2024 11月4日 (月曜日) ②
ラグビー観戦へ。天気は春の様な陽気だ。暑い!

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埼玉県はオーストラリアのクイーンズランド州と県・州との姉妹都市。40年になる。
今年は日本での試合だ やっぱり強いクイーンズランドレッド。
日本の先発選手は


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〇観客数はファンクラブの観客で人数はそれほど多くはなかったが試合は白熱していた。
パナソニックの主力数人は出場していないが、互角のスクラムであった。
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毎日新聞 余録
<戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
人の心の中に平和のとりでを築かなければならない>。
~~~~~~~~~
★国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章の格調高き前文の一節である


▲設立されたのは第二次世界大戦終結の翌年だ。
争いの原因には相手への無知や無理解があったと反省し、
学術や文化の交流促進を誓った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
世界遺産登録ばかりが注目されがちな国際機関は本来、平和構築を主目的とする。
▲米国務省によると、前文草案を書いたのは、
人道主義で知られる米詩人アーチボルド・マクリーシュである。
第一次大戦でフランスに派兵され、第二次大戦が始まる直前、
議会図書館長に就いた。
ユネスコ設立に向けた会議で米国代表団を率い、晩年は農地を耕した。
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メモ

イリノイ州クック郡生まれ。イェール大学卒業後、
ハーヴァード大学で法律を学び、弁護士を開業。1923年にパリに渡る。
T・S・エリオットやウィリアム・バトラー・イェイツ、エズラ・パウンドなどの
影響を受けて詩作し、1924年の「幸福な結婚」、1925年の「土の壺」など、
反戦詩で名声を得た。1928年に帰国し、
1932年に「征服者(Conquistador)」でピューリッツァー賞 詩部門を受賞。
詩劇やラジオドラマなども執筆し、切迫した社会情勢を訴え、
「ニューディールの桂冠詩人」と称された。フランクリン・ルーズベルト大統領から強い信任を受け、
スピーチライターも担当した。
1939年から1944年まで議会図書館長、
1944年から1945年まで国務次官補など、政府要職を歴任。
国務次官補時代にはポツダム宣言に関わり、ジョゼフ・グルーが作成した、
天皇の安全の保証を示した対日講和案に強硬に反対した。
~~~~
第二次世界大戦後は政府を離れ、創作に集中。
1949年から1962年までハーヴァード大学教授。
1953年、Collected Poems, 1917-1952 により全米図書賞及び2度めの
ピューリッツァー賞 詩部門を受賞。
1962年からハーヴァード大学名誉教授。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲憲章が発効したのは1946年11月4日。
きょうが78歳の「誕生日」だ。
〇世界を見渡すと、ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区で戦闘が続き、
欧米をはじめ各国で社会の分断が深まる
▲戦場には世界遺産も多い。
ユネスコはウクライナ南部オデッサの歴史地区、
ガザの聖ヒラリオン修道院などを「危機遺産」に登録し、保護を呼び掛けた。
レバノンでもローマ時代の遺跡近くが爆撃されている。
▲相手に対する無理解どころか憎悪、敵意が肥大化し、
憲章の理念はすっかり忘れ去られたかのようだ。
マクリーシュは言った。「愛ではなく憎しみによって生きる人は病む人である」。
〇胸に手を当て自らに問いたい。
異なる意見に耳を傾け、
心に平和のとりでを築けているだろうかと。
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ラグビー観戦へ。天気は春の様な陽気だ。暑い!

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埼玉県はオーストラリアのクイーンズランド州と県・州との姉妹都市。40年になる。
今年は日本での試合だ やっぱり強いクイーンズランドレッド。
日本の先発選手は


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〇観客数はファンクラブの観客で人数はそれほど多くはなかったが試合は白熱していた。
パナソニックの主力数人は出場していないが、互角のスクラムであった。
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毎日新聞 余録

<戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
人の心の中に平和のとりでを築かなければならない>。
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★国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章の格調高き前文の一節である


▲設立されたのは第二次世界大戦終結の翌年だ。
争いの原因には相手への無知や無理解があったと反省し、
学術や文化の交流促進を誓った。

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世界遺産登録ばかりが注目されがちな国際機関は本来、平和構築を主目的とする。
▲米国務省によると、前文草案を書いたのは、
人道主義で知られる米詩人アーチボルド・マクリーシュである。
第一次大戦でフランスに派兵され、第二次大戦が始まる直前、
議会図書館長に就いた。
ユネスコ設立に向けた会議で米国代表団を率い、晩年は農地を耕した。
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メモ


イリノイ州クック郡生まれ。イェール大学卒業後、
ハーヴァード大学で法律を学び、弁護士を開業。1923年にパリに渡る。
T・S・エリオットやウィリアム・バトラー・イェイツ、エズラ・パウンドなどの
影響を受けて詩作し、1924年の「幸福な結婚」、1925年の「土の壺」など、
反戦詩で名声を得た。1928年に帰国し、
1932年に「征服者(Conquistador)」でピューリッツァー賞 詩部門を受賞。
詩劇やラジオドラマなども執筆し、切迫した社会情勢を訴え、
「ニューディールの桂冠詩人」と称された。フランクリン・ルーズベルト大統領から強い信任を受け、
スピーチライターも担当した。
1939年から1944年まで議会図書館長、
1944年から1945年まで国務次官補など、政府要職を歴任。
国務次官補時代にはポツダム宣言に関わり、ジョゼフ・グルーが作成した、
天皇の安全の保証を示した対日講和案に強硬に反対した。
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第二次世界大戦後は政府を離れ、創作に集中。
1949年から1962年までハーヴァード大学教授。
1953年、Collected Poems, 1917-1952 により全米図書賞及び2度めの
ピューリッツァー賞 詩部門を受賞。
1962年からハーヴァード大学名誉教授。
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▲憲章が発効したのは1946年11月4日。
きょうが78歳の「誕生日」だ。
〇世界を見渡すと、ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区で戦闘が続き、
欧米をはじめ各国で社会の分断が深まる
▲戦場には世界遺産も多い。
ユネスコはウクライナ南部オデッサの歴史地区、
ガザの聖ヒラリオン修道院などを「危機遺産」に登録し、保護を呼び掛けた。
レバノンでもローマ時代の遺跡近くが爆撃されている。
▲相手に対する無理解どころか憎悪、敵意が肥大化し、
憲章の理念はすっかり忘れ去られたかのようだ。
マクリーシュは言った。「愛ではなく憎しみによって生きる人は病む人である」。
〇胸に手を当て自らに問いたい。
異なる意見に耳を傾け、
心に平和のとりでを築けているだろうかと。
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