熊本県川柳研究協議会(熊本川柳研)

県内の川柳団体・個人会員が加入しています

「壺」12号(2018.4.10発行)から

2020-05-22 08:02:17 | 川柳一般

「壺」は熊本番傘お茶の間川柳会が年4回発行する柳誌です。現在20号まで発行されています。編集・発行人は黒川孤遊さん。「壺」12号からー私の川柳創世記⑦ーを転載します。真島清弘さんはこれを書かれたあと数カ月後にお亡くなりになりました。なお、原稿は縦書きで、改行による空行も原稿どおりではありません。

◆◇ 私の川柳創世記⑦  ◇◆

佐賀番傘   真島 清弘

 この度、番傘川柳本社より同人歴四十五年の永年表彰をいただいた。同人内報で知らされた時は、いつの間にこんな年月が経っていたのだろうとびっくりしてしまったが、自分の川柳の歴史のようなものをはじめから振り返ってみることにもなった。

 四十五年を単純に自分の年齢から差し引いてみると、三十一歳の時に同人になっていたことになる。番傘本誌に投句を始めたのは二十七歳の頃なので、同人になるまでは四、五年もかかっていることになる。

 一句入選のいわゆる「一句組」が何カ月も続いたりしたことなど、今では懐かしい思い出である。

 そもそも川柳を始めるきっかけになったのは、昭和四十二年の第五回佐賀県文学賞への応募で、俳句、川柳の両部門へ応募して、俳句はボツで川柳部門で二席に入選した。

 初応募でいきなりの二席入選で驚きもしたのだが、これですっかりはまってしまった。この賞の授賞式へは、結婚する前の美智子と同伴で出席した覚えがある。

 民主主義まだジャンケンは生きている

が私の入選句だったのだが、この文学賞の小説部門一席が後に農民作家といわれるようになった山下惣一さんであった。

 授賞式終了後に川柳部門の審査委員であり、当時の佐賀県文化団体協議会の会長でもあった北島醇酔先生にお礼のご挨拶に行ったのが私と番傘との最初の出会いである。

 その時、先生から「佐賀番傘の毎月の例会を自宅で開いているので遊びにきんさい」と言われたのでその気になってしまった。

 指定された日に行ってみると例会はあっておらず先生が「まあ、あがんなさい」

お宅は「〆縄」という有名な造り酒屋で五十人ほどはゆっくり入れる大広間もあり醇酔先生は、遠慮せずにのこのこ上がり込んだこの若造に二時間近くも川柳の話をしてくれた。川柳好きになる前に先生の人柄に惚れ込んでしまったと言っても過言ではない。

次の年の五月に美智子と結婚し、その後も佐賀番傘「むつごろ」の例会に一人でいそいそと出かけていたのだが、いつも一人で留守番の美智子としては面白くないようで、ついには例会へ一緒に顔を出すようになっていった。例会ではいつも私の横に座り、自分の思いを五七五にするという手ほどきを受けながら句を作るというところから始めたのである。

その頃のエピソードに、私たちが結婚しているということを言わずに句会に出席していたので兄妹に間違われたり、世話好きのおばさん作家の方からは「あなたたち早く結婚しなさいよ」と言われたりした事が思い出として残っている。

ほどなく美智子も番傘誌への投句を始め昭和四十八年には、二人とも身の回りの生活川柳から作り始めていったが、子供が生まれてからは、子供の句を作り、子連れでの川柳会参加であった。みなさんには大変可愛がっていただいて、このことが後々子供達も川柳に親しめたのだと思う。

醇酔先生からは「子育て川柳」と名付けてもらい、子供の育ちを追いつつの川柳も楽しい思い出の一つとなっている。

小児科へ夜討ちをかける熱が出る   清 弘

熱の子の額へ家族皆さわり

かけっこの兄いもうとに青い空

人参も好きにならねば母となる    美智子

幸せは夫と歌う子守歌

三つ編みの一つ一つにに母の夢

ついペンが走って、私のみならず美智子や家族の創世記になってしまったようであるが「真島ファミリー」などと呼ぶ方々もおられるので悪しからず。

生涯のリズムになった五七五     清 弘


熊本の川柳人

2020-05-09 14:45:45 | 川柳一般

熊本の川柳人 大嶋 濤明 おおしま とうめい(1890~1970)

大嶋濤明は戦後、昭和25年に熊本の川柳噴煙吟社を創立しました。戦前の活動にも注目すべき点がありますが、ここでは省くことにします。「川柳は人間修養の道場であり、宗教である」という信念を持っていました。代表句として例にあげられることの多いのは次の句です。

太陽をまん中にしてみんな生き

鉄拳の指をほどけば何もなし

敗戦後の川柳復興期にあって、心の拠りどころを求めて川柳に集う人々に大きな共感をもって受け入れられました。

しかし、次に拾った句は誰もが知っている濤明句とは違った佇まいです。身の底からふっと湧き出たような味わいの深い句や、詩の一行のような句を詠んでいたことも忘れてはなりません。人が誰しも持っている複雑で曖昧な心の機微が句を味わいの深いものにしています。(Y)

紙の雪紙の重さで落ちてくる

大声で笑う男の憎まれず

山彦は自分の声を聞き戻し

人の世と硝子一重の金魚鉢

流行に負けて中折れ棚の隅

満開をねたむがごとく宵の雨

菊人形菊の心になって立ち

砂にいる間は金も砂のうち

ぬれるだけぬれてしおれる糸柳

片足をあげて鶏所在なし 

終点へ電車もホッとしたかたち

    『大嶋濤明の川柳と言葉』吉岡龍城編(新葉館出版 平成16年2月1日初版)から