小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

伊予(愛媛)に向けて

2016-11-24 | 四国遍路 伊予(愛媛...


阿波(徳島)を歩いて、讃岐(香川)を逆打ちで公共の乗り物やタクシー併用で終えました。
そして夏には車で 伊予(愛媛)を逆打ちするつもりだったのですが、あまりの連日の暑さから中止。
しかし、やはり歩ける内に廻らなくてはとちょっと焦った結果、一国逆打ちのバスツアーを発見して迷ったあげくに参加することにしました。
小さい頃から集団での行動が苦手だし、歩きの時にドカドカと嵐のように来て去って行く集団を苦々しく見ていたので絶対にバスツアーには行かないと思っていたのに。
ネットで行程表を見るととても効率が良さそう。和歌山からの四国までのアクセスもなかなか面倒で何度も通うしんどさを考えると一気に一国を終えられる魅力に負けてしまいました。
マイペースの成り行き次第が好きなので行程表に従い時間に追われ人に気を遣う三泊四日の旅にびびっています。一人参加なのでなおさら。
けれど、これも修行の一つであろうと腹を括りました。
でありながら、せめて夜くらいは一人になりたいと別料金の一人部屋で予約しました。
バス席は入金順で前からとなっているそうです。でも、別料金を払えば前から三番目くらいまでに座れるシステムになっています。
主催者側もお客のニーズに公平に応えるのが大変なんだなあと思いました。

そういえば、アンコールワットも一人でツアーに参加しました。
それを思うと国内旅行だしあまり深く考えないでおこうと思います。
少しづつ出発に向けてモチベーションをあげていくことにしましょう。
どんなポケモンをゲットできるかも楽しみです。

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別格16番萩原寺

2016-11-09 | 四国遍路 讃岐(香川...

萩原寺は名刹で参詣する人が多いのだろう。下っていくと大きな駐車場があった。その矢印に従って歩いて行ったが、どうもそれらしき建物がない。20分ほど歩いただろうか。バイクの女性がやってきたので尋ねた。あの矢印はおかしいといことで反対の方へ戻ると案外近くに分かりにくい小道があった。裏門なのだろう。

別格16番 挙鼇山 萩原寺  別格本山地蔵院
 ご詠歌 尊くも火伏を誓う地蔵尊 はぎの御山に世を救うらむ
ここではパンフレットがいただけた。
札所霊場 四国三十六不動霊場(第28番)
     四国別格二十番霊場(第16番)
     四国讃州七福之寺(弁財天)
書き写していたらよくわからなくなったけれど、要は昔からの名刹ということ。
讃州四箇談義所の一ヶ寺に定められ仏法興隆の一大拠点となり、室町時代以後には本寺として伊予・阿波・讃岐に末寺280余箇をもつ本山であった。






この寺は通称「萩の寺」と呼ばれて親しまれてきた。今ではここの萩は県の天然記念物に指定されているほどで9月中旬から下旬になると、境内いたるところに三十種類、二千株あまりの花が咲き乱れるという。
この萩原寺も雲辺寺も山号はともに「巨鼇山」である。弘法大師は雲辺寺山の頂上および麓に寺を建て、それぞれ千手千眼院雲辺寺、地蔵院萩原寺と名づけ、千手観音・地蔵菩薩を安置した。従ってかっては萩原寺を前寺、雲辺寺を奥之院と呼ぶようになっていた。
なお、道を挟んで茅葺き客殿という立派な建物が有り、菊のご紋の幕が張られている。歴代の天皇が行幸されたときの宿であったとか。茅で屋根を葺くのには大変な費用がかかるらしい。それを長年維持してこられたのは立派だとしばし屋根の美しさに眺め入った。
ここの納経帳は「萩庵」という納経所兼売店で書いてくれる。Sさんは書いて貰えたけどわたしは荷物を宅配便で送ったので残念。萩の模様のTシャツで素敵なのがあったがサイズが合わなくて断念した。手ぶらだと物を買いやすいので要注意だ。
その裏に風雅な茶店があった。


よしずの中の茶店に腰を下ろした。断って民宿のおおひらさんが持たせてくれたおむすびをいただく。熱いのや冷たいお茶を出してくれた。美しい老女の方も気さくに話してくれたがこの札所の大黒さんだった。どこか気品が違う。息子さん夫婦も忙しげに楽しげに仕事をこなしているみたい。大黒さんは大姑と姑に鍛えられてきたのでお嫁さんには同じ思いをさせないようにしてるとか。明るい若いお嫁さんの笑顔が素晴らしかった。
翌日はお祭りとかで屋台の設営で賑わっている立派な庭に紫色の楚々と咲く花があった。ペインテッドセージかなと思ったが名前が出て来ない。「あれは萩の一種ですよ」大黒さんが教えてくれた。まだ時期が早いので先駆けだそうだ。
萩の時期にはどんな風景になるのだろう。御朱印も頂けなかったし萩の時期に是非に再訪して大黒さんの話を聞きたいと思った。



タクシーを呼んで貰って観音寺駅まで行く。乗車券と特急券を買い、時間まで喫茶店代わりのコンビニで珈琲を飲んだ。
観音寺→高松→岡山→新幹線→くろしお
家には18:30到着。ダダの熱烈歓迎を受けて讃岐一国打ちの旅は終わった。




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 66番雲辺寺

2016-11-08 | 四国遍路 讃岐(香川...
 
5時起床。6時朝食。
横浜氏が「ゆうべ、うるさくなかったですか?」と言われる。夜中に奥さんからWindowsが勝手に10にされてしまったがどうしたらいいかと電話があったそうだ。それであれこれ話していたとのこと。10はこんな所まで追いかけてくるとおかしかった。でも、他人事ではない。帰ったら考えなくては。
奥さんにおむすびを貰いバス停に向かって出発。昨日Sさんが歩いてきた道。降りたバス停とは違うバス停。バス停はあったが時刻表に乗るはずの時刻が書かれていない。しばらく待つが気配もない。通りかかった人に聞くと殆どバスには乗らないけどと農協への道を教えてくれた。しかしバスの時間までかなりある。不安が増してきた。これくらいは歩かなければと励まし合って歩こうということになった。
さて、雲辺寺ロープウェイ乗り場はどっちの方向だろう。5キロくらいはあるはずだ。スマホでmapを見れば良いのだけどまた揉めるのが厭だからやめた。
Sさんは木工所にいた青年に道順を尋ね、結果、青年が車で送ってくれるということになった。地獄で仏とはこのことだ。ロープウェイ乗り場の駐車場まで送ってくれた。お摂待です、と。ありがとうございました。800台もの車を収容できる大きな駐車場。観光や車で訪れる人が多いのだろう。
ロープウェイは20分毎に出ている。この山上にあるのが讃岐最後の札所だ。

   
      


66番 巨鼇山 雲辺寺
 ご詠歌 はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る

四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、現在は麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めの「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。





   
      


以後、僧侶の学問修業の道場として「四国高野」として栄えた。鎌倉時代には七堂伽藍も備え阿波、伊予、讃岐に接する寺として関所の役割も兼ねる大寺院でもあった。
実に広い境内。本堂が新しい感じがしたが平成になって立て直されたという。
お参りをして納経帳も書いていただいて境内を散策。まだ早い紫陽花の小さな蕾に満開時を思い描く。鬱蒼とした森林のなかの遊歩道の両脇には五百羅漢が果てしなく並び立っている。新しい羅漢さんを設置していたのでしばらく眺めていた。石だから重いのだろう。小さなクレーンで車の上から降ろしている。まだまだ新しい羅漢さんの募集もしていたが、歩きで上ってくる道にもずらりと並んでいて登山者を喜ばせているらしく、さらにそれを殖やすのかもしれない。焼山寺や太龍寺を歩いて登ったあの気概をいつの間になくしたのだろう。今回はとにかく讃岐一国を全部廻りたいというのが目的になっていたと言い訳しよう。四国の目的地までのアクセスが大変なので回数は減らしたいのだ。でもね、歩かなかったことの未練は残る。それが何度も遍路を繰り返すお四国病の素なのかもしれない。
とにかく!ここで讃岐一国の納経帳は埋まった。めでたいと思おう。
乗り場付近でロープウェイを待っていたら羅漢さんに混じって山頭火の句碑が目についた。懐かしく感じた。所々の札所で見かける山頭火の句碑。彼は61歳で没してるのでまだ足は丈夫だったんだろうな。








ロープウェイ駅でザックを宅配便で送って貰う。後は帰るだけだからお金以外はいらないだろう。身軽になって、しかも下り道だからさくさくと歩ける。バス停があったら観音寺駅まで乗っていこうという次第。
途中に大きな犬の学校があった。ブリーダーもしているらしく何種類ものかなりの数の犬が居た。いっせいに吠える。小さい犬ほど長い間吠える。さらに歩いて行くと番外十六の萩原寺の看板が出てきた。

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四日目4 67番大興寺

2016-11-08 | 四国遍路

67番 小松尾山 大興寺
 ご詠歌 植えおきし小松尾寺を眺むれば 法の教えの風ぞ吹きぬる
大興寺は、同じ境内に真言宗と天台宗の異なる宗派の大師堂が並ぶ非常に珍しい札所だ。東大寺に末寺として742年ごろに建立され、最澄の影響で天台宗になったとされている。境内からは奈良時代の遺物が発見されている。





後に、火災で焼失後に弘法大師が嵯峨天皇の勅願で再建した。 その為、異なる宗派の大師堂が存在する珍しい札所となっている。 天正の兵火で焼失し、江戸時代に再建されたものが現在の姿となった。 境内の見所 ・仁王門の金剛力士像は、高さ3mで四国最大で運慶の作と言われている。 ・石階段横に、弘法大師が植えたとされる樹齢1200年の楠の木がある。
一帯は小松尾という集落で地元では「小松尾寺」と呼ばれて親しまれていた。
最盛期には七堂伽藍をもち真言宗24坊天台宗12坊が軒を連ねた大寺であった。
山門の近くに大師が種を蒔いた樹齢1200年になるカヤの木と楠が立っている。





もう投宿手続きを済ませているのでゆっくりと参拝できた。先を急ぐ遍路さんたちでかなり賑わっていた。気持ちの余裕というものも大事だと思った。裏の方に小さなお社が二つ。誰もいない。静かだ。山中の小道のようなものが続いていたので進んでいくとなんと民宿のプールに出た。こんなに近かったんだとびっくりした。
夕飯は二階のホール。上がってその昭和レトロなダンス会場の趣きに驚いた。なんでも、ご主人のお兄さんが始めた民宿で界隈の社交場のような役目をしていたらしい。そのお兄さんが脳梗塞で急逝してしまい、以来夫婦でいつ止めようかと言いながら7年も8年も経ってしまっているという。部屋は広々としていたが間に襖を入れて二間に使えるようになっている。当時はさぞ賑わっていたのだろう。
同宿者は3名の男性。もうすぐ結願の横浜からの歩き遍路さん、茨城からのバイクで順打ちの人、歩き順打ちの人(無口)。遍路宿の良い点はこうした束の間のふれあいにもある。
それにしても、ここの奥さんは一人でよく切り回している者だと感心するばかりだ。夜にはご主人の車でバス停まで行ってバスの時間まで調べに行ってくれたらしい。感謝です。近くの民宿はすでに廃業されていてこの宿がなかったら遍路はほんとに困るのだ。どうぞお元気で宿を続けて下さい。



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四日目3 民宿「おおひら」まで

2016-11-06 | 四国遍路

なんとか観音寺駅に着いた。次の札所の大興寺までは歩きで7.5キロ。歩くかタクシーか…バスターミナルのベンチに座って二人で地図を眺める。Sさんが通りかかった人に尋ねる。と、大興寺近くまでのコミュニティバスがこの前から出てるとのこと。これはどのガイドブックにもサイトにも載っていないこと。現地に行ってみないとわからないものだ。
尤も我々がひどく変則的なまわり方をしているからではあるけれど。観音寺から大興寺までの歩きのルートは書かれているのに、はなから歩くことを考えていなかった。駅からも観音寺からも同じくらいの距離なのに。これでは遍路とは言えない。そう思いながらそのバスの発車を待つことにした。かなりの時間があったのでコンビニでおむすびとお茶を買いそのベンチで食べた。コミュニティバスの路線は蜘蛛の巣のように各地に張り巡らされていた。ただ本数が誠に少ない。どこまで乗っても100円なのだ。地域の足としてお年寄りの病院通いなどに使われているのだろう。乗客は老婦人ばかりで好きな場所を運転手さんに告げて降りていく。



大興寺の傍で降ろしてくれるように運転手さんに言うと親切に教えてくれた。乗客のおばあさんも丁寧に説明してくれる。「向井新田」でお礼を言って100円入れて降りた。そこからでも3キロくらいはありそうだ。
大きな交差点を渡ったところまではよかった。直進したが教えて貰った丁石がないのだ。周囲はのどかな田園地帯が広がっていた。しかし、畑に出ている人は一人も居ない。ついにSさんがおかしいと言い出した。わたしは少しでも距離を稼ごうと歩き続ける。遠くなったSさんが戻っておいでと大声を発した。
郵便配達のお兄さんが来たので聞いてみるとこの道で正解だった。Sさんにその旨電話した。が、彼女は交差点まで戻っていた。そしてそこの丁石をみつけていて戻ってこいと言う。これだけ歩いたのだからそれは酷というものだ。彼女は決してこちらに追いついてこようとはしないだろう。


Googlemapを開いてみると目的地までのラインが色変わりで示されていた。歩いてみるとラインが伸びる。確信を持った。で、彼女に電話する。と、彼女は今夜の宿の奥さんが迎えに来てくれるのを待っているという。ふむ。そうきたか。このまま行くと告げて歩き始める。黄金色の麦畑が美しい道だ。ところどころに池もあり、トンボが飛んでくる。Mapに従って左折する。そこへバイクに乗ったおばさんが来て止まった。宿の奥さんだった。心配して見に来てくれたのだ。Sさんのザックが荷台に載っている。奥さんは向こうの青い屋根を差してあそこだと言った。なんだ、もうすぐじゃん!断ったけれど奥さんはわたしのザックを前篭に載せて走り去った。全く、迷惑をかけてしまったことだ。



間もなくおおひらに到着。Sさんはまだだった。奥さんが玄関の鍵を開けて部屋に案内してくれた。
「主人がいれば車で迎えに行けたのだけど、わたし一人なのですみませんねえ」
おお。一人でここを切り盛りしてるのですか。偉いなあと感心するばかり。外に出てSさんを待つがまだ姿が見えない。裏に回ると大きなプールがあった。もう何年も使っていないような水のないプール。かっての賑わう様子が目に浮かぶようだった。
20分ほど待って電話しようとしたときにようやくSさんの姿が見えてほっとした。当然ながら機嫌が悪い。運転手さんが教えてくれた道は遠回りだったそうだ。言いたいことがあったがぐっとこらえる。
次の札所はこの宿から近い。まだ4時半だったので身軽になってその大興寺にお参りすることにした。


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