ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

19日(木)  ヴェルサイユ宮殿へ

2008-09-05 09:52:37 | 旅日記
 さすがに最盛期太陽王ルイ14世が建てた建物はデッカイこと、石畳の広場左手の切符売場でここでも荷物チェックを受けて入場、案内所で日本語ガイドイヤホーンを借りてから館内の見学となる。階段を登りまずは公的な間から絢爛豪華な大広間を通り、私的空間を回って下階に降りるというコースをガイド番号順にイヤホーンからの説明を聞きながら多くの観光客と連なって歩いてもう終りかなと思ったらさらに王太子の居住した間取りが別になっていて、急いでいる場合はこちらは見ないでもということらしい。こちらの方が地味な仕上装飾となっていましたから。ルイ15世の皇太子でルイ16世の父であるものの早死にして王位につかなかった人物の住まいとして特別に公開している理由も分かりません。それにしてもきらびやかで立派、シャンデリア類が当時はローソクだったでしょうからもう少し暗い火のゆらぎがある中ではどんな雰囲気になるのかな、でもロワールのシャトーよりは明るくて華やかでしょうね。しかしこの宮殿はその前のルーヴル宮が糞尿で汚れいたたまれなくなって移したのに、こちらもトイレには困り、段々に汚れていったという話がありますが、今の美しさからは創造できません。こんな逸話は説明書にもイヤホーンガイドでもありませんから、ここでも日本人大体客が専用ガイドさんの無線による説明を聞きながら数組いるのを見ましたが、ちょっとだけ近くで聞いてみたらイヤホーン説明には無い面白い別の話を加えていましたからその中ではあったかな、やはり金を払うだけの価値があるのでしょうね。巨大な宮殿なので見学コースから外れた場所もまだ多いはず、豪華な場所だけでなく家来達の居住区や諸々のバックヤードもあるでしょうからその一部でも見せるようにしたらどうですかね。宮殿の後ろ側奥は広い庭園が広がりちょっとしたシンメトリーな西洋公園、ここも当時は格好の糞尿捨場だったとか、さらにそのやや右手奥にルイ14世の家族用私的住居であった大トリアノンとルイ16世の妻マリー・アントワネットが遊び暮らしたという小トリアノンが連なり、これも糞尿から逃れるために居を移したのでしょうか、そちらとはトロッコ風自動車が有料送迎往復しています。もちろん僕達は歩いて向かいましたが、途中には牧場などもあってこれも昔の姿を見せているのでしょうかね。小トリアノンは居住棟が修復工事中のようで中には入れず、マリーのための劇場だけ見物してあとは田園風庭園散策のみ、大トリアノンはやはり大きな建物で公務を終えたルイ14世もこちらを好んで暮らしたそうで、公的な場も設けられて立派な造り、専用の庭園も洋式で広々とし栄華が偲ばれます。こちらまで全部見るとなるととても半日では無理、もう糞尿のフの字も感じる心配の無い庭園内にはカフェやサンドウィッチなどの売場があるので昼食休憩をとって最終的に出たのは3時過ぎ、駅までは途中の土産物屋など冷やかして行くものの何も買いません。帰りにはエッフェル塔を間近に見ておこうと途中下車、我々は東京タワーにも登っていないしでこちらから先に昇るわけにはいかないと直下からの見物のみ、階段で昇れる場所はそんなには高くないから有難みは無さそうですしね。この塔はパリ万博で建てられたものなので鋼材ではなく鋳鍛鉄でしょうから全体の形のように部材にもボッテリした印象がありますね。でもこういう場所に騎馬警官がいるなんて絵になるじゃないですか、パリという街は。地図で見ると凱旋門からシャンゼリゼ通の軸とエッフェル塔とその前の長い公園の軸がセーヌ川を挟んで襷掛けに平行配置されているのは偶然でしょうか。凱旋門を計画したナポレオン、パリ改造や万博開催をしたナポレオン3世、二人がつながりますね。そうこうするうちに小雨が降ってきたので本日の観光は打ち止めとあいなりました。

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