい。そのような悲しい日本人を笑えないのが悲しいだけである。
政治に経済政策(バラマキ以外の景気対策)を求めるというのは、今ではごく当たり前のことのように言われる。しかし経済というのは生き物で、人知でコントロールできるようなものでは無いように思える。さらに経済効率の悪い行政が民間よりも効率よく経済問題を扱え得ないというのは、広く常識的なことであろう。政治判断のもとに動くのは何かということを考えると、経済を浮上させるような政策を政府自らが行えるというのは幻想なのではあるまいか。
日本経済「余命3年」/竹中平蔵・池田信夫・鈴木亘・土居丈朗共著(PHP研究所)
ごくごく常識的でごくごく当たり前のことが素直に書いてある。知っている人にはわかりきっている話だが、テレビのニュースくらいしか見ていない人には衝撃的かもしれない。しかしこのことを知識として理解できている政治家がこのことを踏まえて政治判断できるかは別問題である。政治に経済政策を実行させるには、本来そのことから政治家がすべきことではあるにせよ、まずは世論を形成させなければ無理だ。つまり結論を言うと、僕らは余命をただ待つのみだということになろう。
鳩山由紀夫の政治を科学する/高橋洋一・竹内薫著(インフォレスト)
鳩山さんの時代は終わったが、しかし昨年の今頃はこのような話を信じている人はおそらくそんなにいなかった。その後の菅さんが路線を変更することもなさそうだ。できればぜんぶ外れてほしい。そんなような理系神話の勘違いが、含まれているような気がする。
競争の作法/斎藤誠著(ちくま新書)
これは人間の欲望より人間の知性を信じているということのようだ。僕も信じたい気持が無いではないが、心のどこかで信じてないということは認めざるを得ない。そのような人間のはしたない欲望があるから、競争に燃えるということもいえるだろう。そしてそのような単純性を上手くコントロールする知性は、結果的に冷静に落ち着いてからでなければ考えられないのではないか。
競争と公平感/大竹文雄著(中公新書)
これは素直に考えてみるには面白いテーマが満載である。経済で事象やトレンドも考えられる。そのような経済万能のような感もある。しかしながらどのデータを持って探るのかということが大切で、その多くは過去の検証の切り口でしかないのではないか。たとえば相撲のような格闘技は、他のウェイト制をしいている競技から考えるとかなりフェアとは言えない。二百キロ近い体重の人と90キロの力士が同じ土俵で勝負するのにハンデをつけない日本の相撲は、後進的なのだろうか。しかし、それでも伝統的に相撲のフェアとは、そのことを同じとみて勝負するところに本質がある。つまり、経済ではこの不合理は解けない。
そのようなことも含めて、楽しい思考実験になると思う。
日本はなぜ貧しい人が多いのか/原田泰著(新潮選書)
経済的事実とは世論とは違うところにある。そのことを知るだけでもかなり有用だろう。しかし世論というのは、事実を見たくない人のためにあるのかもしれない。統計的事実を目の前にしても実感が伴わない人もいるだろう。意外だが、しかしそのようなものだ。だからこそ事実を知ることは限りなく有利である。そのことで多くの人はおそらく損をするのだろうけれど、それにさえ気づかなければ、誰が得をしたのかもわかるまい。そのような悲しい日本人を笑えないのが悲しいだけである。