「訃報が来てるよ」とko-ichi。
30年ほど前、私が初めて就職した先で
親しくしてくれた1つ上の先輩が
4年前から子宮がんを患い
つい先日亡くなったことを
知らせる便りでした。
その会社を退職してからも
よく一緒に遊びに出かけたり
彼女の結婚式にも
出席させていただいたり
おうちへも遊びに行ったりして
親しくお付き合いしていました。
もう、ここ10年以上は年賀状だけのやり取りになっていましたが
彼女のご主人が「いつも年賀状をいただいていましたので」と
知らせてくださったのでした。
まだ若くお子さんもいて、どんなにつらく心残りだったろうと思うと
昔楽しく過ごした彼女との思い出も走馬灯のようによぎって
切なく涙があふれてきました。
最後のお別れに出かけたお通夜での
祭壇で拝見した遺影は
私の心の中にある彼女の印象そのままで
変わりなく微笑んでいました。
仕事や結婚で環境が変わり、行き来が無くなると
それからは年1回だけの便りになる場合が殆どですが
「ああ、元気でいるんだな」と思えるだけでもいいなと考えるようになりました。
ちなみに彼女の“その時”の年賀状には
「長期入院など“波乱の年”で、健康の有り難味を実感しました」
とありました。
見過ごさず、連絡していればと今更ながら思うのでした。