「笑拳怪招」が香港で公開された79年。
この映画では監督費が50萬HK$、武術指導費110萬HK$、脚本費50萬HK$、出演者への報酬が200萬HK$(新車購入代金もこれに含むと思われます。)、計410萬HK$もの費用がかかっていましたが、結果的には大ヒットして興収がそれより上回ったようでした。
このヒットを受けて4月には羅維のもとで眠っていた「龍拳」も公開される運びとなり、羅維が発表会を開くことになりました。しかし、この席からジャッキーは姿を消してしまったのです。ちょうど劉家榮の「搏命單刀奪命槍」が撮影中で、そちらに顔を出していたのかも知れません。羅維の言う通りには動かない、逃れたいの一心であったと思います。他にも羅維は「笑拳」が完成して何を思ったのか、スペインの会社製作のアメリカ映画にジム・ケリーと共演させると公表して一早くジャッキーを国際派スターにさせようと思ったりしますが、到底実現するはずがありません。
「龍拳」の発表会に同席していたのがリリー李麗麗でした。とても違和感のある2人ですがこの席でリリーはのちにエリック・ツァン(曾志偉)が撮ることになる「足易館」と同じ衣装を着ていました。つまり、羅維影業との契約を済ませて次のジャッキー主演映画に出演することが決まったので満を持して登場したのです。(他には曾志偉と唐炎燦も出席しました。)
この羅維影業の次回作が「醒拳」(こちらでは”醒拳”と表記した場合、本来の醒拳を指します。)で、リリーは主役級の大きな役をもらうはずでした。出演者はリリー、曾志偉もメンバーの一人でした。他に唐炎燦や劉家勇も出演予定だったと思っています。
そして嘉禾「師弟出馬」撮影開始から1日遅れの4月25日。「醒拳」も撮影開始の儀式を済ませます。
(ここでもジャッキーは予定より遅刻してしまう始末。)「醒拳」は曾志偉とジャッキーが共同監督の予定でした。しかし、ジャッキーは「師弟出馬」がそろそろ完成という頃まで、8月に現場に現われたり、いなくなったりで「醒拳」を何度か撮る、撮らないを繰り返しました。
嘉禾側の「師弟出馬」撮影が真っ只中の6月、羅維は姜大衛主演で「龍擒虎拿」という作品を突然開始します。これが「足易館」です。ジャッキー不在で「醒拳」の残されたメンバーは、曾志偉監督で「足易館」を撮ることになってしまったのです。
この曾志偉の影響は大きいと思います。監督だけでなく「足易館」のあと、引き続きリリーが起用された「無招勝有招」では曾志偉はスーパーバイザー的な面で実力を発揮します。この「無招~」に主演した劉家勇もジャッキーの拳威、劉氏兄弟、銀色影業など幅広く契約しており、ジャッキーに急接近した影星でした。(劉家勇は海外ではジミー・リューと呼ばれています)
曾志偉は、このあと、もう1本「賊贓」を撮ります。本当は「足易館」が終ってから「賊贓」の前に今度こそと「醒拳」を撮るつもりでいました。
結局、曾志偉監督の「醒拳」が実現することはありませんでしたが、「賊贓」を撮り終える最後まで決して諦めませんでしたので「醒拳」というジャッキー主演映画に拘りつづけたのだと思います。
「醒拳」の内容としてはリリーが主要な役を演じること以外殆ど明らかになっていないのが大変残念です。
ジャッキーの”幻の映画”とは正にこの「醒拳」であると私は実感しています。
「醒拳」がどんな内容だったのかを知るには、意外と香港映画特有の”先に作って公開”されてしまった映画などにアイデアが隠されているのかも知れません。
この辺りこちらでも少しずつ触れて行きたいと思っていますが、特に劉家勇関連や郭南宏作品についても面白い現象を感じています。
羅維は「醒拳」を撮った後に「天中拳」と「木人拳」(リバイバル)の公開を考えており、ジャッキー作品攻勢に出ようとしていました。(実際、この2本は80年に香港で公開されています。)
しかし羅維は、完成していない映画「醒拳」をアジア各国に売ってしまったことに問題があると思うのですが、契約してしまったからには80年の旧正月に「醒拳」を公開すべくスタッフに休み無しで撮影させようとしていましたが、そうは簡単に物事が進むはずも無く挫折する羽目に陥ったのです。
ところで「師弟出馬」の完成が近づいた頃、羅維はある決意をしました。
それはジミー・リー(龍方)の起用方です。
陳観泰との共演を果たした「上海灘大亨」への出演をきっかけに羅維は龍方をジャッキー2世として育てようとしました。ジャッキーが「新精武門」で陳元龍から成龍に改名したように李健民から龍方へと改名もさせました。その龍方が「笑拳怪招續集」に主演することが決定して台湾で撮影に入っていたのです。
彼の作品で「至尊威龍」という作品があります。製作時期は不明ですが「笑拳怪招續集」がこれにシフトした可能性は否定出来ないと思います。
この映画では監督費が50萬HK$、武術指導費110萬HK$、脚本費50萬HK$、出演者への報酬が200萬HK$(新車購入代金もこれに含むと思われます。)、計410萬HK$もの費用がかかっていましたが、結果的には大ヒットして興収がそれより上回ったようでした。
このヒットを受けて4月には羅維のもとで眠っていた「龍拳」も公開される運びとなり、羅維が発表会を開くことになりました。しかし、この席からジャッキーは姿を消してしまったのです。ちょうど劉家榮の「搏命單刀奪命槍」が撮影中で、そちらに顔を出していたのかも知れません。羅維の言う通りには動かない、逃れたいの一心であったと思います。他にも羅維は「笑拳」が完成して何を思ったのか、スペインの会社製作のアメリカ映画にジム・ケリーと共演させると公表して一早くジャッキーを国際派スターにさせようと思ったりしますが、到底実現するはずがありません。
「龍拳」の発表会に同席していたのがリリー李麗麗でした。とても違和感のある2人ですがこの席でリリーはのちにエリック・ツァン(曾志偉)が撮ることになる「足易館」と同じ衣装を着ていました。つまり、羅維影業との契約を済ませて次のジャッキー主演映画に出演することが決まったので満を持して登場したのです。(他には曾志偉と唐炎燦も出席しました。)
この羅維影業の次回作が「醒拳」(こちらでは”醒拳”と表記した場合、本来の醒拳を指します。)で、リリーは主役級の大きな役をもらうはずでした。出演者はリリー、曾志偉もメンバーの一人でした。他に唐炎燦や劉家勇も出演予定だったと思っています。
そして嘉禾「師弟出馬」撮影開始から1日遅れの4月25日。「醒拳」も撮影開始の儀式を済ませます。
(ここでもジャッキーは予定より遅刻してしまう始末。)「醒拳」は曾志偉とジャッキーが共同監督の予定でした。しかし、ジャッキーは「師弟出馬」がそろそろ完成という頃まで、8月に現場に現われたり、いなくなったりで「醒拳」を何度か撮る、撮らないを繰り返しました。
嘉禾側の「師弟出馬」撮影が真っ只中の6月、羅維は姜大衛主演で「龍擒虎拿」という作品を突然開始します。これが「足易館」です。ジャッキー不在で「醒拳」の残されたメンバーは、曾志偉監督で「足易館」を撮ることになってしまったのです。
この曾志偉の影響は大きいと思います。監督だけでなく「足易館」のあと、引き続きリリーが起用された「無招勝有招」では曾志偉はスーパーバイザー的な面で実力を発揮します。この「無招~」に主演した劉家勇もジャッキーの拳威、劉氏兄弟、銀色影業など幅広く契約しており、ジャッキーに急接近した影星でした。(劉家勇は海外ではジミー・リューと呼ばれています)
曾志偉は、このあと、もう1本「賊贓」を撮ります。本当は「足易館」が終ってから「賊贓」の前に今度こそと「醒拳」を撮るつもりでいました。
結局、曾志偉監督の「醒拳」が実現することはありませんでしたが、「賊贓」を撮り終える最後まで決して諦めませんでしたので「醒拳」というジャッキー主演映画に拘りつづけたのだと思います。
「醒拳」の内容としてはリリーが主要な役を演じること以外殆ど明らかになっていないのが大変残念です。
ジャッキーの”幻の映画”とは正にこの「醒拳」であると私は実感しています。
「醒拳」がどんな内容だったのかを知るには、意外と香港映画特有の”先に作って公開”されてしまった映画などにアイデアが隠されているのかも知れません。
この辺りこちらでも少しずつ触れて行きたいと思っていますが、特に劉家勇関連や郭南宏作品についても面白い現象を感じています。
羅維は「醒拳」を撮った後に「天中拳」と「木人拳」(リバイバル)の公開を考えており、ジャッキー作品攻勢に出ようとしていました。(実際、この2本は80年に香港で公開されています。)
しかし羅維は、完成していない映画「醒拳」をアジア各国に売ってしまったことに問題があると思うのですが、契約してしまったからには80年の旧正月に「醒拳」を公開すべくスタッフに休み無しで撮影させようとしていましたが、そうは簡単に物事が進むはずも無く挫折する羽目に陥ったのです。
ところで「師弟出馬」の完成が近づいた頃、羅維はある決意をしました。
それはジミー・リー(龍方)の起用方です。
陳観泰との共演を果たした「上海灘大亨」への出演をきっかけに羅維は龍方をジャッキー2世として育てようとしました。ジャッキーが「新精武門」で陳元龍から成龍に改名したように李健民から龍方へと改名もさせました。その龍方が「笑拳怪招續集」に主演することが決定して台湾で撮影に入っていたのです。
彼の作品で「至尊威龍」という作品があります。製作時期は不明ですが「笑拳怪招續集」がこれにシフトした可能性は否定出来ないと思います。