この作品も今週で最終話を迎えるが、その前に、気になったシーンがあったので、取り上げたい。
この仲良さげな感じの二人はかつて親友であったと言う設定なのだが、↓
↑何の理由かは忘れたが「絶交」をしたと言う。意見的対立からなのかなんだったか思い出せないけれど、そうしてみて彼らはどんな風に感じて来たのかは定かではない。この場面は再会のシーンでもあったりするのだ。
絶交。
私は、「お前とは絶交だ」と言う言葉を言ったかどうかは忘れたが、幼い頃にたぶん言っていそうな気がする。なんかカッコイイと思ったような記憶がある「絶交」と言う2文字。
無言の絶交はこれまで何度かやって来たが逆に無言の絶交をされたこともある。或いは、絶交されて当たり前の事なら何度も仕出かしたように思う。
記憶に新しい私からの無言の絶交は、以前も話したが、突然の音信不通である。携帯電話が発達した中、予告と事後通告なきメールアドレス変更、着信拒否。SNSの退会もあったし、SNS上の予告なき突然の友人繋がりの断絶もあった。それらの殆どが、私の個人的な事情によるもので、すべてのせきは私にあり、その点においては非難をされても言い訳の仕様がない。
もう12、13年前だろうか?携帯電話をもっていて、予告も事後通告もない突然の音信途絶として、メールアドレスの変更を数回に渡り行ったのは記憶に新しい。だが、別段何も起こらず、ただ空しさだけがただようと言う当たり前の結果になったのは言うまでもない。そして、更に月日が経過したある時は、メールアドレスの変更と共に着信拒否もし、完全に音信途絶と言う手段に打って出たのも記憶に新しい。しかしこれとて大した問題にはならず、空しさだけがただようばかりだったが、後悔はない。
14、5年前から10年位前までは、親しいとは言えなくても、親交がある知人が数人居たが、そこまで深い付き合いではなかったのであろうとその時判断したのか、私はそんな突然の音信途絶に打って出たのだ。着信は殆どなく、メールも大してなく、これで携帯もっている意味あるの?とさえ思ったこともあった。勿論、時期によっては何人かにはメールアドレスの変更の話をしたこともあるし、着信拒否もしかりであった。とは言え、そんな「絶交」は今日に至るまでエスカレートしひとりとなったのは言うまでもないが、別段それに伴う影響は殆どなかったようで、所詮、私なんてそんなもんだった、と思うばかりであった。
己を知らないで、変に人付き合いを求めるからそうなったんだよな、と言うのは今だから言える話で、絶交に音信途絶をすることで相手への負担を軽くすることが出来たかなと思う。私なんぞは居ても居なくても大して変わらない付き合う価値もないものなんだと良い意味で己を知る良い機会になったな、と思う。相手もそこまでその事には影響もなく、今は私よりも幸せな日々をきっと生きていると私は信じているしそうあって欲しい。
この仲良さげな感じの二人はかつて親友であったと言う設定なのだが、↓


絶交。
私は、「お前とは絶交だ」と言う言葉を言ったかどうかは忘れたが、幼い頃にたぶん言っていそうな気がする。なんかカッコイイと思ったような記憶がある「絶交」と言う2文字。
無言の絶交はこれまで何度かやって来たが逆に無言の絶交をされたこともある。或いは、絶交されて当たり前の事なら何度も仕出かしたように思う。
記憶に新しい私からの無言の絶交は、以前も話したが、突然の音信不通である。携帯電話が発達した中、予告と事後通告なきメールアドレス変更、着信拒否。SNSの退会もあったし、SNS上の予告なき突然の友人繋がりの断絶もあった。それらの殆どが、私の個人的な事情によるもので、すべてのせきは私にあり、その点においては非難をされても言い訳の仕様がない。
もう12、13年前だろうか?携帯電話をもっていて、予告も事後通告もない突然の音信途絶として、メールアドレスの変更を数回に渡り行ったのは記憶に新しい。だが、別段何も起こらず、ただ空しさだけがただようと言う当たり前の結果になったのは言うまでもない。そして、更に月日が経過したある時は、メールアドレスの変更と共に着信拒否もし、完全に音信途絶と言う手段に打って出たのも記憶に新しい。しかしこれとて大した問題にはならず、空しさだけがただようばかりだったが、後悔はない。
14、5年前から10年位前までは、親しいとは言えなくても、親交がある知人が数人居たが、そこまで深い付き合いではなかったのであろうとその時判断したのか、私はそんな突然の音信途絶に打って出たのだ。着信は殆どなく、メールも大してなく、これで携帯もっている意味あるの?とさえ思ったこともあった。勿論、時期によっては何人かにはメールアドレスの変更の話をしたこともあるし、着信拒否もしかりであった。とは言え、そんな「絶交」は今日に至るまでエスカレートしひとりとなったのは言うまでもないが、別段それに伴う影響は殆どなかったようで、所詮、私なんてそんなもんだった、と思うばかりであった。
己を知らないで、変に人付き合いを求めるからそうなったんだよな、と言うのは今だから言える話で、絶交に音信途絶をすることで相手への負担を軽くすることが出来たかなと思う。私なんぞは居ても居なくても大して変わらない付き合う価値もないものなんだと良い意味で己を知る良い機会になったな、と思う。相手もそこまでその事には影響もなく、今は私よりも幸せな日々をきっと生きていると私は信じているしそうあって欲しい。