くらしデザインスタジオ@楽(^^)

住まいや街など、様々な暮らしの提案やサポートをする中で、なんとなく気になったこと…!?イロイロです。

弱いロボットの思考

2018-06-06 | 本,TV,歌,人物など

「〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション」岡田美智男著 講談社現代新書 bookclub.kodansha.co.jp/...0000210919 です。
"弱い"と"ロボット"の組み合わせに、興味を感じて購入してみました。筆者の方が関わられてきたロボットのことを書かれているのですが、ロボットに求められるところから、"コミュニケーション"の根本がテーマになっていると感じます。ロボット対人に限らず、人同士やUXのようなことまで含めて、あまり意識したことのなかった、"言葉"によらないコミュニケーションの部分というものが、とても良く感じとれます。この本を読んだ後では、福祉の分野にある"聞く"とか"共感"とかの方法本が、なんととなく形式的なモノに感じてしまったりです…。

「…『コンド、トウキョウデ、オリンピックノ、カイサイガ、キマリマシタ!』との流暢でハキハキした発話もいいけれど、なにか機械的な冷たさを感じてしまう。一方、(<トーキング・アリー>の)『あのね、こんどね、とっ、とうきょうでね』の発話は、相手の状態に配慮しているようで、とても優しく感じる。その穏やかさは、むしろ張り切りすぎていないことから生まれてくるように思う。全部、自分の中で引き受けるのではなく、どこか聞き手にそっと委ねている。相手にほんのすこし参加する余地を与えているようなのである。
 この相手の状態に配慮するとは、すこし見方を変えれば、その発話は『宛名』をともなっているということだろう。『あのね』といいつつ、こちらが振り向くのをじっと待っていてくれる。誰でもなく、自分に話しかけてもらっている、そういう志向性を感じるにつけ、なにか応答せずにはいられない。そこに応答責任を感じてしまうのである。」

「… 一緒に歩く中で、… 相手に対する適応をくりかえすなかで、その行動パターンや好みが一致してくる。そこでギクシャクとした感じも取れてくるのだ。… 自分を相手に合わせる。と同時に、相手も自分に合わせようとする。… こうした自他非分離な状態を介して、… <並ぶ関係>でのコミュニケーションを考えてみると、そのあいだになにかが存在していることに気づく。二人はなにかに向かって『並んでいる』ということなのだ。…
 わたしたちは丁寧に言葉を選ぶということはあっても、『コミュニケーションをデザインする』ことをあまり意識しない。けれどコミュニケーションのデザインを『この媒介物をデザインすること』ととらえるならどうか。そう考えると、私たちは無意識に、コミュニケーションの場やその媒介物を選んでいる、つまりデザインしているのだ。
 一緒にテニスをする、公園に散歩に出かける、一緒に映画を観る。ただ退屈だから……というだけでなく、お互いの関係に合ったコミュニケーションの様式を選んでいる。電車のなかで友だちとまだ小さかったころのことを回想するのも、その場に合った媒介物を選んでいる、そうとらえてみるとおもしろい。」と。