昨日、晩ご飯前の夜7時、我が子の担任から電話がありました。
「お母さん、チョコレート、どうもありがとうございます」
あ、我が子がバレンタインデーでチョコレートを渡したと言っていたな。
通りすがりに、
「はい」「ああ」
と、本当かはわかりませんが、まるで倦怠期のカップルのようなやり取りだったらしい。
普段はお菓子の持ち込みは禁止ですが、バレンタインデーは、先生に渡す生徒も多く、公認状態です。
でも、なぜ私にお礼を言うのか?
渡したのは、わが子なのに。
先生って、そういうものなのでしょうか?
「いいえ、いつもお世話になっていますから、当然のことです。いつもありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。お母さん、お手紙読みました。その件についてお話したいことがありまして」
実は、私、先週、担任との電話で涙ぐんでしまい、お詫びの手紙を出しました。
その際、我が子をあまりにも叱るので、委縮しているのではないか?
という相談事を書いています。
委縮するから、テストで実力を発揮できないのでは?
そう思ったのです。
「お母さん、お手紙の件で、〇〇さん※我が子のこと と話しました。
叱られることをどう思っているかを聞きました」
「はい」
「お母さん、大丈夫ですよ。〇〇さん、叱られるから、お母さんと勉強したくないとか、
お母さんが嫌いだとか一言も言いませんでした。むしろ、それだけご両親が期待してくれていると言っていました。
もちろん褒められた方がうれしいですが、喧嘩になってしまうことも、レクレーションのひとつに考えているようです」
「確かに、喧嘩した後も、かまってもらえて嬉しかったとか言いますね」
「そうなんですね。叱りすぎたなあと思ったときには、すぐに謝られたら、問題ありません。
きちんと順序だてて叱れば、彼女はわかってくれます。
褒められれることも好きですから、いっぱい褒めてあげてください。
ただ、ご両親の考えが統一していないと、子どもは混乱します。
ここはしっかりと、ご夫婦で話し合ってください」
「はい、わかりました」
「彼女はきちんと成長しています。大丈夫ですよ。僕も教師生活は長いですが、ここまでお子さんと向き合う母親を知りません」
「最近、もうすぐ高校生になるので、過保護かなと考える部分はあります。大学に行ったら、自分で勉強しなくてはなりません。
そう言う意味では、もう手を離したほうがいいかなと思うときもあります」
「なるほど。でも、その必要はありません。なぜなら、本人が望んでいませんから。
今後は、見守ると言うスタンス転換でいたらいいと思います。
親に見守れ、愛された子どもは、きちんと自立しています。
実際、我が校の卒業生は、元々成績がいい生徒より、
こうして常に心配されていたご両親のもとで育った生徒のほうが、
医師・歯科医師・薬剤師・公務員試験などを早く突破しています。
これだけが成功というわけではありませんが、傾向としてお伝えしておきます。
愛されたと言う自信から、自立傾向にあるようです」
「それは知りませんでした」
「大丈夫です。きちんと愛していることを伝えてあげてください」
「承認欲求ですね」
「そうです。きちんと愛され、努力を認められたい。子どもはそう思っています
あなたならできる、そういう声かけもご家庭でお願いします」
「わかりました。また、ご相談事がありましたら、手紙を書かせていただきます」
「ああ、そうですね。あの手紙、結構僕、楽しみにしているんですよ。
どんどん書いてください」
時間にしたら、5分ちょっとでした。
承認欲求。この言葉を聞いたことのある方も多いと思います。
特に男性は、この欲求が強い。
実際、嘘偽りはありませんが、この担任が親身なのは、我が子が担任を好きだと言うことを知っているからでしょう。
大抵、自分に迷惑のかからない範囲での好意を表されるのはうれしいものです。
「授業がわかりやすい」「親身になってくれる」「先生はすごい」などわが子から言われて、
彼も承認欲求が満たされているのでしょう。
※我が子は、単純に先生が好きなだけでおだてると言うような認識はゼロ 子どもらしい中学生なのです
私も、先生から、
「このままでいいですよ」
と言われたのは、承認欲求を満たされました。
よほどのベテランでない限り、子育てを自信満々でしている人はいないと思います。
みんなこれでいいのか、不安に思い、我が子のことを考えながら、
子育てをしていることでしょう。
ずっと自分の気持ちに重しになっていたことなので、少し気が楽になってよかったです。
「お母さん、チョコレート、どうもありがとうございます」
あ、我が子がバレンタインデーでチョコレートを渡したと言っていたな。
通りすがりに、
「はい」「ああ」
と、本当かはわかりませんが、まるで倦怠期のカップルのようなやり取りだったらしい。
普段はお菓子の持ち込みは禁止ですが、バレンタインデーは、先生に渡す生徒も多く、公認状態です。
でも、なぜ私にお礼を言うのか?
渡したのは、わが子なのに。
先生って、そういうものなのでしょうか?
「いいえ、いつもお世話になっていますから、当然のことです。いつもありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。お母さん、お手紙読みました。その件についてお話したいことがありまして」
実は、私、先週、担任との電話で涙ぐんでしまい、お詫びの手紙を出しました。
その際、我が子をあまりにも叱るので、委縮しているのではないか?
という相談事を書いています。
委縮するから、テストで実力を発揮できないのでは?
そう思ったのです。
「お母さん、お手紙の件で、〇〇さん※我が子のこと と話しました。
叱られることをどう思っているかを聞きました」
「はい」
「お母さん、大丈夫ですよ。〇〇さん、叱られるから、お母さんと勉強したくないとか、
お母さんが嫌いだとか一言も言いませんでした。むしろ、それだけご両親が期待してくれていると言っていました。
もちろん褒められた方がうれしいですが、喧嘩になってしまうことも、レクレーションのひとつに考えているようです」
「確かに、喧嘩した後も、かまってもらえて嬉しかったとか言いますね」
「そうなんですね。叱りすぎたなあと思ったときには、すぐに謝られたら、問題ありません。
きちんと順序だてて叱れば、彼女はわかってくれます。
褒められれることも好きですから、いっぱい褒めてあげてください。
ただ、ご両親の考えが統一していないと、子どもは混乱します。
ここはしっかりと、ご夫婦で話し合ってください」
「はい、わかりました」
「彼女はきちんと成長しています。大丈夫ですよ。僕も教師生活は長いですが、ここまでお子さんと向き合う母親を知りません」
「最近、もうすぐ高校生になるので、過保護かなと考える部分はあります。大学に行ったら、自分で勉強しなくてはなりません。
そう言う意味では、もう手を離したほうがいいかなと思うときもあります」
「なるほど。でも、その必要はありません。なぜなら、本人が望んでいませんから。
今後は、見守ると言うスタンス転換でいたらいいと思います。
親に見守れ、愛された子どもは、きちんと自立しています。
実際、我が校の卒業生は、元々成績がいい生徒より、
こうして常に心配されていたご両親のもとで育った生徒のほうが、
医師・歯科医師・薬剤師・公務員試験などを早く突破しています。
これだけが成功というわけではありませんが、傾向としてお伝えしておきます。
愛されたと言う自信から、自立傾向にあるようです」
「それは知りませんでした」
「大丈夫です。きちんと愛していることを伝えてあげてください」
「承認欲求ですね」
「そうです。きちんと愛され、努力を認められたい。子どもはそう思っています
あなたならできる、そういう声かけもご家庭でお願いします」
「わかりました。また、ご相談事がありましたら、手紙を書かせていただきます」
「ああ、そうですね。あの手紙、結構僕、楽しみにしているんですよ。
どんどん書いてください」
時間にしたら、5分ちょっとでした。
承認欲求。この言葉を聞いたことのある方も多いと思います。
特に男性は、この欲求が強い。
実際、嘘偽りはありませんが、この担任が親身なのは、我が子が担任を好きだと言うことを知っているからでしょう。
大抵、自分に迷惑のかからない範囲での好意を表されるのはうれしいものです。
「授業がわかりやすい」「親身になってくれる」「先生はすごい」などわが子から言われて、
彼も承認欲求が満たされているのでしょう。
※我が子は、単純に先生が好きなだけでおだてると言うような認識はゼロ 子どもらしい中学生なのです
私も、先生から、
「このままでいいですよ」
と言われたのは、承認欲求を満たされました。
よほどのベテランでない限り、子育てを自信満々でしている人はいないと思います。
みんなこれでいいのか、不安に思い、我が子のことを考えながら、
子育てをしていることでしょう。
ずっと自分の気持ちに重しになっていたことなので、少し気が楽になってよかったです。
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