あるサイト記事で、日本の学生諸氏の講義中の居眠りが多いという話があったので、ちょっと語ってみたい。。
学生離れて久しいですが、確かに「居眠り」は常習的な所あったなぁと特に学生時代後期より末期までの間ではと思う所。
やかましくされるよりも眠って頂いて方が良い、という教諭も居れば、私の講義で寝るなんぞ許さん、という教諭もあり、温度差は結構あったなぁという印象がある。
学生後期の頃は、マイナーな講義程、眠りにつく諸氏が多かったような気がするが、語り手の教諭も半ば諦めかけていた雰囲気もあったように思う。故に、時にかなりローカルな話(子供の話など)をし出して、へえ~そうなんだなぁ…という感じでおもしろくもあったり、やけに演出がかった口調で喋る教諭もいて個性に富んでいた面があった。学生後期の学年主任のガッチガッチで恐れられていた教諭が落語風やら時代劇風やらな口調で歴史の講義をして、笑った記憶がある。馬鹿にするな、と怒られるかと思ったがそんな事はなく驚いた。
語り手の教諭人諸氏達もアレコレ工夫して、学生諸氏が眠らないやり方をとっていたようだが、なかなか届かなかったようだ。
毎回毎度同じ話ばかりしてはツマラナイ、と言って、流行遅れのギャグも織り交ぜられる程のベテラン教諭もいたりしたが、それでも効果は薄かったようだ。
そんな講義とは関係ない余談で楽しんでしまった面もある私なので、勉強は出来ない口であったが、印象に残っている事は幾つかあって、講義の本論はよく解らなくて、身に着かなかったけれど、そんな半ば面白可笑しく余談も織り交ぜた講義が出来るベテラン教諭人はまだ居るのだろうか?
学習意欲は、やはり、偏差値の高い名門校では今も高いと私は信じたいが、それだけ学校に行く事が日本は当たり前になっていて、何とか卒業出来てしまう現実がそこにあるからこそ、講義中に眠ってしまうのかなと思ってしまう。ある意味馬鹿にされてしまっている事は違いない。
学生離れて久しいですが、確かに「居眠り」は常習的な所あったなぁと特に学生時代後期より末期までの間ではと思う所。
やかましくされるよりも眠って頂いて方が良い、という教諭も居れば、私の講義で寝るなんぞ許さん、という教諭もあり、温度差は結構あったなぁという印象がある。
学生後期の頃は、マイナーな講義程、眠りにつく諸氏が多かったような気がするが、語り手の教諭も半ば諦めかけていた雰囲気もあったように思う。故に、時にかなりローカルな話(子供の話など)をし出して、へえ~そうなんだなぁ…という感じでおもしろくもあったり、やけに演出がかった口調で喋る教諭もいて個性に富んでいた面があった。学生後期の学年主任のガッチガッチで恐れられていた教諭が落語風やら時代劇風やらな口調で歴史の講義をして、笑った記憶がある。馬鹿にするな、と怒られるかと思ったがそんな事はなく驚いた。
語り手の教諭人諸氏達もアレコレ工夫して、学生諸氏が眠らないやり方をとっていたようだが、なかなか届かなかったようだ。
毎回毎度同じ話ばかりしてはツマラナイ、と言って、流行遅れのギャグも織り交ぜられる程のベテラン教諭もいたりしたが、それでも効果は薄かったようだ。
そんな講義とは関係ない余談で楽しんでしまった面もある私なので、勉強は出来ない口であったが、印象に残っている事は幾つかあって、講義の本論はよく解らなくて、身に着かなかったけれど、そんな半ば面白可笑しく余談も織り交ぜた講義が出来るベテラン教諭人はまだ居るのだろうか?
学習意欲は、やはり、偏差値の高い名門校では今も高いと私は信じたいが、それだけ学校に行く事が日本は当たり前になっていて、何とか卒業出来てしまう現実がそこにあるからこそ、講義中に眠ってしまうのかなと思ってしまう。ある意味馬鹿にされてしまっている事は違いない。