こんばんは。
秋田県横手市十文字町の地産地消デリカテッセン「紅玉」の「何にも専務」です。
今日は湯沢市で行われた
秋田県中小企業家同友会県南地区会の例会&望年会に参加してきました。
例会の報告者は宮城県中小企業家同友会の会員で南三陸町志津川にある「(株)高野コンクリート」の高野社長。
この度の東日本大震災での壮絶な体験を語って頂きました。
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▲涙なみだの報告でした
震災後電気が復旧し、テレビの映像に映された南三陸町の様子を見たとき、壊滅した街を見て息をのみました。
その壊滅した街の中、僅かに人影が見えたのが公立志津川病院の屋上と向かいの「高野会館」の屋上でした。
その人影の中に高野さんの姿は無いかと一生懸命目を凝らしたものです。
因に「高野会館」は「高野コンクリート」の関連会社です。
当時多数の方々がこの建物の3階に避難したのですが、屋上までが波を被る状態だったそうです。
しかし、高野会館に避難された方は社員さんの誘導のもと助かったとのことでした。
その後、高野さんの生存が確認され、その社屋が民営の避難所となっていることを聞きました。
被災地の人々が苦しんでいる姿を知り、仲間たちと話し合った結果、支援物資を大至急送ろうということになり、各会社のお客様にも
支援物資の呼びかけをさせて頂いたところ、本当に多くの物資をご提供頂きました。
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▲物資はこのトラック一杯になりました
私達が秋田から緊急物資をお届けしたのは
3月19日の記事でお伝えした通りです。
高野社長はその物資が届けられたときのことをこう語って下さいました。
「被災から一週間が過ぎ、公の避難所には少しづつ物資が輸送されてきたが、小さい避難所には救援の手は届けられなかった」
「食料が不足し防寒着も不足している有様で、人々の心には不安が巻き起こりつつあった」
「そんなとき秋田から支援物資を満載したトラックが着いた、本当に助かったと思った」
「今日は社員たちにあのトラックを走らせて来た人たちに会いに行く、皆の想いも伝えて来るからと言って会社から出て来た」
「民間の避難所に物資が届き始めたのは震災から約1ヶ月後だった」
そして高野社長からは秋田の皆様へ感謝の言葉が述べられました。
その後、望年会で互いにお酒を酌み交わしながら、今年一年間の経営の苦闘を語り合いました。
締めの挨拶を私がさせて頂きました。
「あのとき贈った物資は、私達が贈ったものというより、この地域の皆様が『確かに被災地の苦しんでいる人々に届けてくれよ』と託された支援物資でした」
「それを私達が手渡され、被災された皆様に手渡した『心のリレー』だったように思います」
「あの震災で多くの尊い犠牲を伴いながら気付いた事や知った事を振り返り、本当に良い日本にしていきたいと思っています」
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▲締めの挨拶をさせて頂きました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/86/f1fbfa37bcd1b6516c91be8aa7939565.jpg)
▲高野社長「生きていて良かった」
この想いを震災で被害を受けた多くの方々にお伝え申し上げるとともに、慎んで亡くなられた霊に捧げたいと思います。
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