■前川さんの再審決定がでた。布川事件の流れで言えば実質無罪が決まったといってもいい。あの事件の時の実況見分調書は熊谷謄写館でコピーしているので、うちの女性事務員がその凄惨な写真に我を忘れて検察庁職員に注意されたというような話を今でも覚えているので特に印象深い。事件直後から冤罪の動きがあったが、2審の逆転無罪と、最高裁判決によって25年の前川さんの人生が風化されてしまった。
真犯人が見つかったわけでない。証拠不十分だから無罪となるのだというこのケースだからこそ、正に憲法の人権保障の局面だった。弁護士の真の勝負は2審だともいわれるが、事実審である高裁で負けたということは弁護側の力不足だったというべきかもしれない。いまどきの検察不審、再審請求のながれなくして救済の望みはなかっただろう。
刑事事件記録のコピーを弁護士に独占的に提供する熊谷謄写館は検察と弁護側の緊張感を体感すべきポジションにあった。その後、数年して福井弁護士会に無償で事業を引き渡し、熊谷謄写館を廃業することになる(どうして俺はいつでも仲間に仕事をとられるはめになるんだろう、、)。それまで検察庁はうちを利用することもあったろうが、熊谷謄写館であるオヤジが死んでから弁護士会にも謄写館の存在価値を否定する会員が増えた。僕もそれは時代のながれだと感じていたが、再審事件で検察庁の証拠開示が論点になるような時代が来るという予感はなかった。謄写館の事業の根拠となっていたのは訴訟法規則で記録閲覧はできるが謄写(コピー)はできないという小さな検察優位性であったが、それが弁護士会の仕事となっている現状では既に意味はなくなっている。
事件の起こったあの地区が防犯上評判が悪いのはあの事件のせいなのか、それとも悪評高い地区だったからあんなデッチあげが起きたのか?両方だろうが、住民の不安感を排除するために事件解決を急ぐ警察・検察に対するプレッシャーと信頼感は当然の時代だったのだろう。関係者への誘導も自然だったのかもしれない。地域住民の意識がシンナー常用者や反社会的人格者を暴力団や犯罪者と同列に社会から排斥しようとするやりかたは日本の伝統的集団安全保障の構造と同じに見える。
福井で一番犯罪発生率の低い大野でコンビ二殺人事件が起きた。犯人は県外の住所不定。詳細は知らないが現在裁判員制度の下で論告が行われた。僕は以前は陪審員制度が日本に馴染むことはないだろうと思っていたが、僕たちの師でもあった故中村人知弁護士は昔から積極的に陪審制度を推進されていたことを思い出した。その裁判員制度の中でこちらの事件は審理されている。もし前川事件が裁判員制度の下で審理されていたら、どうだったろうか?。裁判員は事実と考えをちゃんと区別して判断できただろうか?
先日の大阪市長選挙で圧勝した橋下弁護士の「劇場型」といわれた選挙戦略は正に陪審制の中で弁論を展開するアメリカの弁護士の論法を彷彿とさせるようだ。僕に言わせるとこれは劇場型テロリズムの手法で、故意に相手のリアクションを誘発することでイニシアティブをとるという極めてアメリカ的な手法に思える。そんなやり方に慣れていない日本社会だから混乱もする。社会の色々な側面でアメリカナイズが進む、というより日本はいまだにアメリカ型民主主義に相当遅れをとっている、ということだろうか?
個人的には日本憲法の最もすばらしい点は平和憲法というより、詳細な刑事人権規定とそれに基づく刑事訴訟法規だと思うのだが、いまその真価が試されているように思うほど日本のなにかは遅れている。いや、日本人のなにかが遅れている。