「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。
銀座で飲むのは
何年ぶりかなぁ。
札幌で生まれ
札幌で育った私は
東京に憧れて
東京に就職した。
花の都・大東京♬
その後の転勤で
憧れの東京には
3年くらいしか
居られなかった。
その時は
ちょっとクサったけど
いまとなっては
その後の東北勤めが
とても身になったように思う。
人生は糾える縄の如し。

決して逆境を
嘆いてはいけない。
そして、その後
北海道へ戻ることと
なった私は「三男坊」。
そんな私がこの会社を
経営することになろうとは
そのとき夢にも思わなかった。kyokukenzo
札幌の夏の風物詩。
大通公園のビアガーデン。
今年久しぶりに開催です。

席数を減らしたり
予約制を導入したり
入退場時の体温チェック
マスク着用などの対策実施。
窓越しの乾杯では会話も遠い。
やや盛り上がりに欠けるのは

やむを得ないところか。
そのあと、こちらも久しぶり

すすきの祭りを冷やかした。kyoukenzo
羽田空港
第1ターミナルの
ビアホールにて。
フライトまでの
限られた時間で
飲むのが楽しい。
特に今日は
H井さんM宅さんが
わざわざお見送り
して下さるので
話が弾んで余計楽しい。
スパゲティナポリタン。

トッピングはダブルで。
Xさん食欲があるねー。
フライトまでの
限られた時間で
飲むのは楽しいけど
その後の時間が
押せ押せになるのは
覚悟しなければなりません。kyokukenzo
ちょっくら出掛けます。

久しぶりのひとり旅です。
連日の猛暑。
今日は相当な暑さを

覚悟してきましたが
浜風が涼やかで
札幌のほうが暑いくらい。

港が見えるテラスで

ビールが進みます。kyokukenzo
上京して
恵比寿に宿を取った。
恵比寿ガーデンプレイス。

ヱビスビールを製造した
日本麦酒醸造会社
(現サッポロビール)
工場がかつてここにあった。
1901年。
工場に隣接する山手線に
出荷専用貨物駅が開設。
「恵比寿駅」と命名。

その後、工場周辺を
「ゑびす」と呼ぶようになり
駅周辺も「恵比寿」となった。
駅前の恵比寿神社は、
戦後に成立したものである。
(ウィキペディアより)
つまり
ヱビスの街で作ったから
ヱビスビールなのでなく
ヱビスビールを作ったから
ヱビスの街になったのです。
恵比寿。
いま日本で
「住みたい街」ナンバーワン。
ちなみに
恵比寿のローマ字表記は
ビールでは「YEBISU」。
駅の名では「EBISU」である。kyokukenzo
久々の
世界ツリー。
社内居酒屋に客人来たる。
久しぶりに
よく飲みよく語った。

酔いが回って興が高じて・・・
一卓かこむことに。

まん延防止期間中につき
もちろんマスクは着用で。
「リーチ」「ロン」など
会話は最低限にとどめる。
黙雀。
黙々と牌を積もり
黙々と牌を切り
黙々と高めを上がり
黙々と安めをふる。笑。
勝った勝ったと
気が付いたらこんな時間だ。

しんしんと
雪降る道をかえります。
ハハハー。
これだけ降ったら
あとはもう融けるだけだよ。
翌朝。起きたら

眼鏡が大変なことに
なってたんだけど
この辺の情報は黙々と。kyokukenzo
丸くなるな、★星になれ。
サッポロ生ビール黒ラベルが
2月製造分からリニューアル。
誕生から45周年を迎える
ロングセラー商品が
どのように進化したのか。

まずは飲んで確かめるべし。
(お酒は20歳になってから)kyokukenzo
遠い所へ行きたい
どこか遠い所へ
あの空の彼方へ
行きたいな
名前も知らない街と
名前も知らない人
あの空の彼方の
どこかまで
行ってみたいな♬

ひさしぶりに
遠い所へいってきます。
少し元気になれるかな♫ kyokukenzo
最愛の人を失くしたYさん。
まだ若いのに。
私は斎場に駆けつけ
彼の掌をにぎりしめた。。
日ごろの愛妻ぶりを
よく知っているから
私も泣ける。
かける言葉がなかった。
数日して
当社を訪ねてくれたYさん。
参列のお礼を言いたいと。
大変でしたね。
少し飲みましょうか。
その後

弔いの酒は8時間続いた。
ほんの一瞬だったけど
Yさんの
笑顔が見られてホッとした。kyokukenzo
社内居酒屋。
最近のイチオシは
「
濃いめのレモンサワー」。
そのために「
新兵器」
「高速製氷機」も用意した。
「濃いめ」だから
氷で割るとスッキリ美味しい。
美味しいので
車内居酒屋でも。kyokukenzo