2024 11月3日 (日曜日) 晴れ
晴れた!少し風もあって乾く。
〇今日は全日本大学駅伝。
國學院大に追いつかれて4秒差でタスキを渡した。
~~~~~~~~~~~~~~~~^
何が起こるかわからない!7区でも4秒差・・最後の8区「19.7km」の区間に入った
青学VS國學院とのデットヒート 10㎞を過ぎたころ國學院がトップにたった。
★國學院が優勝・3位の駒沢も2位に上がった。青山学院は3位に。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇同日に東日本実業団駅伝が行われている。
埼玉県庁から17号を走って、深谷で折り返して熊谷のスポーツ公園までの距離だ。
一昨年までは交通整理員としてお手伝いしていたが
私はもう解放されて中継地点でみるだけになった。
★こういった整理員のボランティアが4回/年あったが楽になった。
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上毛新聞 三山春秋 コラム
▼医師の故日野原重明さんは、100歳を超えても現場に立つ生涯現役の人だった。
予防や終末期医療の普及に力を入れ、晩年は長寿社会の良き手本として振る舞った
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼医学生時代に結核を患い、1年間の闘病生活を送った。
1970年には学会に向かう途上でよど号ハイジャック事件に遭遇し、機中に拘束された。
そうした経験から病む人の心や命の尊さに気づき、
円熟の境地から患者や社会と向き合った。
著書に〈人生にはむだというものはない〉と記す
▼2018年に92歳で亡くなった創作こけし作家、関口三作(さんさく)さんも
同じことを口にしていたという。渋川市に生まれ、
本県をこけしの一大産地に押し上げたが、紆余(うよ)曲折の人生だった
▼少年時代に東京の町工場で旋盤工として働いたが、
絵描きの夢を捨てきれなかった。
通勤途中に美術学校の前を通ると、いつも足を止めてデッサンの様子に見とれた。
独り絵筆を握り続け、終戦後は抑留されたシベリアで収容所の壁に描いた
▼木材の削り出しから絵付けまでを一手に担う腕前を備えていた。
旋盤の技術と画才のどちらが欠けても、すばらしい作品は生まれなかった
▼土産物とは一線を画し、最晩年まで美術工芸品として世に送り出した。
渋川市で今年30回目を迎えた創作こけしの全国展には当初から各地の名工が集う。
関口さんの信念を継ぐ「美術展」は市民会館で5日まで開かれている。
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白いシカ 天風録「中国新聞デジタル」のコラム
稲や野菜、果樹を食い荒らしたり森林の下草をむさぼったり…。
広島市の可部地区では近年、シカによる農作物被害が深刻さを増している。
車を見てもすぐ逃げないから交通事故も引き起こす。
これでは、白い目で見られても仕方なかろう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲こちらは、冷たい視線を浴びなくて済みそうだ。
可部の太田川河川敷、茂みの中にいた全身が白いシカ。
突然変異で白くなった個体は珍しく、全国でも年に1頭拝めるかどうか。
目撃者によると、神秘的だったという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲奈良では、白いシカが大切にされている。
春日大社を建立した時に、神様を乗せて遠い関東からやって来たとの言い伝えがある。
確かに、幸運を連れて来てくれそうだ。
▲広島県世羅町の宇津戸地区では「地域の戦を止めた神様」として、
白いシカがあがめられてきた。
700年ほど前に、境界争いを終わらせるきっかけをつくった。
地域の守り神として、今も語り継がれているのがいい
▲手塩にかけた農作物を食べまくるから、
たとえ海の向こうでも歓迎されることはあるまい。
~~~~~~~~~~~~~~~
では、争いを止めてくれる白いシカなら、どうだろう。
戦火が一刻も早くやむよう願っているのは、
ガザの子どもたちだけではないはずだ。
晴れた!少し風もあって乾く。
〇今日は全日本大学駅伝。
國學院大に追いつかれて4秒差でタスキを渡した。
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何が起こるかわからない!7区でも4秒差・・最後の8区「19.7km」の区間に入った
青学VS國學院とのデットヒート 10㎞を過ぎたころ國學院がトップにたった。
★國學院が優勝・3位の駒沢も2位に上がった。青山学院は3位に。
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〇同日に東日本実業団駅伝が行われている。
埼玉県庁から17号を走って、深谷で折り返して熊谷のスポーツ公園までの距離だ。
一昨年までは交通整理員としてお手伝いしていたが
私はもう解放されて中継地点でみるだけになった。
★こういった整理員のボランティアが4回/年あったが楽になった。
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上毛新聞 三山春秋 コラム
▼医師の故日野原重明さんは、100歳を超えても現場に立つ生涯現役の人だった。
予防や終末期医療の普及に力を入れ、晩年は長寿社会の良き手本として振る舞った
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▼医学生時代に結核を患い、1年間の闘病生活を送った。
1970年には学会に向かう途上でよど号ハイジャック事件に遭遇し、機中に拘束された。
そうした経験から病む人の心や命の尊さに気づき、
円熟の境地から患者や社会と向き合った。
著書に〈人生にはむだというものはない〉と記す
▼2018年に92歳で亡くなった創作こけし作家、関口三作(さんさく)さんも
同じことを口にしていたという。渋川市に生まれ、
本県をこけしの一大産地に押し上げたが、紆余(うよ)曲折の人生だった
▼少年時代に東京の町工場で旋盤工として働いたが、
絵描きの夢を捨てきれなかった。
通勤途中に美術学校の前を通ると、いつも足を止めてデッサンの様子に見とれた。
独り絵筆を握り続け、終戦後は抑留されたシベリアで収容所の壁に描いた
▼木材の削り出しから絵付けまでを一手に担う腕前を備えていた。
旋盤の技術と画才のどちらが欠けても、すばらしい作品は生まれなかった
▼土産物とは一線を画し、最晩年まで美術工芸品として世に送り出した。
渋川市で今年30回目を迎えた創作こけしの全国展には当初から各地の名工が集う。
関口さんの信念を継ぐ「美術展」は市民会館で5日まで開かれている。
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白いシカ 天風録「中国新聞デジタル」のコラム
稲や野菜、果樹を食い荒らしたり森林の下草をむさぼったり…。
広島市の可部地区では近年、シカによる農作物被害が深刻さを増している。
車を見てもすぐ逃げないから交通事故も引き起こす。
これでは、白い目で見られても仕方なかろう
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▲こちらは、冷たい視線を浴びなくて済みそうだ。
可部の太田川河川敷、茂みの中にいた全身が白いシカ。
突然変異で白くなった個体は珍しく、全国でも年に1頭拝めるかどうか。
目撃者によると、神秘的だったという。
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▲奈良では、白いシカが大切にされている。
春日大社を建立した時に、神様を乗せて遠い関東からやって来たとの言い伝えがある。
確かに、幸運を連れて来てくれそうだ。
▲広島県世羅町の宇津戸地区では「地域の戦を止めた神様」として、
白いシカがあがめられてきた。
700年ほど前に、境界争いを終わらせるきっかけをつくった。
地域の守り神として、今も語り継がれているのがいい
▲手塩にかけた農作物を食べまくるから、
たとえ海の向こうでも歓迎されることはあるまい。
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では、争いを止めてくれる白いシカなら、どうだろう。
戦火が一刻も早くやむよう願っているのは、
ガザの子どもたちだけではないはずだ。