久留米番傘創立六十五周年記念誌上大会 のご案内
募集期間 令和五年七月一日から十月十日(消印有効) ずいぶん長い募集期間があります。
下2枚はA4サイズです。
久留米番傘創立六十五周年記念誌上大会 のご案内
募集期間 令和五年七月一日から十月十日(消印有効) ずいぶん長い募集期間があります。
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『松田京美川柳集』
なにもかも求めぬひたすら太い首になる
美しい牙もて君は男だよ
いまもむかしもライオンおまえ素敵だね
心中とはいいものだろう春の闇
屁ふり虫君には君の武器がある
したたかにほほえみばかりしてみせる
決心なんてくるくる変えていいのだよ
ラジオ体操第二がしたくなるパリだ
おわりなのかはじまりなのか目がさめる
雑念のなんて楽しい春だろう
うっかりとこの世に生れきたわたし
壊れぬように壊さぬように受話器置く
猫ふんじゃった獅子ふんじゃったアララララ
妻でいるなんてつまらぬ午後だろう
生き下手のためらい傷が深くなる
冬座敷肉も聖書も菜も喰おう
天も地もゆるんでしまう二重顎
生も死もとても重たい象の足
顔ぐいとあげてひとりだなと思う
原風景にまっ赤な口があるわたし
この川柳集が24年も前の熊本の川柳人のものということに驚く。序文は当時の噴煙吟社会長の吉岡龍城氏が書いている。きくところによると松田さんは一人で黙々と書いておられたのではなく、大会などにも参加して仲間との交流もあったという。だが、この川柳集発行の後、たった19年間の川柳活動にきっぱりと終止符をうたれた。まだ57歳の若さだった。今も熊本のどこかで川柳に関心をもって見てくださっていると信じている。
発行の翌年、熊日文学賞候補数冊の中にあげられた。川柳集が地元の文学賞候補になるのは稀有なことだった。ちょうど私が川柳を始めた年だったが残念ながらお会いする機会はなかった。
『松田京美川柳集』―噴煙叢書第十九集―
一九九九年六月発行 著者 編者 松田 京美 発行所 川柳噴煙吟社
※この本は私の師の故柿山陽一氏のものだった。青鉛筆で師のチエックの入ったもののなかから抄出した。
(いわさき楊子)
九州で女流と名の付く大会は2つあります。
ひとつは毎年2月に開催される「南日本女流川柳大会」(鹿児島)です。
もうひとつがこの「卑弥呼の里女流川柳大会」(佐賀)。今年も7月の最終日曜日に開催されます。選者さんも県外のかた数名に依頼されることが多いようです。まず各賞の商品が豪華。お昼も少し用意されています。後にはティーパーティーもあります。
昨年の第9回卑弥呼の里女流大会から
「 色 」素晴らしい色だ茶色のお弁当 真島 凉
「パワー」女子会とカボチャ切る時出すパワー 萩原奈津子
「怪しい」怪しさは欲熟す実も青い実も 河内やすこ
「 氷 」ロックアイス話相手が欲しくなる 郷田 みや
『白線の内側で』村上和巳川柳句集 を読んで
「貌」「浮世床」「季は花に」の3章から成っていますが、一貫した作者の匂いと佇まいがあります。
結局は人の評価のまま生きる
私をずばり他人が定義する
初めのほうに、生の人間関係を詠むという王道の川柳が据えてあるのですが、ところどころ、不真面目なわたしの琴線をくすぐる笑いが見うけられます。
せっかくの嘘だ明るい方にする
反論は保冷バッグで持ち帰る
あとがきを読むと大きな病気をされたことがわかります。でも、作者の前向きの生き方に救われます。
病室で氷の溶ける音を聞く
飄々と次の3句。
迷ったら無論楽しい方にする
趣味だけを書いた名刺を持っている
誰か押す降りますランプ待っている
楽しい生き方をするにはゆるい選択と少しの遠慮とゆったりとした時間をもつことですね。
現今、戦のニュースは毎日飛び込んできますが、わたしたちの意識は遠いところにあります。だが明日は知れず。戦を詠まなくてもいい日が来ることを望んでいます。「絆」は是非の分かれることばだと私も思っています。
新時代いつも異端の顔で来る
戦争の準備期間という平和
一斉に絆と言えば怖くなる
文句なく好きな次の2句。でも「繋いだ手・・・」の句は所々ひらがなにすると印象がかわるかも。
繋いだ手離す切っ掛け難しい
豆の木に登ったままの親不孝
高齢者ならではの句も次のように詠まれると納得。
どの川も三途の川の支流です
果物は美味しい場所に種がある
物事の本質が種ですね。
ページに沿って選んでいたら最後に選んだのは恋句になってしまいました。恋のドアはSNSじゃなくてやはり手動がいいですね。
恋のドアやはり今でも手動です
タイトルからもわかるように、一歩引いて物事をみている作者がいます。でも決して視線は冷たくはなく、泰然かつ寛容で飄々とした眼差しです。心でひとりごとを言いながら、めくりながら順番どおりそのままを書かせていただきました。鑑賞にはなっていませんが紹介とさせていただきます。
令和川柳選書『白線の内側で』村上和巳川柳句集 2023年3月25日初版 新葉館出版
(いわさき 楊子)
@@@@ 穿った見方 @@@
落語の「戻り井戸」という演目は、田舎の香水の源「野井戸(肥溜め)」に落ちた男が、百姓に救い出された挙げ句に酒まで振る舞われ、酔っていく様が軽妙に語られます。都会から来た男にとっては、なんとこの自然は素晴しいことだろう。その自然の中に生る田舎暮しとは、素朴で他人に対する思いやりの心があって・・、と勧められるままに酒も進んでいくのです。
しかしながら、都会の生活ってもんも便利なもんで住み易い。お互いに干渉しない生き方は粋で格好いいし刺激も多い・・、となってきます。お酒の量も進むほどに、やがて助けてくれた親切な一家は、無粋な田舎者となり、子沢山の嫁は健康だけが取柄の醜い女になってしまうのです。酒に飲まれた酔っ払いの言葉の変化が面白いし笑えるのですが、単なる笑いではなくてスパイスが利いています。
この社会風刺や人情話が落語の真骨頂であって、どこか川柳に通じるものがありますね。川柳で「穿ち」という言葉がよく強調されます。硬い岩石に孔を開けるように本質を晒け出すという意味ですが、世間ではいつしか「穿った見方」と否定的な言葉として使われることが多いですね。正確には「穿ち過ぎの見方」が正しいと物の本にありました。
今の日本、大切なモノが次々と消え変化していきます。野菜の旬や古い語彙や、それに厳しい夏の暑ささえも・・。川柳の出番かも知れませんね。
本当は笑っていないピエロの目・・・しろ猫
byしろ猫
そんなんじゃろくな蛙になれません Y