カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

フェイク・ニュースは見抜けるか

2019-04-26 | culture

 トランプ大統領にとっては、自分に不都合なニュースのことはフェイク・ニュースということになるようだが、一般的に言ってフェイク・ニュースとは、事実とは異なることが、あたかも事実として報じられることを指しているはずである。いわゆる何か政治的というか、人為的な思惑を伴って、またはそのような思いを伴わなくとも、単に冗談として、そのような行為に及ぶ人というのは一定数いるのではあるまいか。特に英国のように(だけではないが)、エイプリルフールなどをやる習慣のあるような国だと、このようなことは、ある一定の許容があってなされる可能性がある。またそのようなものを好んでいる人が、さらに存在しているような気もするので、物事はかなり複雑なことになっているのではなかろうか。
 のちにフェイクと分かるとしても、一定の期間信じてもらえたらいい、という手法がとられている場合も多い。または、とにかく拡散してしまいさえすれば、それでいいということもあるだろう。一つ一つを修正するのには時間がかかるし、やったもの勝ちであるという考えもあるのかもしれない。また最初にフェイクを流してしまいさえすれば、それを拡散させてくれる同士(だまされた人)はたくさん存在する。そのような土壌があってこその、フェイク・ニュースを生産させる動機が生まれていくのかもしれない。
 また、そのような期間限定で瞬発的な力があるということで、選挙などでこれを使うと、一定の影響力が期待されるということはある。嘘でいいので、誹謗中傷で構わない。以前から怪文章の類はあるわけで、考えてみるとフェイク・ニュースというのは、古くて新しい手法である。いや、古臭すぎるというか。要するに人間の感情というものは、その時だけ熱することができればいいのだから、利用されるのである。「お前の母ちゃんでべそ」などという真相が容易にわかりえないことをいうだけでも、子供だってちゃんとケンカできる(というか、大人でも我慢できないが)。いくら高度そうなことをやっているように見えても、レベルとしてはこれと何ら変わるものではない。そんなことを言われてもまるで平気だという人は、一定の訓練や意識づけが無いと難しいだろう。何しろ相手の武器は嘘なので、事実は母ちゃんのへその状態を皆に伝えるしかない。そんなことをしたくもないし、実際にやれば下品だろう。
 さらに問題は、実際は、当事者に向けた揶揄でなくていいことだ。関係のない第三者であっても、これが効果的であることだ。要するに反応する馬鹿はごまんといる。そういう人は特に意識づけをするような、動機などまるで必要ない。
 もちろん、被害が生じるので、嘘を流した元が特定できると、それなりに対処は可能かもしれない。抑止力としては、そのような強力な捜査というか、たどるスキルがあるということが広く知られることかもしれない。さらにそれなりに重い処罰である必要もあるだろう。
 一つのニュースソースをもとに、物事を判断するのはたいへんに危険である。ひどいニュースが流れたら、いくつかニュースを追ってみる必要があるだろう。結局は受け取る側に能力が求められるということである。まったく厄介な世の中になったものだな、と呆れるよりないようだ。
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