モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

コデ66

2012-05-06 11:40:00 | 伊豆箱根鉄道
今日は大雄山線の思い出を…

大雄山線には今も、『コデ165』という電車があります。
このコデ、電気機関車を持たない大雄山線では、駿豆本線大場工場への入出場や、保線作業の際に機関車代わりに使われます。
『コデ』という珍しい記号ですが、工事電車の略だそうです。国鉄式に言えば、クモヤということでしょう。

そのコデも現在の『コデ165』は2代目で、初代は『コデ66』がありました。

コデ66の生まれは、国鉄クモハ12000で、その元をたどれば1933(昭和8)年製のモハ34001となります。

伊豆箱根鉄道には、1969(昭和44)年に駿豆本線に入り、同時期に西武鉄道より譲り受けたモハ51、サハ81(元西武クハ1325・1312)と3連を組み、活躍しました。
大雄山線が600Vから1500Vに昇圧されたのは、1976(昭和51)年11月で、この際に駿豆本線から大雄山線に転属となりました。

1984年7月22日 大雄山駅


1500V昇圧後は、大雄山線の車両も全般検査・重要部検査は大場工場で行われることになり、その際に大雄山分工場から小田原駅までの回送は、このモハ66が牽引の役目をしていました。
もちろん、5000形の新車受取にもこのモハ66が活躍しました。
順調に5000形の増備が進み、このモハ51-サハ81-モハ66も引退となりましたが、モハ66だけは正式に番号もコデ66として生まれ変わりました。

1996年3月13日 小田原駅
5013-5014-5507を迎えにやって来た コデ66




東海道線で受取の様子を眺めた後、大雄山線のホームへ移動しました。
大雄山線の乗り換え改札で入場券を買おうとすると、駅の方が「どうぞ」とそのまま入れていただきました。
そして作業中のコデ66の車内です。
甲種回送対応の機器が積まれています。
一部の座席・網棚・つり革が撤去されているものの、現役当時とほぼ変わらない状態。車内広告が無いためすっきりしていました。



このあと、コデは新車を引き連れて、大雄山分工場へ向かいました。


この年は、とても”鉄”で忙しい時でした。
この直前には西武の初代レッドアロー5000系が引退し、間もなく西武の貨物輸送終了、JR東海道線の『急行 東海』の廃止、鶴見線大川支線の103系化によるクモハ12の引退、八高南線の電化…… いま考えると懐かしいことばかりです。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (つのすけ)
2012-05-06 23:37:48
私も当時鉄で忙しかったです。
西武の貨物を撮影後、山越えして八高線のDD貨物の撮影に行ったりしていました。地元で精一杯で、他に回る余裕がありませんでした。
返信する
Unknown (モハ1005-モハ1006-クハ2003)
2012-05-07 18:27:27
つのすけ様、ありがとうございます。
当日は『青春18きっぷ』をフルに利用して、川崎で急行東海を撮影し、鶴見線へ行きクモハ12へ乗車、小田原でコデ66の見学・撮影、湯河原で急行東海の撮影、そして三島へ向かい、大場工場に行きました。
あの頃は本当にいろいろと楽しかったです。
さよなら関連が多かったのはちょっと残念でしたが…
返信する

コメントを投稿