毎年夏にしていた旅行が、寄る年波で辛くなってきました
特に私は年を重ねるごとに暑さが苦手になり、更年期がそれに拍車をかけます
それでって訳でもないのですが、名目は「夏に行かなかったから」ちゅうことで
山口県下関市長府と山口市へ一泊でぶら~りと
長府がこんなにも、歴史に満ち溢れている街だとは知りませんでした
幕末の混乱期、長州の名を歴史に残した志士達が息づいた町だったのです
《功山寺》
元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の
菩提寺とされてからです。また、幾度となく歴史の舞台になったところで、毛利元就に
追われた大内義長が自刃した場所であり、明治維新の転機となった高杉晋作が、
奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤博文率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃
隊ら、わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもあり、境内には馬上の高杉
晋作像があり、晋作を始め幕末・維新ファンなど歴史ファンが訪れている。
広大な寺社内
珍しい石板の門
入口には門があり、扉は閉まっていました
扉の中央に中が除けるように開いていて、そこから写したものです、広い
立て札に書かれているように、あちらこちらに立てられていた墓石を集めた物のよう
です
何気に古石に刻まれている名を見て興奮しました
山本耕史さんの(ちょと違うけど)「新選組!」で石坂浩二さんが演じた人ですね
おー!高野長英
なんと「豊後関前」あたりではありませんか
その他にも、「西郷隆盛さん」など、もう幕末の志士達の名はもちろん「豊後・・」のよ
うに古~い地名が彫られた石もたくさんあり、一人興奮してしまいました
次の寺まで整備された町中を
《いみのみや神社》
西暦193年、長門国二の宮で、仲衰天皇・神宮皇后が九州の豪族熊襲を鎮
圧し西国平定の折り、ここに仮皇居として豊浦宮を建て西暦200年までの
7年間滞在したと言われています
土塀が昔のまま連なる一角
《毛利邸》お城の如くすごいです
《現在のサビエル記念聖堂とサビエル像》
ずいぶん前になりますが、会社の同僚達と訪れたときは消失する前の昔のままの教
会でした
ステンドグラスの美しさと、荘厳な雰囲気に、言葉もなく時間が経つのも忘れて、礼
拝のいすに座り続けたものでした
私達が訪れて1年もたたないころ、ニュースで火事を知り、あまりのことに驚き言葉
がありませんでした
この写真のように、別物に生まれ変わり、中に入ってみましたが、すぐ出ました
同僚達との楽しかった旅、その中にある「サビエル聖堂」の思い出を大切にすること
にしました
《山口大神社》
永正17年(1520)大内氏30代義興が勅許を得て伊勢神宮から分霊を勧請して創建し
た。社殿は、伊勢神宮と同様な形式の神明造であり、当時伊勢の神霊をむかえた神
社は、この大神宮だけであったので、お伊勢信仰の盛んであった江戸時代には、西
のお伊勢様といわれ、多くの参拝客があったといわれている。
私達がお邪魔した2~3の神社は年末年始の準備を家族総出でしていて、見向きも
されませんでした
お参りしたのですが、なんだかありがたくなかったですね(お忙しいところ、すんませぇ~ん)
道の駅で《自然薯》を売ってました、約1mぐらいでしようか
細くて長いので、竹が添え木されていました
普通の山芋と全然粘りが違いますので、団子にして鍋で食べました
美味でした
ちょっとだけのぞいただけの旅行でしたが、素敵な町でした。
私も旅行したいなぁ~
素敵な街ですね
歴史に触れると、なぜか心が落ち着きます
又おいでください
お待ちしています