紀元361年、ユリアヌスはついに皇帝になる。
文庫本の帯には
キリスト教国教化に抵抗する若き皇帝の孤独な闘い
とある。
ユリアヌスは、前皇帝のコンスタンティウスに抵抗したとみなされた。
それは、彼が副帝として派遣されたガリアの地で将兵の心をつかみ蛮族との戦いに勝利を重ねたからである。
コンスタンティウスはユリウス討伐に向かう途中で病死する。
コンスタンティウスとの決戦に挑むべき東進していたユリウスは、決戦すべき相手の死によって皇帝となった。
皇帝となったユリウスは次々と改革を行う。
例えば、肥大化した官僚組織のリストラ。
それは彼が皇宮に勤める理髪師を呼んだときに一団の理髪師たちが現れたのが要因となった。
著者言う
「官僚機構は、放っておくだけで肥大化する。それは彼らが自己保存を最優先するから。
そして、官僚機構の改革は、強制して服従させる力を持った権力者にしかやれないことである。」
と。
権力者となったユリアヌスは、官僚機構の改革を行い、更には前皇帝、前々皇帝が進めてきた、キリスト教の不況発展の政策も改革する。
それは、昔のローマ帝国、つまり強くたくましかったローマ帝国へ戻る政策であった。
その昔のローマ帝国の素晴らしさを知っている著者にとっては、非常に好ましい皇帝であるようだ。
本書では「神」について語られることが多い。
ローマ帝国が強くそして大きく広がったのは「多神教」であり、多くのつまり「敵」であったものの神をも認めたことにあるという。
そして、権力を人間に委託する或いは剥奪するのは人間である、というのがローマ帝国伝統の考え方であった。
それが、一神教のキリスト教では、すべて「神意」である、つまり皇帝として権力を委託したのは「神」であるという考えかた、であるなら神意を告げる司教をとりこめば永遠に権力者であり続け政局は安定する、という考え方を持ったのがコンスタンティヌス、コンスタンティウスであり、その考え方が帝国内に広がった。
それをユリアヌスが否定したのである。
いかにも正統的な考えかたが、その時代に受け容れられないことがある。
そして、後世から見ると疑問符がつくものが熱狂的に受け容れられることがある。
著者は
宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか、と思う。
とし
前略、「背教者」という蔑称は、実に深い意味のこもった通称とさえも思えてくる。もしかしたら、31歳で死んだこの反逆者に与えられた、最も輝かしい贈り名であるかもしれない。
と、悼んでいる。
ユリアヌスは、ペルシアとの闘いに臨むが、途中からやることなすこと逆目にでる。
いつの世も、また洋の東西に関わらず、こんなときが英雄に訪れる。
そして、その苦難を乗り切ったものが真の英雄となる。
ユリアヌスは失敗した。
それは、彼の改革が多くの人の心に沁みこんでいなかったからだろうと思う。
読み終えて寂しくなった。こういうことは39巻にして初めてである。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
文庫本の帯には
キリスト教国教化に抵抗する若き皇帝の孤独な闘い
とある。
ユリアヌスは、前皇帝のコンスタンティウスに抵抗したとみなされた。
それは、彼が副帝として派遣されたガリアの地で将兵の心をつかみ蛮族との戦いに勝利を重ねたからである。
コンスタンティウスはユリウス討伐に向かう途中で病死する。
コンスタンティウスとの決戦に挑むべき東進していたユリウスは、決戦すべき相手の死によって皇帝となった。
皇帝となったユリウスは次々と改革を行う。
例えば、肥大化した官僚組織のリストラ。
それは彼が皇宮に勤める理髪師を呼んだときに一団の理髪師たちが現れたのが要因となった。
著者言う
「官僚機構は、放っておくだけで肥大化する。それは彼らが自己保存を最優先するから。
そして、官僚機構の改革は、強制して服従させる力を持った権力者にしかやれないことである。」
と。
権力者となったユリアヌスは、官僚機構の改革を行い、更には前皇帝、前々皇帝が進めてきた、キリスト教の不況発展の政策も改革する。
それは、昔のローマ帝国、つまり強くたくましかったローマ帝国へ戻る政策であった。
その昔のローマ帝国の素晴らしさを知っている著者にとっては、非常に好ましい皇帝であるようだ。
本書では「神」について語られることが多い。
ローマ帝国が強くそして大きく広がったのは「多神教」であり、多くのつまり「敵」であったものの神をも認めたことにあるという。
そして、権力を人間に委託する或いは剥奪するのは人間である、というのがローマ帝国伝統の考え方であった。
それが、一神教のキリスト教では、すべて「神意」である、つまり皇帝として権力を委託したのは「神」であるという考えかた、であるなら神意を告げる司教をとりこめば永遠に権力者であり続け政局は安定する、という考え方を持ったのがコンスタンティヌス、コンスタンティウスであり、その考え方が帝国内に広がった。
それをユリアヌスが否定したのである。
いかにも正統的な考えかたが、その時代に受け容れられないことがある。
そして、後世から見ると疑問符がつくものが熱狂的に受け容れられることがある。
著者は
宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか、と思う。
とし
前略、「背教者」という蔑称は、実に深い意味のこもった通称とさえも思えてくる。もしかしたら、31歳で死んだこの反逆者に与えられた、最も輝かしい贈り名であるかもしれない。
と、悼んでいる。
ユリアヌスは、ペルシアとの闘いに臨むが、途中からやることなすこと逆目にでる。
いつの世も、また洋の東西に関わらず、こんなときが英雄に訪れる。
そして、その苦難を乗り切ったものが真の英雄となる。
ユリアヌスは失敗した。
それは、彼の改革が多くの人の心に沁みこんでいなかったからだろうと思う。
読み終えて寂しくなった。こういうことは39巻にして初めてである。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。