♡ 送り手と受け手の言葉
最近、気にするほどのことではないにもかかわらず、やはり気になるフレーズに出合うことがしばしばあります。その一つに「癒し」という言葉の使い方があります。本来は、病気や傷をなおす、飢えや心の悩みなどを解消する、といった文脈の中で使われるのが一般的でした。ところが最近は、癒やし空間、癒やしを体感、癒やしを感じる、そしてとうとう「癒やされてみませんか?」まで登場するようになってしまいました。癒やされるは、あくまで自分の心身の状態に対する個人の主観であるはずなのに、何故癒やされてみませんかと勧められるのか不思議でなりません。
これと似たような言葉使い方に「四度泣けます」という新刊書などのキャッチコピーをよく見かけます。4章あるいは4つの短編から成っていて、四回はあなたの涙を絞ってみせますというのでしょうか。それこそ泣こうが泣くまいが個人の感性が尊重されるべきで余計なお世話もいいところです。
こうして、情報を与える側の論理ばかりがまかり通って、受け手の主体性が軽んじられた状態は枚挙にいとまがありません。
そうかと思えば、素晴らしい成果を上げたことに関してどう思うか?との質問に「これが生き甲斐じゃないかなと思っています」などと、応える場面も散見します。送り手の厚かましさと受け手の当事者意識の希薄な言葉使いが際立つ昨今です。
戦争を勃発という無責任・・・しろ猫
ゲル状の猫ふところに国防論 Y