小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月十五日、十六日

2018-03-13 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十五日 

おおいに寒し。
今晩も料理をしかねて居ると田中の家内が礼に来るというので少々拵えた。
菜っ葉を摘むのもおおいに冷える。
4時過ぎに内田の岩を着替えと酒券、鰹節を持たせ田中から寄越し、今晩参るとのこと。
暮れ方に隠居のひさ代が千代を連れてきて10時過ぎまで話す。
岩一郎(雄輔)が千代を送って行き一時間ほどで帰るという。12時頃なり。
今晩からひさ代が泊まる。
一昨日、伊達五郎が追放となった。十里の外。



一月十六日 

寒い。綿帽子が降るが昼からあがった。
夏目楠蔵がきて酒券2枚くれて直ぐに帰った。
筧の家来が召し捕えられたらしい。


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一月十四日

2018-03-12 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十四日 

暖和なり。
安兵衞がくる。
伊達の養子の五郎という人が※改易の由。玉置の倅も同様。
伊達の家来衆荷物しるべの方へ持ち運ぶのに長持ち一さおが一貫匁づつとか。
それさえ思うように人がいない。
常々出入りの者等も一向に取り合わないらしい。
江戸から止め役衆二人がきている由。
彼らは二十里ばかりの所へ送られるそうだ。

※改易
 武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。

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一月十二日、十三日

2018-03-10 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十二日 

天気良し。洗濯。
2時頃、主人は高柳へ祝いに行く。
その前、高柳が肴を持って礼に来た。
ちぬ、さざえ、数七つに酒券三枚。
主人は高柳から金森へ行き田中へも行った。酒に酔う。
小梅は壁を貼った。


一月十三日 

快晴。温かい。
梅本から赤飯が届いた。千太郎の誕生日だ。
らんびきの箱、燭台の箱、掛け物の箱、ギヤマン箱、にしきて鉢の箱、太平箱の蓋付け、茶ほうじ九品を千太郎に頼んでいたのが今日出来てきた。
喜多村から江戸城持参。


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一月十日、十一日

2018-03-07 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十日 

おおいに晴れた。が、朝はおおいに冷えた。風呂を焚く。
斉藤彦助に昨冬に送ったぶしゅかん酒を入れた徳利を返しに来た。
中に酒を入れて、寿司1本に手紙が添えられていた。
千太郎にギヤマンの菓子鉢の箱を拵えてもらう。
浅之助と善之助両人に酒を出し話して居るときに、高柳主馬の倅が明日呼び出されていることの知らせがきた。
8時前に主人が帰ってきた。


一月十一日 

四時頃に高柳楠之助が礼に来た。
稽古料(私塾の月謝)として銀三枚を頂戴の由。
主人は当方の申し立てゆえ安家へ礼に行った。



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一月九日 3

2018-03-05 | 嘉永六年 癸丑日記

一月九日 

向笠の伊勢道中は芸者風の三味線弾きを連れてのことで、夜毎、宿や膳食べるときは傍で三味線や唄が盛んで街道の者らの請けも良かった。五十両も持参していたのだという。
和歌山を出立の時は芸技が六人も八軒やまで見送りにきて、三人ほどはそこから帰った。残る三人は橋本まで送ったそうだ。
向笠は見送りにきた芸妓等に三両づつ与えたとか。
出迎えの庄屋らへも盛んに酒肴でもてなし、みんなへも遺してくれよとの振る舞い。
と、大いに盛り上がった道中だったのだが、伊勢に着いて程なく五才になる娘が病死した。国へ帰し葬るのに家来を付き添わせた。
向笠のただ一人の子供だった。最近の動向はわからない。
この人も随分と学文のある人で書も見事に書き、しかも伊東直之丞の親戚なので当方へも丁寧に頼み込んで来た人だったのでこのようになるとは驚き也。

梶取長五郎が七十三にて病死し、今日は野辺の送りなり。大和やという仕出し屋は1500人分を拵えたという。それによって賑やかな送りとなった。


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