今日のパムッカレ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
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まず、初めに、
特にトルコ情報ブログの皆さんにご迷惑おかけしましたことを
お詫び申し上げます。
私のために、皆さん、更新を自粛しないでくださいね。
どうか、これまで通り、明るい、為になる、そしてムカつくトルコの話題を
提供してくださいませ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
私は英語とトルコ語の日々を送っています。
なので、どうしても、日本語で気持ちを吐露する場所が必要だったのです。
私、これまで、身近な人の死って、94歳で逝去した祖母しか経験したことが無かったので
押し潰されそうな気持ちをどうしたらいいのか分からなかったのです。
だいぶ元気になりましたよ。
家族の間でも笑い声が聞こえるようになりました。
私もときどき笑っています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
あっという間の一週間でした。
早かった。
イサの笑顔を思い出すと同時に、死んだ顔も浮かぶんです。
それが辛い。だって、イサは死ぬことを口にするとものすごい剣幕で
怒りました。オレは死なない!いっぱいやりたいことがあるのだから、と。
私は本当に幸せでした。これまで、私たちにいろんなことが
降りかかって来たけれど、毎回克服し、いつも神様に守られていると
安心しきっていました。
だって、イサ(イーサ)という名前は英名でイエスキリストだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a1/c48c9141cd1812973f01d2ec13363a8e.jpg)
夫が急死し、興奮していたせいか
殆ど眠れませんでした。
同じパムッカレに住む日本人嫁のアヤさんが
心配そうに私を何度も訪ねてくれました。
彼女が私に
『愛する人を亡くした人への100の言葉』を読んでみるように薦めてくれました。
100も読むんかい、面倒だなあ・・・と
思っていたら、いやいや、夢中で読んでしまいました。
30ほど読んだところで、すーっと睡魔に襲われました。
そして、数十分だか初めて深い眠りについたのでした。
5年ほど前に手術をする際に全身麻酔を施されたわけですが、
初めての手術で恐怖の中、麻酔が打たれると同時にすーっと
眠りに入った、あのときと同じような感覚でした。
あまりにも的を得た言葉で、
自責の念で苦しんでいた私を楽にしてくれたのです。
家族たちは、
絶え間なくやってくる弔問客を兄弟姉妹嫁全員一丸となって
迎えていました。
甥っ子たちの結婚式でも全員が集ったことが無かったのに。
私はというと、家族ががあたふたと接客に追われている中、
自分の家に戻ったり、食堂で働いたりと、勝手にさせてもらえました。
食堂は1週間は閉めるようにと言われていましたが、
(がめついと思われるから)食堂の裏に住んでいる義父母を
訪問する弔問客が義父母の家の玄関が分かりにくいので
食堂から入って来てもらうために、食堂の門は開けておいたのです。
ついでにツーリストも入って来て、
私は食堂を営業することに決めたのです。
何か自分を紛らわせてくれるものが必要だったから。
偶然なのか、ここのところ、以前に来てくれたお客さん(遠方に住むトルコ人や
トルコ国内在住外国人)がやってくるのです。
もちろん、イサの訃報なんて知りません。
トルコ人ツーリストもやってきて、
弔問客なのか食堂のお客さんなのか
分からなくなったときもあり、
一度、弔問客だと間違えて、義父母の家に通そうとして
しまったことがありました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
家族はとても故人の妻とは思えない私の行動、やることをすべて黙認してくれました。
一人でいたいときは一人にさせてくれ、私が泣いていると、絶え間なく優しい言葉をかけてくれ、抱きしめてくれます。
近所の人とのわだかまりも解消されました。
あの基地外婆さんとも仲直りです。私を抱きしめ、一緒に泣いてくれました。
敵対していた競合相手からもお悔やみの言葉をいただき、握手を交わしました。
みんなみんなと仲直り、人間、死ななきゃ、直らないというのはこういうこと?
人は辛い思いをすると、人に優しくなれるとはこのことかな?
人を憎むことのなんと愚かなこと、無駄な時間を過ごしてしまいました。
こんな穏やかな優しい気持になったのは、何年ぶりかな?
もしかしたら生まれて初めてかも。
義母が『あなたはイサの贈り物』と言ってくれました。
異教徒で孫を見せてあげられなかった私のことを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c9/5642630396c2e6b5522a670a2c72b8f6.jpg)
このブログ、ケントとエフェスの成長日記だったのに、
オヤジとの思い出日記になっちゃったよ。バカヤロー![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ikari.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
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まず、初めに、
特にトルコ情報ブログの皆さんにご迷惑おかけしましたことを
お詫び申し上げます。
私のために、皆さん、更新を自粛しないでくださいね。
どうか、これまで通り、明るい、為になる、そしてムカつくトルコの話題を
提供してくださいませ。
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私は英語とトルコ語の日々を送っています。
なので、どうしても、日本語で気持ちを吐露する場所が必要だったのです。
私、これまで、身近な人の死って、94歳で逝去した祖母しか経験したことが無かったので
押し潰されそうな気持ちをどうしたらいいのか分からなかったのです。
だいぶ元気になりましたよ。
家族の間でも笑い声が聞こえるようになりました。
私もときどき笑っています。
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あっという間の一週間でした。
早かった。
イサの笑顔を思い出すと同時に、死んだ顔も浮かぶんです。
それが辛い。だって、イサは死ぬことを口にするとものすごい剣幕で
怒りました。オレは死なない!いっぱいやりたいことがあるのだから、と。
私は本当に幸せでした。これまで、私たちにいろんなことが
降りかかって来たけれど、毎回克服し、いつも神様に守られていると
安心しきっていました。
だって、イサ(イーサ)という名前は英名でイエスキリストだから。
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夫が急死し、興奮していたせいか
殆ど眠れませんでした。
同じパムッカレに住む日本人嫁のアヤさんが
心配そうに私を何度も訪ねてくれました。
彼女が私に
『愛する人を亡くした人への100の言葉』を読んでみるように薦めてくれました。
100も読むんかい、面倒だなあ・・・と
思っていたら、いやいや、夢中で読んでしまいました。
30ほど読んだところで、すーっと睡魔に襲われました。
そして、数十分だか初めて深い眠りについたのでした。
5年ほど前に手術をする際に全身麻酔を施されたわけですが、
初めての手術で恐怖の中、麻酔が打たれると同時にすーっと
眠りに入った、あのときと同じような感覚でした。
あまりにも的を得た言葉で、
自責の念で苦しんでいた私を楽にしてくれたのです。
家族たちは、
絶え間なくやってくる弔問客を兄弟姉妹嫁全員一丸となって
迎えていました。
甥っ子たちの結婚式でも全員が集ったことが無かったのに。
私はというと、家族ががあたふたと接客に追われている中、
自分の家に戻ったり、食堂で働いたりと、勝手にさせてもらえました。
食堂は1週間は閉めるようにと言われていましたが、
(がめついと思われるから)食堂の裏に住んでいる義父母を
訪問する弔問客が義父母の家の玄関が分かりにくいので
食堂から入って来てもらうために、食堂の門は開けておいたのです。
ついでにツーリストも入って来て、
私は食堂を営業することに決めたのです。
何か自分を紛らわせてくれるものが必要だったから。
偶然なのか、ここのところ、以前に来てくれたお客さん(遠方に住むトルコ人や
トルコ国内在住外国人)がやってくるのです。
もちろん、イサの訃報なんて知りません。
トルコ人ツーリストもやってきて、
弔問客なのか食堂のお客さんなのか
分からなくなったときもあり、
一度、弔問客だと間違えて、義父母の家に通そうとして
しまったことがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
家族はとても故人の妻とは思えない私の行動、やることをすべて黙認してくれました。
一人でいたいときは一人にさせてくれ、私が泣いていると、絶え間なく優しい言葉をかけてくれ、抱きしめてくれます。
近所の人とのわだかまりも解消されました。
あの基地外婆さんとも仲直りです。私を抱きしめ、一緒に泣いてくれました。
敵対していた競合相手からもお悔やみの言葉をいただき、握手を交わしました。
みんなみんなと仲直り、人間、死ななきゃ、直らないというのはこういうこと?
人は辛い思いをすると、人に優しくなれるとはこのことかな?
人を憎むことのなんと愚かなこと、無駄な時間を過ごしてしまいました。
こんな穏やかな優しい気持になったのは、何年ぶりかな?
もしかしたら生まれて初めてかも。
義母が『あなたはイサの贈り物』と言ってくれました。
異教徒で孫を見せてあげられなかった私のことを。
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このブログ、ケントとエフェスの成長日記だったのに、
オヤジとの思い出日記になっちゃったよ。バカヤロー
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