読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第60巻 1960年代後期10

2008-05-25 22:16:10 | 読んだ
1.バラが咲いた/マイク真木 1966年7月

初めて聴いたとき「なんて簡単な歌なんだろう」と思った。
そして、穢れのないきれいな歌、というイメージである。

作詞・作曲は浜口庫之助である。
この人の歌は「繰り返し」が多い。(吉幾三もであるが)

で、この曲も繰り返しが多いのであるが、その繰り返しがナントモ言えずいいのである。
つまり、しつこくなく心に響くのである。

2.小さなスナック/パープル・シャドウズ 1968年3月

ジャンルでいえばグループサウンズだった。

グループサウンズの末期は「汚い」(長髪)とか「絶叫」(シャウト)といったカンジで、当時田舎の小学生にはとても素直に受け入れがたいものであった。

そんな時、このパープル・シャドウズやヴィレッジ・シンガーズは、キレイで割りと素直に受け入れられたような気がする。
もう少し年数を経ると、社会一般的(特に親)には眉を顰めるものに傾倒していくのであるが、小学生ではまだまだそうではなかったのである。

とはいえ、この「小さなスナック」は大人の歌というイメージで、なんだか不思議な歌だった。
なんだかよくわからない理由で何もいわずに「彼氏」の前からいなくなるという世界はよく理解できないのである。(これは今でも同じである)

歌詞はそうであってもメロディーがきれいで頭の中に素直に入ってくるのであった。

3.さよならは云わないで/モダン・フォーク・フェローズ 1969年6月

初めて聴いた。
いわゆる「カレッジ・フォーク」である。
フォークソング初期の「キレイ」さが出ている歌である。

感想としては
「はあ、さようでございますか」
というカンジ。

4.大・ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄/高田渡 1969年4月

この歌もはじめて聴いた。
当時の状況をよく知っている、そして事件の行方をみんなで追っているときには、「そうだよなあ」と思って聴くとは思うのであるが、事件が風化してしまうと、歌も風化してしまう。

それにしてもあの3億円事件は、当時の若い人たちには「カッコイイ」と移っていたのであろうか。義賊というイメージも片一方にはあったようだからねえ。

5.想い出の赤いヤッケ/高石友也 1967年3月

この歌はよくラジオから流れてきた。
心に響く歌詞とメロディーである。

最後の
「けど もう あえぬ」
という部分がなんともいえずさびしい気持ちにさせられるのであった。

今まで聞いたのはライブ版で、観客も一緒に歌っていたが、そうでないのははじめてである。ライブのほうが感情がこもってていいかもしれない。

6.友よ/岡林信康、高石友也、フォーク・キャンパーズ

岡林信康という名前を知り、歌を聴くようになったときには、すでに彼は「フォークソングの神様」であった。
だから、ラジオから彼の歌が流れてくると、なんとなく「畏まって聴く」というカンジであった。

別に居住まいを正して聴いたわけではないのであるが、心の中では「畏まって」板のである。

その気持ちは今でも続いている。
昨年10月、日比谷野外音楽堂のライブコンサートをNHKBSで放映されたとき、本人としては変わった自分を表現したかったのであろうが、やっぱり岡林信康は「畏れ多き」としか思えず「拝聴」している気分だったのである。

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