1411形の前に製造された351(竣工当時501)形やその後の501系など、
殆どの車両は連結相手が決まって製造されているのですが、この1411形
だけは連結相手が特定されず、短期間に大量が製造(鋼体化)されて
います。1955年9月~1959年5月にかけて広幅正面ドア(開かず)車が
30両竣工していますが、当時の連結相手は17m国電だったのでしょうか?
意外にも最終のクハ1449、1450が竣工したのはクモハ451形が登場する
わずか半年前のようです。
一時期、連結相手のクモハ451形に併せて番号も1450番台を名乗っていた
時期もあったようでした。
1973年9月1日 西武新宿駅
相変わらず、酷い画像ですみませんが…
西武新宿に到着のシーンですが、方向幕は既に「急行 本川越」に替わって
います。当時は高田馬場に到着の際に、多くの車両は方向幕が替えられて
いました。
1974年4月28日 新井薬師前駅
1976年11月3日 新井薬師前駅
1978年1月5日 所沢駅
新宿線沿線で生まれ育ったため、やはりクハ1411形と言えば、連結相手は
クモハ451形と言う印象が強いものでした。確かにそれなりに両数も
ありましたので。
1978年10月7日 北多磨車両管理所(北多磨駅ホームより)
クハ1411形が向かい合って連結されるのは、多摩川線の姿ですね。
1979年2月28日 入間川駅附近
駅名もまだ「入間川」だった頃、検査出場仕立てのピカピカな姿でした。
1981年5月23日 南入曽車両管理所
クモハ451形と共に廃車が進む。451形の一部が電装解除されて451形同士で
組まれて、地方私鉄に譲渡されていく中、クハ1411形は多くが解体されて
行きました。こちらはクハ1450 で、3月末に廃車になっていました。
1985年5月27日 小手指車両管理所
意外なのがこの クハ1446 1981年2月に廃車になり、前後して廃車と
なった多くの車両と共に暫く小手指車両管理所の隅に留置されていました。
他の車両が譲渡改造されたり解体されて行く中、このクハ1446 のみは
それから4年経っても単独で留置されていました。
そのクハ1446 が5月の終わりの事、検修庫附近に移動され軸受けが
グリスアップされたと思ったら、クモハ270 と連結されました。
この後はどうなったか確認できませんでしたが、南入曽に移送された
とか噂を聞いたことがあるような?
そんな1411形の仲間として、伊豆箱根鉄道にもクハ70形がありました。
中間に連結され、実質サハになったものもありましたが、このクハ76
は先頭に立ち、美しい姿でした。
1976年7月15日 三島駅
殆どの車両は連結相手が決まって製造されているのですが、この1411形
だけは連結相手が特定されず、短期間に大量が製造(鋼体化)されて
います。1955年9月~1959年5月にかけて広幅正面ドア(開かず)車が
30両竣工していますが、当時の連結相手は17m国電だったのでしょうか?
意外にも最終のクハ1449、1450が竣工したのはクモハ451形が登場する
わずか半年前のようです。
一時期、連結相手のクモハ451形に併せて番号も1450番台を名乗っていた
時期もあったようでした。
1973年9月1日 西武新宿駅
相変わらず、酷い画像ですみませんが…
西武新宿に到着のシーンですが、方向幕は既に「急行 本川越」に替わって
います。当時は高田馬場に到着の際に、多くの車両は方向幕が替えられて
いました。
1974年4月28日 新井薬師前駅
1976年11月3日 新井薬師前駅
1978年1月5日 所沢駅
新宿線沿線で生まれ育ったため、やはりクハ1411形と言えば、連結相手は
クモハ451形と言う印象が強いものでした。確かにそれなりに両数も
ありましたので。
1978年10月7日 北多磨車両管理所(北多磨駅ホームより)
クハ1411形が向かい合って連結されるのは、多摩川線の姿ですね。
1979年2月28日 入間川駅附近
駅名もまだ「入間川」だった頃、検査出場仕立てのピカピカな姿でした。
1981年5月23日 南入曽車両管理所
クモハ451形と共に廃車が進む。451形の一部が電装解除されて451形同士で
組まれて、地方私鉄に譲渡されていく中、クハ1411形は多くが解体されて
行きました。こちらはクハ1450 で、3月末に廃車になっていました。
1985年5月27日 小手指車両管理所
意外なのがこの クハ1446 1981年2月に廃車になり、前後して廃車と
なった多くの車両と共に暫く小手指車両管理所の隅に留置されていました。
他の車両が譲渡改造されたり解体されて行く中、このクハ1446 のみは
それから4年経っても単独で留置されていました。
そのクハ1446 が5月の終わりの事、検修庫附近に移動され軸受けが
グリスアップされたと思ったら、クモハ270 と連結されました。
この後はどうなったか確認できませんでしたが、南入曽に移送された
とか噂を聞いたことがあるような?
そんな1411形の仲間として、伊豆箱根鉄道にもクハ70形がありました。
中間に連結され、実質サハになったものもありましたが、このクハ76
は先頭に立ち、美しい姿でした。
1976年7月15日 三島駅
クモハ311形と組まれた時代もあったのですね。
311形も電装を解除されクハとなり、311形同士の編成も
あったようですね。この辺り、451形の誕生とも深く関係が
ありそうですね。
それにしても、特に457~470と組まれた1437~1450は
編成で番号を合わされたと思ったら、新製クハ1451形6両
により改番となり、そのクハ1451形もその後の411系登場で
クハ1471形になるとは、複雑でしたね。
クモハ351形と組まれた1411形は、中間車化されたり、
グロベンに換えられたりと、1411形の中では一番変化も
ありましたね。
意外だったのが、クモハ401の連結相手にクハ1431を方転し
組成されたことでした。
451形の事故廃車の影響で、連結相手を失ったクモハ455が
クハ1434と組成されたり、371形と組まれた国電払下げ車
クハ1432との編成があったり、1430番台車もユニークでした。
同型のモハを持たないクハとして新製された30両と鋼体化等
のクハ55タイプ旧型狭窓の10両から構成される1411型は度々
連結相手が替わりその都度改番を行ったりで煩雑でしたね。
新製車の内20両は旧501系が新501系の20両にサハを取られた
際旧501系に組み込まれその内12両がサハに改造されました。
一時期新製451系と組む折には1450台を名乗った事も有りましたね。
後に新製1451型が6両新製され再度改番が実施されるなど、複雑な
番号変遷でした。鋼体化Grは晩年371型等とも連結されるなど
連結相手を特定しないクハとしてその目的を遺憾なく果たしたと
思います。
昭和30年代初期では新製広窓クハと17mの311型が2両で組成
され昼間各停清瀬・豊島園行きでのんびり走っていました。
貴重な懐かしいお写真有難うございました。
801系との編成、確か一番上の写真も… 拝島・多摩湖行
でも良く411系後期との編成が見られました。
狭幅車の451形との組成は5両しかありませんでしたね。
正面展望は、特に方向幕が取付けられる前は抜群でした。
ドアスイッチも方向幕も露出していて本当に開放的でしたね。
ただ、準急・急行札は方向幕裏には収納せずに、乗務員室に
保管されていたようでした。
それと暑い時期には、半室運転台のドアが開かれていたことも
ありました。片隅運転台に列車無線も取付けられ、あのスペースに
良く機器が収められたものだと感心したり。
そして意外と乗り心地が良かったですね。同じTR-11A でも
601・701よりも軽やかに感じたものでした。
2000系が登場した頃、かぶりつきの子と父親が
父「2000系って正面にドアが付いてるんだよ」
子「(クハ1411形を見て)あれ?」
なんて会話していた懐かしい思い出もあります。
1411形は乗ったら楽しい車両で、片隅運転台なので先頭だと展望がきき、最後尾では左側の扉を開ける際に車掌さんが出てきてドアスイッチに都度キーを差すのが印象に残っています。
ロングレール区間での乗り心地の良さも印象的でした。
クハ1411形先頭で、後ろに801系が連結されているとがっかりしたものです。
私は伊豆箱根の写真のタイプ、狭幅貫通扉の1430番台の車両が好きです。
コメントに写真が貼れれば当方撮影の写真も披露したいところです。