来る8月8日(土)に開催する「刀剣勉強会+相州伝ゆかりの地散策イベント」コースの下見のために、早朝から朝比奈へ向かいました。朝比奈切通しは、鎌倉幕府にとって貿易港である金沢への唯一の通路であり、戦略上最も重要なルートであったとされています。
~ご参考までに、ルート案内をご紹介します~
早朝6:00にJR本郷台駅前にて、先日ジャニーズの二宮さんにスイカ切りをご指南された日刀保の安藤先生と待ち合わせて、トレッキングの下見を開始!
本郷台駅からいたち川沿いに鎌倉街道まで歩きます。
神中バスの天神橋バス停までは、本郷台駅から徒歩にて10分程度。
この時間帯のバスは一時間に4本です。
いたち川は、丸々と太った鯉が気持ち良さそうに泳いでいます。
このあたりには河童伝説があり、子どもの水難事故が多かったといいます。
バスに揺られて20分程度。
朝比奈バス停に着きました。
バスから降りると、すぐに案内板が目に留まります。
道をわたって、矢印の方向へと向かいます。
見た感じ、いかにも迷いそうな細い路地へと入っていきます。
目の前に突然、風格のある大木が現れますので、目印になると思います。
少し歩くと朝比奈切通しの看板が現れます。
立て続けに解説文が現れますので、ルートは間違っていないでしょう。
「落石注意」の警告が、落石でへしゃげています。
案内にしたがって進めば、まず迷う事はありません。
始めに見えてくるのが、道祖神です。このあたりから登り坂になっていきます。
よくよくみると、庚申塚や馬頭観音など、江戸期の土着信仰のなごりです。
少し坂道を登っていくと、横横道の架橋下をくぐります。
振り返ると、早くも森の中にいることに気付かされます。
早速、鎌倉七口の一つ朝比奈切通しが、その姿を現します。
小切通しと呼ばれており、当時の姿を色濃く残しています。
一度に通れる人の数は限られ、軍事的な要害であったことが伺えます。
所々に、やぐら跡をみることができます。
突然目の前が開けて、森の静けさの中に放り出されます。
聖域の赴きがあります。前方に熊野神社の石碑が見えます。
恐らく、当初の熊野神社はこの石碑の周辺にあったのではないでしょうか?
道は二手に分かれて、左へ行くと熊野神社。右は切り通しです。
神社の縁起がありました。今回は、熊野神社へ行きません。
振り返ると、朝霧の中木立ちの間から木漏れ日がさしています。
本日最大の難関?岩場を這うように登っていきます。
両脇は、切り立った人工的な壁で、大切通しと呼ばれています。
このあたりが、最も標高が高い場所で、朝比奈切通しのメインスポットです。
横浜市と鎌倉市の境界線がこの周辺です。
鎌倉時代のままの雰囲気を留めた大変貴重な古道です。
壁面には、鑿の跡がしっかり残っています。
ここから坂道を下っていきます。
長い年月の間、大切に道が守られてきた事がわかります。
このあたりから、雰囲気がガラッと変わります。
まるで、水が枯れた渓流の様です。
神々しいまでの、美しさをたたえた古道です。
朝比奈の切り通しは、記録などによると大変短時間で完成しています。
これだけの規模の工事となると、現代でも相当な人員と経費、時間を要するでしょう。何らかの古道が元々あったのなら分かりますが、一から作ったとなるとどうも腑に落ちません。
そこで仮説なのですが、ガラッと雰囲気が変わる鎌倉側の道は、もともと大規模な鉄穴流し用の水路があったのではないでしょうか?
ここ数年、実地調査を続けてきた結果、従来の定説に反して鎌倉周辺では刀剣の原料になる砂鉄が多く取れることがわかり、周辺にもたくさんの製鉄の遺構が確認されているのです。それらをかんがみて、組織だって砂鉄を収穫する場所が周辺になければ説明がつかないと考えています。ちなみに、旧山ノ内地区と逗子(沼間地区)では、鎌倉時代以降も大鍛治や小鍛治が活発に活動しており、室町時代まで続きます。
朝比奈方面から大切通しまでの古道とは雰囲気が全く違って、鎌倉側のルートは大量の水が湧き出ています。
湿気も多く、掲示板は劣化が進んでいます。
ボチボチ大刀洗周辺です。
切り通しの鎌倉側の入口です。
修験道の霊場のような、滝が目印です。
朝比奈側にもあった解説文です。
こちらの矢印も目印になります。
朝比奈切通しは、雨が降ると、大量の水が流れて、まるで滝のようになるそうです。
この小さな湧き水が、太刀洗です。
実は、太刀洗周辺を地域の方々は、鑪ケ谷(たたらがやつ)と呼んでいます。そうです!朝比奈切通しの下流地域でたたら操業が行われていた可能性が濃厚なのです。そのため、上流に大規模な鉄穴流し場(厳密には、鉄穴流しは室町以降の砂鉄収集方法なので名称として適切ではありませんが、便宜上比重の違いによる水を用いた沈殿法の総称として用います)があったとしてもなんらおかしくありません。むしろ無ければおかしい事にすらなります。
十二所・朝比奈周辺は、山ノ内と沼間の中間に位置し、最も製鉄が活発に行われたと考えるのが自然です。恐らく7世紀頃からたたら製鉄が行われ、鎌倉幕府が切り通しを作るまで操業の火は途絶えることはなかったことでしょう。
イベント当日(8月8日)は、午前中に刀剣勉強会を開催して、その後に、鉄文化や刀剣の話をしながら本日下見したルートを散策したいと思っています。
午前中の刀剣勉強会だけの参加・トレッキングだけの参加も大歓迎ですので、お気軽にご参加ください!
~ご参考までに、ルート案内をご紹介します~
早朝6:00にJR本郷台駅前にて、先日ジャニーズの二宮さんにスイカ切りをご指南された日刀保の安藤先生と待ち合わせて、トレッキングの下見を開始!
本郷台駅からいたち川沿いに鎌倉街道まで歩きます。
神中バスの天神橋バス停までは、本郷台駅から徒歩にて10分程度。
この時間帯のバスは一時間に4本です。
いたち川は、丸々と太った鯉が気持ち良さそうに泳いでいます。
このあたりには河童伝説があり、子どもの水難事故が多かったといいます。
バスに揺られて20分程度。
朝比奈バス停に着きました。
バスから降りると、すぐに案内板が目に留まります。
道をわたって、矢印の方向へと向かいます。
見た感じ、いかにも迷いそうな細い路地へと入っていきます。
目の前に突然、風格のある大木が現れますので、目印になると思います。
少し歩くと朝比奈切通しの看板が現れます。
立て続けに解説文が現れますので、ルートは間違っていないでしょう。
「落石注意」の警告が、落石でへしゃげています。
案内にしたがって進めば、まず迷う事はありません。
始めに見えてくるのが、道祖神です。このあたりから登り坂になっていきます。
よくよくみると、庚申塚や馬頭観音など、江戸期の土着信仰のなごりです。
少し坂道を登っていくと、横横道の架橋下をくぐります。
振り返ると、早くも森の中にいることに気付かされます。
早速、鎌倉七口の一つ朝比奈切通しが、その姿を現します。
小切通しと呼ばれており、当時の姿を色濃く残しています。
一度に通れる人の数は限られ、軍事的な要害であったことが伺えます。
所々に、やぐら跡をみることができます。
突然目の前が開けて、森の静けさの中に放り出されます。
聖域の赴きがあります。前方に熊野神社の石碑が見えます。
恐らく、当初の熊野神社はこの石碑の周辺にあったのではないでしょうか?
道は二手に分かれて、左へ行くと熊野神社。右は切り通しです。
神社の縁起がありました。今回は、熊野神社へ行きません。
振り返ると、朝霧の中木立ちの間から木漏れ日がさしています。
本日最大の難関?岩場を這うように登っていきます。
両脇は、切り立った人工的な壁で、大切通しと呼ばれています。
このあたりが、最も標高が高い場所で、朝比奈切通しのメインスポットです。
横浜市と鎌倉市の境界線がこの周辺です。
鎌倉時代のままの雰囲気を留めた大変貴重な古道です。
壁面には、鑿の跡がしっかり残っています。
ここから坂道を下っていきます。
長い年月の間、大切に道が守られてきた事がわかります。
このあたりから、雰囲気がガラッと変わります。
まるで、水が枯れた渓流の様です。
神々しいまでの、美しさをたたえた古道です。
朝比奈の切り通しは、記録などによると大変短時間で完成しています。
これだけの規模の工事となると、現代でも相当な人員と経費、時間を要するでしょう。何らかの古道が元々あったのなら分かりますが、一から作ったとなるとどうも腑に落ちません。
そこで仮説なのですが、ガラッと雰囲気が変わる鎌倉側の道は、もともと大規模な鉄穴流し用の水路があったのではないでしょうか?
ここ数年、実地調査を続けてきた結果、従来の定説に反して鎌倉周辺では刀剣の原料になる砂鉄が多く取れることがわかり、周辺にもたくさんの製鉄の遺構が確認されているのです。それらをかんがみて、組織だって砂鉄を収穫する場所が周辺になければ説明がつかないと考えています。ちなみに、旧山ノ内地区と逗子(沼間地区)では、鎌倉時代以降も大鍛治や小鍛治が活発に活動しており、室町時代まで続きます。
朝比奈方面から大切通しまでの古道とは雰囲気が全く違って、鎌倉側のルートは大量の水が湧き出ています。
湿気も多く、掲示板は劣化が進んでいます。
ボチボチ大刀洗周辺です。
切り通しの鎌倉側の入口です。
修験道の霊場のような、滝が目印です。
朝比奈側にもあった解説文です。
こちらの矢印も目印になります。
朝比奈切通しは、雨が降ると、大量の水が流れて、まるで滝のようになるそうです。
この小さな湧き水が、太刀洗です。
実は、太刀洗周辺を地域の方々は、鑪ケ谷(たたらがやつ)と呼んでいます。そうです!朝比奈切通しの下流地域でたたら操業が行われていた可能性が濃厚なのです。そのため、上流に大規模な鉄穴流し場(厳密には、鉄穴流しは室町以降の砂鉄収集方法なので名称として適切ではありませんが、便宜上比重の違いによる水を用いた沈殿法の総称として用います)があったとしてもなんらおかしくありません。むしろ無ければおかしい事にすらなります。
十二所・朝比奈周辺は、山ノ内と沼間の中間に位置し、最も製鉄が活発に行われたと考えるのが自然です。恐らく7世紀頃からたたら製鉄が行われ、鎌倉幕府が切り通しを作るまで操業の火は途絶えることはなかったことでしょう。
イベント当日(8月8日)は、午前中に刀剣勉強会を開催して、その後に、鉄文化や刀剣の話をしながら本日下見したルートを散策したいと思っています。
午前中の刀剣勉強会だけの参加・トレッキングだけの参加も大歓迎ですので、お気軽にご参加ください!