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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~結婚~ (2)

2015年05月29日 | 俳人杉田久女(考)

お茶の水高女を卒業した翌年の明治42(1909)、杉田久女は19歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科卒業の杉田宇内(久女より6歳年上)と結婚しました。

当時久女一家は上野桜木町に住んでおり、そこに東京芸大生の宇内が久女の兄達の友人として出入りしていたというのが、二人が知り合うきっかけだったようです。


杉田宇内は当時小倉市にあった、開学間もない旧制小倉中学(現在の小倉高校)の美術教師となり、久女は夫宇内と小倉市に移り住むことになりました。

宇内の郷里は愛知県西加茂郡小原村松名、この辺りは奥三河の山深いところで、杉田家は代々この地の大庄屋をしていて、おびただしい山林田畑を持っていました。祖父の多十郎は愛知県の県会議員を務め、村長もしていて、父の和夫も村長を務める素封家でした。

久女がお茶の水高女卒の才媛で高級官吏の娘という事で、最初から杉田家ではこの縁談に乗り気の様でした。しかし久女の両親は宇内の郷里が余りにも山深い田舎というのが心配で、最初この結婚を渋ったそうですが、久女の意志で嫁ぐことになった様です。

社会的地位のある相手との縁を得た、お茶の水高女の同窓生が厳しい格式や煩わしい人間関係に悩んでいるのを知り、考えるところがあり、久女は社会的地位や資産をもたらす結婚より芸術家の卵との結婚を選んだと、これは久女の長女石昌子さんが書かれた本の中にある話です。私はこれに加え、久女に絵心があったのも宇内に傾いた原因の一つかもしれないと思ったりもします。

家と家の結びつきによる結婚が大部分だったこの時代に、たとえわずかでも、
久女に選択の余地があったという意味ではこれも恋愛結婚でしょう。現代の恋愛結婚とは桁違いのほのかなものだったでしょうが...。

 

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