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年末の小旅行

2010-01-12 19:59:14 | 旅行

毎年夏にしていた旅行が、寄る年波で辛くなってきました

特に私は年を重ねるごとに暑さが苦手になり、更年期がそれに拍車をかけます

それでって訳でもないのですが、名目は「夏に行かなかったから」ちゅうことで

山口県下関市長府と山口市へ一泊でぶら~りと

長府がこんなにも、歴史に満ち溢れている街だとは知りませんでした

幕末の混乱期、長州の名を歴史に残した志士達が息づいた町だったのです

《功山寺》

元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の

菩提寺とされてからです。また、幾度となく歴史の舞台になったところで、毛利元就に

追われた大内義長が自刃した場所であり、明治維新の転機となった高杉晋作が、

奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤博文率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃

隊ら、わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもあり、境内には馬上の高杉

晋作像があり、晋作を始め幕末・維新ファンなど歴史ファンが訪れている。

広大な寺社内

珍しい石板の門

 

入口には門があり、扉は閉まっていました

扉の中央に中が除けるように開いていて、そこから写したものです、広い

 

立て札に書かれているように、あちらこちらに立てられていた墓石を集めた物のよう

です

何気に古石に刻まれている名を見て興奮しました

山本耕史さんの(ちょと違うけど)「新選組!」で石坂浩二さんが演じた人ですね

おー!高野長英

なんと「豊後関前」あたりではありませんか

その他にも、「西郷隆盛さん」など、もう幕末の志士達の名はもちろん「豊後・・」のよ

うに古~い地名が彫られた石もたくさんあり、一人興奮してしまいました

次の寺まで整備された町中を

  

《いみのみや神社》

西暦193年、長門国二の宮で、仲衰天皇・神宮皇后が九州の豪族熊襲を鎮

圧し西国平定の折り、ここに仮皇居として豊浦宮を建て西暦200年までの

7年間滞在したと言われています

土塀が昔のまま連なる一角

《毛利邸》お城の如くすごいです

  

《現在のサビエル記念聖堂とサビエル像》

ずいぶん前になりますが、会社の同僚達と訪れたときは消失する前の昔のままの教

会でした

ステンドグラスの美しさと、荘厳な雰囲気に、言葉もなく時間が経つのも忘れて、礼

拝のいすに座り続けたものでした

私達が訪れて1年もたたないころ、ニュースで火事を知り、あまりのことに驚き言葉

がありませんでした

この写真のように、別物に生まれ変わり、中に入ってみましたが、すぐ出ました

同僚達との楽しかった旅、その中にある「サビエル聖堂」の思い出を大切にすること

にしました

《山口大神社》

永正17年(1520)大内氏30代義興が勅許を得て伊勢神宮から分霊を勧請して創建し

た。社殿は、伊勢神宮と同様な形式の神明造であり、当時伊勢の神霊をむかえた神

社は、この大神宮だけであったので、お伊勢信仰の盛んであった江戸時代には、西

のお伊勢様といわれ、多くの参拝客があったといわれている。

私達がお邪魔した2~3の神社は年末年始の準備を家族総出でしていて、見向きも

されませんでした

お参りしたのですが、なんだかありがたくなかったですね(お忙しいところ、すんませぇ~ん

道の駅で《自然薯》を売ってました、約1mぐらいでしようか

細くて長いので、竹が添え木されていました

普通の山芋と全然粘りが違いますので、団子にして鍋で食べました

美味でした

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (ケセラセラ子)
2010-01-13 14:46:02
昨年の2月に行った広島方面へ旅行へ行ったとき、山口は「萩城下町」「松陰神社」へ行きました。場所はちょっと? だいぶ違うんでしょうね(笑)
ちょっとだけのぞいただけの旅行でしたが、素敵な町でした。
私も旅行したいなぁ~
返信する
ケセラセラ子さんへ (キャサリン)
2010-01-13 16:13:40
私も「萩」は好きです
素敵な街ですね
歴史に触れると、なぜか心が落ち着きます
又おいでください
お待ちしています
返信する

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