熊本県川柳研究協議会(熊本川柳研)

県内の川柳団体・個人会員が加入しています

県内の川柳吟社・グループの紹介 その④ 

2019-09-29 15:23:44 | 川柳一般

     ららの会  (毎月第3水曜 14:00~ 大江古庭坊集会所にて)

ららの会(第60回)を訪ねると、何やら楽しい作業の真っ最中。何やら楽しそうな声と、手作業。ららの会主催の「第5回日奈久de川柳句会」の参加賞その他、手作りの焼き物(御船の、とある窯元で会員によって造ったもの)を仕分け、袋詰めをされていた。その作業を見ていて、この会の独創性を感じた。作業が一段落して句会が始まった。

俳句の方が2名。題は、「雑詠」―― 自由律とある。投句も交えて39句リストアップされたプリントが手元に。一人3句出句。合評会。説明を避け、如何に省略を効かせるか。助詞てにをは・・・の効かせどころ。読む人に、何だろうと挑戦する。取り合わせ、また、反対も考えてみる等、吟味討論が続く。ちなみに 私のイチオシの句は、

ホースの水が生き物となる午後 の句であった。

   

                                     (以上は川柳ひのくに 第3号から)                                   

写真の作業の後日、今回で第5回目となる「日奈久de川柳句会」が開かれた。九州各県、遠くは千葉から53人が八代市日奈久観光交流施設・ゆめ倉庫に参集した。 

「九月は日奈久で山頭火」と題した日奈久地域イベントの協賛事業として当句会は始まった。放浪の俳人・山頭火が寄宿した木賃宿「おりや」が残っている日奈久で自由律の川柳の大会を続けている。自由律や短句の柳誌はみられるが、披講、呼名のある生の句会は日本では唯一ではないかと自負している。

決して川柳が自由律でなければならないと言っているのではない。伝統を重んじる柳人からは無言の助言をいただいている。しかし実際に自由律を詠み、披講されると、定型とは違った何か新しい触覚が呼び起こされるのを感じる。当初〈ららの会〉の会員の中に自由な発想の俳人が数名いたことも型にとらわれない企画ができた理由だろう。まずは行動ありきで5回目を迎えた。                      

【秀句から】

「 朱 」木本 朱夏(川柳塔編集長) 選

秀1 君を救うなら朱い嘘     石神 紅雀

秀2 それはさておき朱いドレスでいいかしら    柴田 美都

「 生 」吉岡 静生(ららの会) 選

秀1 生まれて生んで生ませて子宮    石神 紅雀

秀2 花陰に蟻の曳きたる骸    梅崎 流青

「知」加藤 知子(熊本県現代俳句協会会長) 選

秀1  恋十日それより先は風知草   山﨑 蘭草

秀2 知るも知らぬも蟻の糞    古谷龍太郎

                                              (ららの会 Y)

 

 

 


研究協議会加入の13団体と故人の川柳作家の句の紹介

2019-09-17 08:24:37 | 川柳一般

熊本県川柳研究協議会には下記の13吟社と個人が加入しています。県内あまねく川柳でつなっがています。また故人の句に学ぶところの多いこのごろです。

荒尾川柳会 玉名川柳会 田原坂川柳会 川柳噴煙吟社 熊本川柳会 出水今川柳会 川柳真風吟社 若葉川柳会 熊本番傘お茶の間川柳会 ららの会 益城川柳会 八代金剛川柳会 水俣川柳会 

 

熊本の川柳作家(故人)その①

 寿という字娘を連れていく          宮本凡器

生きていく間違い探しばかりして      寺本隆満

だまされてみたいねジャズに歩の合う日 柿山陽一

絶筆という荘厳な結がある         富安清風子

こうも似るものかと我が子抱きあげる   沢幡尺水

唐辛子十個下さい魔女の爪         宮本美致代

                                       (川柳ひのくに会報第3号から)


川柳ひのくに 第3号巻頭

2019-09-11 17:18:32 | 川柳一般

 俗気」抜きの川柳大会                    黒川 孤遊

この会の会長を引き受けたとき、真っ先に浮かんだ句が二句ある。

  太陽を真ン中にしてみんな生き   大嶋 濤明

熊本の川柳吟社の先駆けである川柳噴煙吟社を創立、発展に尽くした人である。人間の包容力の大きさを太陽というスケールで詠んだ名句といえる。そして噴煙吟社設立に加わり全日本川柳協会会長(後に名誉理事長)を務めた吉岡龍城の

  たっぷりと血を吸った蚊が飛びたてぬ    

である。穿ちが効いた句ではないか。そして龍城は川柳人の心構えを自著に残している。「二十代は遊びの、三十代は追いつき追い越せ、四十代で川柳の俗気に惹かれ、生涯の宿縁のものと知り、五十歳以降は、川柳は心を豊かにし人間愛に触れ、信頼の友を作る」

今日の川柳界を見回してみると、濤明のスケールの大きさや龍城の「人間愛に触れた」作家が何人いるのか疑問に思えてならない。賞狙いに走る七十代が多いのは「俗気」から抜け出せないからだろう。賞を巡ってあらぬ噂がまことしやかに流されたりもする。「蚊の句」をおもい出したのもそんな背景からだ。

川柳、と言ってもサラリーマン川柳、シルバー川柳など自虐、言葉遊びの川柳がもてはやされる。季語も不要。話し言葉で十七音字にまとめる手軽さがそれに拍車をかけ、川柳=笑いの図式から抜け出せずにいる。

そんな時代に賞状や楯といったものに目の色をかえる。「俗気」をそろそろ捨てようではないか。

協議会が来年二月に予定している大会は新鮮な内容で「俗気」抜きであることを明言しておきたい。                          (敬称略)   

                  

   

   画は熊本の川柳人・江上精治さん 柿山紘輝さん  川柳 ひのくに(熊本県川柳協議会 会報)第3号から