ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

第三日目 熊野最終速玉大社参拝後は伊勢内宮とおかげ横丁、名古屋から帰京 6月5日その1

2010-06-15 09:41:20 | 旅日記
 朝の風呂は5時半からということで、その直前に部屋を出たら廊下から眺められる海と岩礁のやや上に朝日(冒頭写真)が輝いていて、最終日もいいお天気でいい旅行になったねと、このところの旅行は続けて天気には恵まれた。
 昨夕でもまだ明るさが残っていたからすぐ前の海と大島が眺められたが、やはり朝のまぶしいぐらいの海はいいものだね、こんなロケーションなら男風呂は前の目隠しをずっと低くして思い切り開放的にしたらどうでしょうかね。女房に女風呂も同じかどうか訊いたら、やや小さめのようだ。朝は1回だけしか入れそうもないからとやや長めに、最後は源泉と思われる湯に浸かって切上げる、この湯はほかよりやや温度も高いから出る前がちょうどいい。
 朝食のバイキングは夕食で食べられなかった分もと、いつも食べ過ぎちゃうんだけれどやはりこの日も。和食中心にあれもこれもと、ご飯はお粥とあとシッカリと一膳を、暖かいおかず類は湯豆腐や味噌汁だけなんだけど、これには青ネギをたっぷりと掛けちゃうのが僕流、このぐらい食べたら昼はパスしてもいいぐらいだな、最後にコーヒーでご馳走さまでした。
          朝食の僕の分 
 ホテルは8時発、ロイヤルホテルの客を拾ってから海岸線を昨日と同じ道を走る。昨日の橋杭岩を通り過ぎてから昨日あまり説明しなかったからと、周辺のいくつかの場所でバスガイドの案内があって、奇岩や鯛島なぞという岩礁などを見やりつつ、那智勝浦駅前の海産物センターなるところがまず最初の立ち寄り場所。最終日だから干物や海産物加工品が買えるだろうということだろうけれど、ここは普通のお土産屋さんとあまり変わらなくて保冷材が必要なものには手が出なかった。
          目玉が空いていて鯛島だって
 再び太地町を抜けて那智勝浦の谷間みたいな地形の場所には、天然温泉の看板を掲げる共同浴場に毛が生えたぐらいの温泉旅館がいくつか、この辺りは郷土の偉人博物学者の南方熊楠を利用したんだそうだ。
 新宮まで戻ってくれば旧速玉大社だったという懸崖上に建つ紅い社殿(今は神倉神社と言うらしいがこちらから今の速玉大社に移って旧から新宮になって町も新宮と言うとか、でも移ったのは遠い昔らしい)を車中から眺めて、暫くで熊野速玉大社は平坦地で旧社じゃなくて良かったね。こちらに祀るのはイザナギ、イザナミの二神でここで熊野三山を全てお参りしたことになる。神仏混交の本地垂迹説ではそれぞれの本地として本宮大社の家津美御子大神(スサノオ)は阿弥陀如来、那智大社の夫須美大神(イザナミ)は千手観音菩薩、速玉大社の速玉大神(イザナギ)は薬師如来で夫須美大神(イザナミ)は那智大社と同じということで、西方は極楽浄土の未来の、南には観音補陀落浄土で現世の、東方には浄瑠璃世界で過去のという三方向過去現在未来のご利益をというのが熊野信仰だという詳細は帰ってから調べてみて知ったが、こういう場所に行くときにはもっと事前に調べておくべきだったね。しかしこれらの説はあとからのもので、根源は昨年に行った出雲系のような熊野の地の神だったという説もあるようだけれど。
          熊野速玉神社正面
          参拝曼荼羅図だそうだ
 熊野は観音浄土へと生きたまま旅立つ補陀落渡海が有名で、那智勝浦にある補陀落山寺が本元の寺、こちらは新宮速玉大社まで走ったバスから遠望しただけであった。速玉大社では神木だというナギの大木を見て本殿参拝、こちらの社殿もかなり新しい再建らしく銅板葺に朱塗りの社はキラビヤカであった。戻ってきたらバスガイドがこれから落ちてくると話していたナギの実を捜しているツアーの同行客が数人いたがどうやら見つからなかったようだ、欲しければこれを人形の顔に使っているお守りが神社で売られていた。この実は何かのお守りになるのかね。
                ご神木ナギの大木
 またここでは牛王符という昔には護符でもありそれ以上に起請文用としてよく使われたという、烏をモチーフにしたデザイン文字のお札を三山の最後になって見つけシゲシゲと見てみたが、確かこんなお札は古い田舎の家のへっついの上の壁などに貼ってあったように記憶する。なんでも本宮や那智大社とこことでデザインは全て違うらしいが、優劣はあるのかそれとも効力が多少は異なるのか、やはり主座の本宮が一番なのかなと多少気にはなるな。
          熊野牛王符
 こちらには多くの宝物を収蔵するという神宝館があったのだが時間がないからそちらはパス、やや残った時間はバスガイドがここの茶店以外では見かけなくてジュースよりもお奨めというじゃばらサンダーなるものを飲んでみたが、柑橘類の酸っぱさにやや苦味が加わって引締った初めての味。北山特産で邪払という当て字も面白いのだが、オロナミンドリンクみたいだからもうちょっと大きい瓶にして欲しいな。この日も暑くなってきて炭酸飲料で一服つけたところで、ここからは峠を三つ越えるという三重県はお伊勢さんに向けて10時に出発、途中では一回の休憩で長い道のりを走ることに。
                    じゃばらサイダーは小さな瓶で
 新宮を出ればもう三重県となり、最初は海岸沿いで海亀産卵地の御浜、そして熊野からは峠越えで年間雨量が多いことで知られる尾鷲、さらにまた峠を越えて紀北町では権兵衛が種蒔きゃカラスが突っつくという歌の種まき権兵衛の里の大きな看板があって実在の人物だったんだと、そしてまた海岸線に出れば道の駅マンボウという休憩場所には12時少し前に到着。こちらの道の駅では海の幸が実に豊富にありました、これなら那智勝浦の海産物センターなんかには立寄らずともよかったのにね。まさか刺身盛合などは買えないけれど干物の真空パックだったらと、それと熊野灘の海洋深層水からの塩を使ったなんてものも、ここの物産コーナーの品揃えは観光客には魅力的になっているねぇ。我々はこういう旅行でも保冷袋を必ず持参するからいくつかを買って氷を入れてもらった。
          道の駅マンボウ
  
    まずは刺身盛合から      干物類真空パック     熊野灘海洋深層水の塩を使って
 最終三つ目の峠越えでは最初のクネクネ道を登ったら弁当をとバスガイドさん、皆さんよく
言うことを聞いてここからはどうぞの声に一斉に食べだす。熊野古道薬草弁当なるものはここの名物をいろいろ盛り込んだ内容、しかし今回の旅ではこれは旨いというものには出会わなかったなぁ、やはり山の保存食より海のものが美味しいんだろうけれど、串本での生マグロなんかも切っていた柵が小さな魚体だったから感激するようなものじゃなかったしね。
           熊野古道薬草弁当


<岡田ジャパンが本番ではまず一勝、今までの不振脱出なるか>
 昨夜のカメルーン戦ではかろうじて勝利、僕は最初朝刊で知ったのだがTVでも早朝から得点シーンなどや皆さんが歓声を上げて喜んでいるの映像を流していて、まずはおめでとうと。これも日本サッカーのシンボルマークである八咫烏の本家である熊野三山参りを直前にしてきたご利益があったのかな。JAXAのカプセル回収などといいことが続いて、日本に運が巡ってきているようだねと強引にこじつけちゃおう。次のオランダ戦を引き分けに持ち込めれば決勝進出の芽が出てくるかな。でも2点目を外した岡崎のシュートがあとで響かなければいいのだけれど。JAXAのカプセルも砂が入っていますように。

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