ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

会津から宇都宮へ、途中いくつか立寄って、餃子も食べて その2

2010-05-10 10:22:52 | 旅日記
  郊外の宝木町にある幸楽には午後1時に到着、でも宇都宮はまだ雨が降っていない。母親の味を受継ぐというキャッチフレーズのこの店は、もう20年近く昔にその母親の父、すなわち今の店主の祖父がやっていた今は無きオンボロ店がここからはそんなには遠くない場所にあって、そこで食べたスープ餃子の味を受継ぐから、本来なら祖父からというべきなんだろう。でも爺さんの味じゃ旨そうじゃないか。
   
   店は奥に増築していて繁盛の様子         記名帳台に招き猫?、中に入りたいのですよ
  店はこの時間でも満席で記名して待ったのは3番目、回転が速いからまもなくで相席になって座る。この前来た時は水と焼の二つだったがもう少し食べたかったしこちらのラーメン(冒頭写真)も美味しいしで、僕はラーメンと水餃子の汁物を重複して注文、女房はラーメンと焼餃子を。ここのラーメンは麺を平打ち麺か細麺を選べるのだが、これまで細麺しか食べていない。今回も細麺にしたから麺が伸びないうちにとラーメンからかき込む、厚いチャーシューが入っていて食べ応えがある。麺だけ平らげてからは水餃子、ここのは水といっても塩味スープに青物やワカメも入ったもので、中の餃子は横浜中華街の水餃子みたいに皮をシッカリと厚くしたものではなくてあくまでも薄い。それが茹でても皮が破れずに出てくるから不思議、一個を一口で食べれば口の中ですぐにほぐれて旨いの何の、それにこのスープもアッサリとしているのにキレがあって美味しい。こちらのスープを飲み干してみると、あとからはラーメンのスープはややクドク、雑味も感じてしまう。最初にラーメンを食べていたときには美味しく飲んだスープも飲み比べると変わるんだと、でも両方飲んじゃったら塩分過多だから飲まないほうがいいよなぁ。次回は水餃子に焼餃子二つといこうかな、本当は水餃子に大があったらそれと、焼餃子一つがいいんだけど。。
   
         焼餃子                             水餃子
   さて最後は宇都宮美術館でやっているという小倉遊亀展を見たいと女房がいうので、幸楽から近い美術館にナビの案内で向う。それがナビの案内通りに環状道路から曲っていった道をかなり進んでも、美術館を示す場所に行く最後の道筋が見付からずウロウロと。美術館に電話して道を聞いても女性の説明がこちらに土地勘がないからよく分からないし、あいにくと太陽がないから方向を言われてもチンプンカンプン。途中のガソリンスタンドで聞こうと裏通り側からスタンドに入ったら、目の前の環状道路の頭上道路標識に入口の文字があるじゃないですか。電話で聞いた場所からは、最初から環状道路外回りで上に掲げられた美術館入口の道路標識を左折してくださいと言ってくれればスンナリだったものを、変に細かく説明されても要領を得ないいい見本だね。ナビが分からなかったのはどうやら進入取付道路がこのソフト作成時よりあとからできたためらしい、でもその前はどこに道路があったんだと、それもやっぱりおかしいよな。その美術館だが始めての客に不親切だとこれにも僕は怒ったぞ、進入禁止みたいに道路半分塞ぐ柵の手前から入る駐車場が美術館用かと思って停めたら、美術館らしき建物が見えない。なんでここから随分と離れた場所に建てたのかと不審に思って上のほうを見やったら、さっきの柵の奥に入っていく乗用車が見える。実際はもっと近くにスペースはやや少ないものの駐車場があるじゃないですか、表示が何にも無くて不親切だねぇ、余所者を拒否しているみたいじゃないか。
           
   市立の美術館そのものは立派なもの、オープンして11年だそうだが広い森林公園の中にあって和める施設ではある。全ての施設がワンフロアに展開しれいるのもいい、でもちょっと贅沢な造り方かなぁという印象も、かなり広く廊下スペースをとっているものね。小倉遊亀作品は滋賀県立美術館が多く収蔵しているらしくそこからの借り出しが多く並び、2会場に分けられて展示されていた。この人の絵は日本画の枠を飛び出して、後期の作などマチスみたいな感じもあって西洋画などにも引けを取らない力強さがある、これをさらに発展させたのが片岡毬子か、お二人とも大変な長命だからエネルギー溢れていたんだろうね。あとは収蔵常設展をサラッとみてから今日はまだコーヒーを飲んでいなかったとレストランで一息入れ、4時ちょうどに我家に向う。
   帰りの高速はスムース、でも首都高は渋滞表示、いつもは駒形側から箱崎に出るのだがこの日は出来たばかりの山手通りの地下を走って渋谷を抜ける高速を走ってみることに。これの渋滞の最初は川口線との合流、初めてこちらに来てみたがここの合流とその先の進行方向分離は昔の箱崎のネジレ方と同じ、そして渋谷手前が一車線に絞っているからまた渋滞に、その先は東名と首都高に分かれるようにしているからこれって絞る必要があるのかと思うのだが、お上は下々の安全を計らっておられるということか。東名側に向う車が多いからこの先がどうなっているのかなと、そちらで入線に余裕がとれるようにしてやれば2車線で絞ることはないと思うんだけれど。
  そんなこんなで帰還は7時半、晩飯は買ってきたものでは固豆腐を冷奴で、あとは冷蔵庫の残り物で、山菜天ぷらや餃子を焼くのは明日にしよう。
  今回は食料品や酒以外ではこんな物を小物ばかり少しずつ、蕎麦用の竹籠に合せる皿はこれから自作しましょうかな。
         
     反時計回りに箸置き木工細工、会津木綿細工、張子玉うさぎ、柿渋、竹籠 

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