トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

兆候と寿命

2016-10-19 23:56:08 | 日記
今日のパムッカレ

振り返るとイサの死の兆候が数々あった。

今年に入って、夏ごろからか、いつも穏やかなイサが怒りっぽくなった。
それは私だけではなく、みな異口同音に今年のイサはなんかおかしいと
口にした。

食堂の土地建物を購入したのは、2015年の1月。
それからというのも、何かに憑りつかれたかのように
食堂の厨房を皮切りにレストラン内の改装、家の増築、事務所を新設した。









季節外れに、食堂と義父母宅の煙突も新たに作った。
私が反対したものの、あの時、強行してくれたおかげで、
イサ亡き後の今年の冬は助かった。

義父母の家を作りたい、世話をしたいと、私が強く望んだのは、偶然なのか?

中庭にあるブドウ棚を高くしたり、食堂の塀に沿って、バラの木を植えた。

建物の裏手にある猫の額ほどの空き地に畑を耕し、
外側には果樹を植えた。






10月20日現在、毎日、食べきれないほどの、ナスに唐辛子を収穫。
トマトときゅうりは失敗にオワッタけど。


食堂2階に、ペンションまで考えていたのである。
それは、ひとまず却下させた。

去年、食堂にあった巨木を伐採した。
これは、樹齢年数が古い松が斜めに成長し、枝が電線にかかり、
もしも、この巨木が倒壊した場合、危険だと
判断したから。それに、この巨木に止まる鳥からの糞害もあった。

私は巨木を伐採するのに、一抹の不安があった。
というのも、迷信かも知れないが、巨木を伐採すると、
不吉なことが起こるんじゃないかと恐れていたから。
子供のころ、近所の人が木を伐採し、病気になったという話を信じていた。

また、日本の実家では、こういう大がかりな作業をするときは、
お線香をあげたりし、供養をしていたものだ。

線香なんて用意できないので、私は、切ることをお許しくださいと
祈った。

伐採したことにより、イサの死のカウントダウンが始まったのか?
食堂を購入出来て、私たちはついていると思ったら、夫が急死!
じゃ、買わなきゃよかったかというと、そうでもない。

食堂はどうしても、買わざるを得ない状況に立たされていた。
商売敵が狙っていたからである。

そいつらは、パムッカレにてホテルを経営しているわけだけれど、
隣の基地外婆さんの親戚でもある。そもそも、
食堂の土地は昔は基地外婆さんの土地でもあった。


そのホテルを経営する3兄弟は、バスチケット代、3,500リラ(当時のレートで20万円ほど)
を踏み倒した前科がある。夫が、支払を求めると熊顔した奴が、オフィスの
窓を全部割ってやると脅したのである。割らせてやればよかったのに!
そのときは、ホテルの実名をブログで公表してやったのに。

ここで、全部、私が手の内を明かすのは、勿体ないので
書かないけれど、私は彼らを許さないし、必ず、イサにしたことを
後悔させてやります。目には目を歯には歯を。
土地の権利がうちにあることを忘れないでね♪

以前、人を憎む、恨むことが愚かなこと、と書いた私ですが、
こいつらだけは、許せない。

今の私は、イサの傍に行けるのなら、死は怖くない。
でも、まだまだ、トルコで始末をつけなきゃならないことがいっぱいなのだ。

イサは今思えば遺言のようなことを私に教えてくれていた。
自分の周囲のことなど。

また、イサの資産の一部が私に内緒で、義姉名義になっていたことが
死後発覚した。義姉が私に、実は・・・・と教えてくれたのだ。
これには、驚きと同時に救われた。
だって、イサ名義は相続手続きが完了されるまで、凍結されるのだから。

義姉がお金が必要なら、いつでも、義姉名義の●●●を売りなさい、
ラム子のものなのだから、と言ってくれたのだ。



義父が入院していた数日間、死ぬ前々日まで、
義母と夕飯をともにしていたイサ。

『アンネ(トルコ語でお母さん)と一緒にご飯食べるんだ♪食べるんだ♪』と、
まるで子供のようにはしゃいでいたイサの顔と声がいつも思い浮ぶ。






コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする