北欧旅行の時、飛行機の座席ポケットにあるJALの機内誌『skyward』を手にとってパラパラとページをめくっていると、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書いた「美しい昔 近藤紘一が愛したアジア」という記事が目に留まりました。
近藤紘一さんは、私にとって若い頃を思い出す懐かしいお名前で、遠い昔の事が次々に甦って来ました。
近藤さんは1971年~1974年に産経新聞サイゴン支局長をされた方で、『サイゴンから来た妻と娘』の著者でもあるので、ご記憶の方も多いと思います。
当時はベトナム戦争に関するニュースが毎日の様に新聞、テレビで報道されていた時代で、アメリカ軍がベトナムの地から撤退を余儀なくさせられ、北ベトナム側の勝利で終結したのが1975年(昭和50年)でした。
その後近藤紘一さんの本が次々に出版されました。『サイゴンのいちばん長い日 』、『サイゴンから来た妻と娘 』、『戦火と混迷の日々―悲劇のインドシナ』、 『バンコクの妻と娘』、『したたかな敗者たち 』などの著書を読み、ベトナムについての私のイメージは彼の本で出来上がったと思えるくらいです。
近藤さんの本には現地の情報だけではなく、何となく面白おかしい話や、戦火の中でも逞しく生きる南ベトナムの人々が多く登場するのですが、その様な単なる話の羅列ではなく、彼が追い求めた大きなテーマは人と国との関わりといったものではなかったかと思うのです。だからこそ近藤さんの本が多くの読者を得たのだと思います。
近藤さんはベトナム戦争末期にサイゴンで知り合った娘連れのベトナム人女性と再婚し、戦争終結後3人は東京で暮らし始めます。その日常生活を描いたのが大宅壮一ノンフィクション賞を受賞(昭和54年)した『サイゴンから来た妻と娘』です。3人の日本での生活がユーモラスに描かれ、こんな人ってホントにいるのかしら(?)と思えるくらい、近藤さんの二人に注ぐ視線が限りなく優しいのが印象的です。
この本の後半ではベトナムの未来を、修正主義になるだろうと予測しておられます。だいぶ前、友人とベトナムを旅行した時、ホーチミン市のメインストリートのドンコイ通りを散策し、市内最大のベンタン市場を見学しました。その時、社会主義国とは思えない華やかさ、賑わいを見て、彼の予測は的確だったとの思いを強く持ちました。
ベトナム戦争終結後、次々に彼の本が出版されたのですが、昭和61年1月に新聞紙上で、近藤紘一さんが45歳の若さで病死されたとの記事を見た時は、あまりにも突然の事で本当にショックを受けました。
『skyward』の記事は、近藤さん亡き後の夫人と娘さんの消息にも触れられています。没後26年たった今、飛行機の機内誌で取り上げられる人ってスゴイなぁ~などと思いながら読みましたが、それだけ近藤紘一さんの本を読んでいた人が多かったという事なのでしょうね。
私が読んだ記事は『skyward』の8月号でしたが、近藤紘一さんの記事は昨年秋から連載されている様です。バックナンバーを取り寄せて全部読んで見たいと思うこの頃です。
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